読書記録 2000年
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発行日 | 読了日 | イントロ | メモ・登場人物 | |
58 | やわらかな頬 | 桐野夏生 | 講談社 | 1999.4.15 1999.8.23 第9版発行 |
2000.12.28 | 第一章 終車 石山の臑には子供の時に鉄条網で怪我をした痕がある。硬い骨の上にある小さな褐色の深い傷だ。原っぱで脚を引っかけて転び、抜くのに苦労するほど深く刺さったのだという。カスミはさぞかし痛かっただろう、と少年の石山に同情してその傷を優しく撫でる。人目も気にせず泣いただろうか。それとも、仲間に知られまいと強がっただろうか。男を好きになるということは、男のあらゆる時間、様々な状況への想像を産み育てることでもある。その頃の石山に会って我が子のように守ってやれたらと思う。 |
桐野夏生(キリノ ナツオ) 1951年 金沢生まれ
成蹊大学卒 直木賞受賞作 登場人物 石山、カスミ、内海(元刑事)、森脇、典子、脇田 ---------- 「そんなはずはない」が最後のの一言で内海は死んでいく。組織の中でひたすら上昇して行こうとする自分と同じ考え方の脇田巡査が犯人であることに気がつきその言葉を吐いて・・・。内海は現職刑事であった時は、感想では全く動かなかったが、自分の死期を知って全く違う考え方で捜査していく。それは関係者に「事件の感想は」 |
57 | 指の時代 | 佐野洋 | 講談社 | 2000.5.13 | 2000.12.23 | S県警部内で「某特異事件」と名づけられ、私がひそかに「指の時代事件」と読んでいる事件を記録するに当たって、私が迷ったことが一つあった。 私に小説家のような想像力があれば、交通事故を起こした人間の心理とか、人妻と親しくなった男の行動などから、記録を書き起こしたことであろう。その方が事件の性質は、より明確になるのである。しかし現職の刑事である私には、そのような想像力はない。自分の経験したことを、順を追って綴るよりほかはないようだ。 |
登場人物 柿本、弥生、緑、桜川、松岡、飯塚 |
56 | 秘密 | 東野圭吾 | 文芸春秋 | 1998.9.10 | 2000.12.20 | 予感めいたものなど、何ひとつなかった。この日夜勤明けで、午前八時ちょうどに帰宅した平介は、四畳半の和室に入るなりテレビのスイッチを入れた。しかしそれは昨日の大相撲の結果を知りたかったからにほかからなかった。今年四十歳になる平介は、これまでの三十九年余りがそうであったように、今日もまた平凡で穏やかな一日になるに違いないと信じていた。いや信じるといううより、それはもう彼にとって既定の事実だった。ピラミッドよりも動かしがたいものだった。 | 東野圭吾(ひがしの・けいご) 1958年、大阪生まれ。大阪府立大学電気工学科卒。エンジニアとして勤務しながら、1985年、「放課後」で第31回江戸川乱歩賞受賞。著書に「同級生」「変身」「分身」「鳥人計画」「むかし僕が死んだ家」「パラレルワールド・ラブストーリー」「天空の峰」「毒笑小説」「名探偵の掟」「悪意」「探偵ガリレオ」等があり、幅広い作風で活躍している。 登場人物 杉田平介,直子,藻奈美,根岸典子 |
55 | 球形の季節 | 恩田陸 | 新潮社 | 1994,4,29 | 2000.12.14 | 第一章 それはきっと世界の秘密のようで 坂井みのりがその奇妙な噂を開いたのは、五月一日の水曜日の朝のことだった。彼女は明け方にふと目が覚めた。彼女は毎朝、母親にこの世の終わりのような恐ろしい声で起こされてはなんとか学校に通い続けている大変なねぼすけであるが、年に何回か、目に見えぬ誰かに肩を叩かれたかのようにハッと目覚めるこんな朝がある。 |
この作品は第5回日本ファンタジーノベル大賞(主催
読売新聞社・三井不動産販売株式会社)の最終候補作品を改筆改稿したもの。 登場人物,設定 坂井みのり,浅沼弘範,関谷仁,藤田晋,谷津第一高校,一ノ瀬裕美,菅井啓一郎 |
54 | 乳房 | 岡田睦 | 福武書店 | 1988.12.15 | 2000.12.8 | キャット・シッター そこは、もともと出窓になっていた。庭ともつかない四、五坪ほどの空地に面している。この出窓のある南向きの壁面をそっくりぶち抜いて、サッシのガラス戸を入れることにしたのは、すこぶる実用的な見地のためだった。 母屋と棟続きになっているここのドア式の戸口は、出窓と反対の北側にある。だから、洗濯物を正式な経路を経て干すとしたら、いったんその戸口から表の道へ出て、母屋の門を入り、玄関のある建物に沿って、右手に・・・ |
岡田睦(オカダムツミ) 1932年,東京に生まれる。1956年、慶応大学文学部卒。著書に「薔薇椅子」「ワニの泪」「賑やかな部屋がある。 短編集4篇 ・キャット・シッター 「海燕」1985年7月号 ・糟糠 「海燕」1986年3月号 ・乳房 「海燕」1987年11月号 ・夕空晴れて「海燕」1988年6月号 |
53 | 雪舟の龍 | 林芳史 | 日本放送出版協会 | 2000.6.25 | 2000.12.6 | 第一章 破れ袋 千三つ いまから,十億円の美術品の取引が多目的ホール「ヴェルサイユ」で始まる。買い手との交渉は、「クイーンズガーデンギャラリー」の菅原瑞江がすることになっていた。成立すれば、労少なくして、取引金額の二パーセントが私の手許に入る。私はホテル奥の吹き抜けの中庭にあるラウンジで待機していた。ラウンジから六、七メートル先に「ヴェルサイユ」の扉がある。 |
登場人物 厳木,美紀,瑞江,神田, 林芳史 1943年,大阪生まれ。早稲田大学文学部中退。美術評論家。画家 参考文献 「古事記」講談社版,「日本書紀」講談社版,「日本の神」別冊太陽 山折哲雄監修 平凡社 |
52 | 壬生義士伝 下 | 浅田次郎 | 文芸春秋 | 2000.4.30 | 2000.11.27 | 慶応二年の四月朔日のことであったと思う。 日付まではっきり覚えておるわけは、その数日前に出張先の芸州から参謀の伊東甲子太郎と筆頭監察の篠原泰之進が帰り、慰労の宴を催した晩だったからじゃ。宴中、伊東が芸州における諸藩重臣たちとの議論の成果をを開陳し、「時節もよし四月朔日、今日を以てわれら憂国の志士は気分も新たに云々--」などと、鼻白むようなことを言うておった。 |
吉村貫一郎 吉村嘉一郎(長男) 吉村みつ(長女) 吉村貫一郎(次男) 大野次郎右衛門 大野千秋(長男) 左助 |
51 | 悩ましき買物 | 赤瀬川原平 | フレーベル館 | 2000.4.10 | 2000.11.21 | @まずは腕時計だ 物を買う楽しさは、じつはお金を払うことにあるんじゃないか。お金はなるべく払いたくない、という気持ちは誰しもあるが、でもお金をまるで払わない生活を想像すると、何だかそれは病人みたいだ。 買物というのは酸素を吸って窒素を吐き出す、一種の呼吸みたいなもので、それで身体も財布も活性化する。 |
赤瀬川原平 1937年生まれ。画家、作家。武蔵野美術学校中退。前衛芸術家。千円札事件被告。路上観察学会会員。1981年『父が消えた』(尾辻克彦の筆名で発表)で第84回芥川賞を受賞。宮武外骨、3D写真、中古カメラ、新明解国語辞典、老人力・・・さまざまなブームの火付け役である。著書に『東京ミキサー計画』『超芸術トマソン』『外骨という人がいた!』・・・ |
50 | つるつるの壺 | 町田康 | 講談社 | 2000.2.25 | 2000.11.9 | ロックの老いの坂 「芸人は、米一粒、釘一本もよう作らんくせに、酒がええの悪いのと言うて、好きな芸をやって一生を送るもんやさかいに、むさぼってはいかん。ねうちは世間がきめてくれる。ただ一生懸命に芸を磨く以外に、世間へのお返しの途はない。また芸人なった以上、末路哀れは覚悟の前やで」というのは、二元国宝、桂米朝が、『落語と私』(文芸春秋)・・・ |
町田康 1962年大阪府堺市生まれ。町田町蔵の名で高校時代より音楽活動を開始。1981年にバンド「INU」で『メシを食うな』発表。その後もパンク歌手、俳優、詩人として活躍。1996年に発表した処女小説『くっすん大黒』でドゥマゴ文学賞、野間文芸新人賞を受賞。他の著書に小説集『夫婦茶碗』『屈辱ポンチ』 エッセイ集『へらへらぼっちゃん』 詩集『懐色』『供花』がある |
48 | 昔の部屋 | 出久根達郎 | 筑摩書房 | 2000.8.25 | 2000.11.5 | かぶれる 浩吉が中学をおえる寸前、父が交通事故で死んだ。自分の不注意で起こした自分だけの事故で全くの死に損だった。交通遺児を助けるための制度もない時代で、四人兄妹の総領である浩吉が働き手にならねば、一家が飢え死にする。 |
出久根達郎 1944年茨城生まれ。東京・杉並区で古書店「芳雅堂書店」を営む。1992年「本のお口よごしですが」で講談社エッセイ賞受賞。1993年「佃島ふたり書房」で直木賞受賞。その他の著者に「粋で野暮天」「逢わばや見ばや」「みんな一等」「おんな飛脚人」「花ゆらゆら」など多数がある。 |
47 | 天使の囀り | 貴志祐介 | 角川書店 | 1998.6.30 1999.1.31 第8版発行 |
2000.11.2 | お元気でしょうか。今まで君から何通もメールをもらいながら、こんなに返事が遅くなったことをお詫びします。ご安心ください。僕は決して、ジャガーの餌になったわけでも、自分がミツユビナマケモノだと思い込むようになって、余生を枝から逆さまにぶら下がって過ごそうと決意したわけでもありません。 | ウーン 気持ち悪い ホラー小説ってこんなに気持ちが悪いのかと改めて思った。しかしストーリーが面白く最後まで読んでしまったが・・・ それと、不自然なところが多すぎるのもちょっと興ざめ、アマゾンのジャングルの真っ直中にいるのに、どうして日本とEメールのやりとりができるのか |
46 | 天国までの百マイル | 浅田次郎 | 朝日新聞社 | 1998.12.1 | 2000.10.27 | 公園のベンチでぼんやりと時を過ごすことが多くなった。水飲場で顔を洗い、トイレに行き、木陰のベンチで汗を乾かしながら煙草を喫う。屑籠からスポーツ新聞を拾ってきて、求人広告と野球の結果と、色物の記事を読む。いっとき入れあげた競馬は、馬券を買う余裕がなくなってからまったく興味がなくなった。 | 本書は、小説トリッパー'97年秋季号から'98年夏季号の連載に加筆したものです。 登場人物 城所安男、英子、マリ、サンマルコ病院 曽我、 前半は、涙うるうる状態であったが、後半はくさすぎる。ちょっと白けた |
45 | 理想の人生 | 三木卓 | 河出書房 | 1999.9.24 | 2000.10.23 | マリちゃん 松飾りがとれて数日したころの寒気きびしい夜、原稿を書いていると電話が鳴った。「もしもし。もしもし」「夜分にどうもごめんなさい。わたし、旧姓吉原真砂と申しますが、あの静岡のお城の中のできたての中学でごいっしょだったものでございます。お覚えではいらっしゃらないと存じますが」 |
著者略歴 1935年、東京生まれ。早稲田大学文学部露文科卒業。73年、(弱い鳥)で第69回芥川龍之介賞 タイトルの理想の人生とは、内容は違い単なる人生の回顧録、何となく品が無く面白くない |
44 | 五体不満足 | 乙武洋匡 | 講談社 | 1998.10.20 1999.6.10 第30刷 |
2000.10.20 | 威張りん坊 ナポレオン 3人の新しい生活が、千葉県に程近い江戸川区・葛西という地で始まった。新たに引っ越してきたこの地では、知らない人ばかり。障害を持った子どもの親は、その子を家に閉じ込め、その存在すら隠してしまうとこともあるそうだが、ボクの両親は、決してそんなことはしなかった。 |
著者略歴 昭和51年、東京都生まれ。世田谷区立用賀小、用賀中、都立戸山高校を経て、早稲田大学政経学部在学中。先天性四肢切断という障害を、単なる「身体的特徴」と考えて、「自分にしかできないこと」=「心のバリアフリー」に少しでも貢献するため、電動車椅子にのって全国を飛び歩いています。 登場人物 高木先生、岡先生、ミノル、ススム |
43 | ニライカイナの空の下で | 上野哲也 | 講談社 | 2000.6.15 | 2000.10.19 | とうとう列車は関門トンネルをぬけた。東京と陸続きの本州に別れを告げ、海を隔てた九州に入った。地図で見ると、狭い海峡だが、僕には広く思えた。窓ガラスに額をつける。ひんやりとした冷たさが心まで滲み入ってくる。 | 著者略歴 1954年生まれ、福岡県出身。県立田川高校卒業後、上京、小説家を志す。1999年第67回小説現代新人賞受賞。本作品は、著者初の書き下ろし長篇 登場人物 立花新一,野上竹雄,野上源一郎 |
42 | 日本アルプス殺人事件 | 森村誠一 | 角川書店 | 1977.5.30 | 2000.10.13 | 雪と炎と車 北アルプス北端の白馬岳山頂から右手に信州側の切り立った断崖、左手に越中側のガラガラの岩屑(がんせつ)が堆積しているやせ尾根を30分ほど北へ下ったところに、「三国境」と呼ばれる、風をよけるちょっとした鞍部がある。ここが文字どおり長野、富山、新潟三県の県境にあたる |
著者略歴 昭和8年、埼玉県熊谷に生まれる。33年青山学院大学英米文学科を卒業。10か年のホテルマン生活の後、執筆活動に入る。44年に高層の「死角」で第15回江戸川乱歩賞を受賞。本格推理の新しい旗手として登場した。 |
41 | 象と耳鳴り | 恩田陸 | 詳伝社 | 1999.11.10 | 2000.10.6 | 曜変天目の夜 -きょうは、ようへんてんもくのよるだ。 今しも、倒れた老婦人が目の前を運び出されていくところであり、関根多佳雄は一瞬自分がデジャ・ブを見ているのかと思った。それほどその光景は、彼の記憶のはるか底の方から閃光のように蘇ってきたのだ。 |
この作者は面白い。次の作品も読んでみたい。 著者略歴 昭和39年、仙台生まれ。早稲田大学卒。平成3年、第3回ファンタジーノベル大賞最終候補となった。「六番目の小夜子」でデビュー。以後、「球形の季節」,「不安な童話」、「三月は深き紅の淵を」、「光の帝国 常野(とこの)物語」と一策ごとに評価は上昇。ミステリーやSFなど既成の枠を超える作風と、燦く感性で今最も注目されている。 |
40 | 威張ってはいかんよ | 常磐新平 | マガジンハウス | 2000.7.19 | 2000.10.2 | 若い人たちに申し上げたい。「威張ってはいかんよ」 一番嫌いなものはと訊かれたら、いくらグズの僕でも即座に答えが出る。それは何か。威張る奴。 その昔、ニューヨークのホテルで、いかにも仕立てのいいスーツを着た日本人が両手をポケットに入れて、ロビーをわがもの顔に歩いていた。 |
著者略歴 1931年岩手県生まれ。早稲田大学文学部英文科卒業後、大学院へと進む。早川書房に入社。「ハヤカワ・ミステリ・マガジン」編集長を経て翻訳家・文筆家生活に入る。87年に「遠いアメリカ」で第96回直木賞を受賞。近著に「風の姿」(講談社) 「おとなの流儀」(マガジンハウス) 「ニューヨーカーの時代(白水社)、訳書にバーグリーン「カポネ 人と時代」(集英社)、ハルバースタム「男たちの大リーグ」他 |
39 | かりそめ | 渡辺淳一 | 新潮社 | 1999.11.25 1999.12.20 二刷 |
2000.9.27 | 灼くる 「ねえ、わたしの眼、おかしくありません」 梓が訪ねたのは、久我が起きぬけのガウンのまま、冷蔵庫から取り出したビールを口に含んだときだった。そのままビールを飲み干して振り返ると、梓は着物姿で寝室の壁にはめこまれた鏡を見つめている。 |
初出 「週刊新潮」(1998.8.13・20日号〜1999.5.20日号 不倫の物語、破局に到らず片方の病気による自死で終わり。しかしどう見ても舞台設定が不自然で話の展開に引き込まれない。 この作家は、もう読むのをよそう |
38 | 残照 | 今野敏 | 角川春樹事務所 | 2000.4.8 | 2000.9.21 | 星のない夜空に、大観覧車のシルエットが浮かび上がっている。その姿は、巨大なものがもつ独特のまがまがしさで地上のものを威圧してるようだ。 たしかにグロテスクだと私は感じていた。 観覧車の、人々に楽しみを提供するという本来の目的を離れて、その巨大さだけを誇っているような醜さを感じる。そして、大観覧車が見下ろしているこの一帯も、同様のものを私に感じさせる。 |
著者略歴 1955年北海道生まれ。上智大学在学中の78年に「怪物が街にやってくる」で問題小説新人賞を受賞。卒業後、レコード会社ディレクターを経て、執筆活動に入る。日本空手道常心門三段、棒術五段の実力を持ち、自ら今野塾を主宰。著書に「蓬莱」「触発」「リオ」「朱夏」「レッド」などがあり、警察小説、冒険小説の書き手として注目される気鋭である。 安積係長、速水警部補、須田 |
37 | 弧愁 サウターデ(下) | 新田次郎 | 毎日新聞社 | 1999.12.10 | 2000.9.19 | 外人墓地 モエラスは横浜に着くと、早速、東京麹町三年町にあるポルトガル公使館に出向いて行った。ガリヤルド公使等館員はモエラスの来るのを首を長くして待っていた。その夜の歓迎会の会場で公使夫人は、「この頃の公使は夜が明けると第一番目に・・・・ |
解説 父新田次郎の絶筆となった「弧愁は」昭和54年8月より毎日新聞に掲載された。この年の始め頃から、父はモエラスに憑かれたように取り組んでいた。故国ポルトガルへの熱い想いにまみれながら、亡き妻およねの墓を守りつつ徳島の地で没した文人モエラス。この孤高の人モエラスに、父は惚れ込み惚れぬいていた。この作品にかけた父の並々ならぬ気迫は、家族のものにもひしひしと伝わっていた。 |
36 | 弧愁 サウターデ(上) | 新田次郎 | 毎日新聞社 | 1999.12.10 | 2000.9.15 | 美しい国 激しい雨がひとしきり続いた。貨客船ベルギー号はその雨に辟易したかのように速度を落とし、霧笛を鳴らしながら進んでいた。船客たちは夜のように暗くなり、雷鳴を伴った豪雨におそれをなしてか各部屋に引き込み、不安そうな目を船窓に寄せていた。 |
毎日新聞S54.8.20よりS55.4.8まで連載 新田次郎 1912年、長野県生まれ。本名・藤原寛人(ひろと)。「強力伝」がサンデー毎日の懸賞小説に入選、これにより直木賞受賞。多くの山岳小説やベストセラー「八甲田山死の彷徨」、ライフワークともいうべき「武田信玄」などの歴史小説がある。1980年没 |
35 | 寂頂 美の宴 | 瀬戸内寂聴 | 小学館 | 2000.8.1 | 2000.9.11 | 一遍上人との出逢い 私の宗教的知識は文学のそれに比べて甚だ貧弱である。得度してまだ満四年と半分しかすぎていないし、得度後も、専心仏道に励んでいるという状態ではなく、文学者としての売文稼業と尼僧としての二足のわらじを履いている暮らしぶりなので、一向に信仰の密度も進まなければ、仏教的知識も・・・ |
岡本太郎との縁 氏は私に生涯忘れられないことばも下さった。 「芸術家はね、二つの別れ道にたった時、あえて、困難な道を選ばなければならない。安易についちゃおしまいだ。」 私はその言葉を金科玉条と信奉とし、その後の道を歩きつづけてきた。 |
34 | 理由 | 宮部みゆき | 朝日新聞社 | 1998.6.1 | 2000.9.8 | 東京都江東区高橋二丁目の警視庁深川警察署高橋第二交番に、同町二ノ三所在の簡易旅館「片倉ハウス」の長女片倉信子がやってきたのは、平成八年(1996年)九月三十日午後六時頃のことであった。 | この作品は朝日新聞夕刊に1996年9月2日から1997年9月20日まで連載され、単行本刊行にあたって加筆しました |
33 | GO | 金城一紀 | 講談社 | 2000.3.30 2000.7.31 第3刷 |
2000.9.2 | 「ハワイか・・・」 オヤジが初めて僕の前で「ハワイ」という言葉を口にしたのは、僕が十四歳のお正月のことで、その時、テレビの画面では、美人女優三人がハワイに行き、ただひたすら「きれい!・・・ |
参考文献 「驚異の小宇宙・人体V/遺伝子・DNA 3-日本人のルーツを探れ 人類の設計図」,「日本論の視座-列島の社会と国家」,「単一民族神話の起源<日本人>の自画像の系譜」,「人間の測りまちがい-差別の科学史」 |
32 | ベイスボイル・ブック | 井村恭一 | 新潮社 | 1997.12.20 | 2000.8.30 | それこそまさに今の今、南の大洋の島々、あらゆる場所でそうしているように人々はそれぞれの家に住み、政府のない首相、莫大な借金しかない王の息子、だれかの頭を殴るための手頃な武器もない警察、それらすべてを海上で取り囲み「実験からすべてを保護する」と称する海上委員会・・・ | 巻末 この作品は第9回日本ファンタジーノベル大賞(主催 「読売新聞社」・三井不動産販売株式会社」の大賞受賞作品に加筆したものです。 ウーン、全くわけのわからない小説、ファンタジーノベルという分野がこういう分野らしい。二度と手を出さないようにしよう |
31 | 長崎ぶらぶら節 | なかにし礼 | 文芸春秋 | 1999.11.30 | 2000.8.25 | 今年もまた秋がやって来て、私は一つ年ばとりました。八十五歳になったとです。愛八姐さんが死んなさってから、はや六十五年の年月が経ってしまいました。長生きのしすぎではないかと自分でも思うとりますばってん、この命は愛八姐さんからいただいたものですけん、なおのこと大事に・・・ | 参考文献 「長崎市史・風俗編・全」 古賀十二郎著(長崎市役所) 「新長崎年表・上中下」 嘉村国男著(長崎文献社) 「長崎円山花日記」 山口雅夫著及び発行 他 |
30 | 人の気も知らないで | 永倉萬治 | 実業之日本社 | 2000.5.25 | 2000.8.18 | 猫の文鎮 朝からの曇り空は、午後二時を過ぎてもどんよりと灰色にくすんでいる。気温も急に下がってきたようだ。 二十分ほど前から、僕はティールームの窓際の席に座って通りを見つめている。タバコをやめたばかりで、ミント入りのキャンディーをずっと舐めていた。 |
永倉萬治(ながくら まんじ) 昭和23年埼玉県に生まれる。"東京キッドブラザーズ"に在籍後、放送作家、広告プランナーなどを経て作家活動に入る。著書に「男はみんなギックリ腰」(集英社)、「満月男の優雅な遍歴」(光文社)「ポチャポチャの女」(小社刊)などがある |
29 | 夜のオデッセイ | 船戸与一 | 徳間書店 | 1997.12.31 | 2000.8.16 | アブサンの海を漂いながら、おれは女のしなやかな白い手が黒い男の膝のうえに置かれるのをただ黙って眺めていた。ドビュッシーの夜想曲が静かに流れるこのハートフォード・ホテルのラウンジバーでカウンターに頬づえをついたまま・・・ | 「夜のオデッセイア」は、「非合法員」(79年)、「祖国よ友よ」(80年)、「群狼の島」(81年)に続く船戸与一の第四冊目の作品として、1981年に徳間ノベルスで刊行された。 |
28 | こころのもやもや 晴れたらいいね |
ひろさちや | 双葉社 | 1994.4.8 | 2000.7.18 | 「青春は、若者に無駄遣いさせておくには、あまりにも惜しい」そう言った人がいます。イギリスの劇作家・批評家のバーナード・ショーです。いかにもショーらしい、辛辣なことばですね。 | ひろさちや 1936年大阪生まれ。東京大学文学部印度哲学科卒業。同大学院博士課程修了。気象大学校教授を経て、現在仏教・インド思想の研究、執筆、講演等で活躍。著書に「こころの歳時記」(徳間書店)「幸福になる仏教の生き方」(毎日新聞社)他多数 |
27 | 「笑」ほど素敵な商売はない | 萩本欽一 | 福武書店 | 1993.4.15 | 2000.7.14 | ■あなたコメディアンしてみます? 「欽一お願いだから、昼間、家へやってこないでおくれ。テレビに出てるおまえが、息子だって知れたら、あたしゃ、きまりが悪くて、近所を歩けやしないよ」 |
あとがき 萩本欽一が「笑い」について語る、日頃の座談を本書に纏めさせて貰いました。 元来、私は、いわゆる「藝談」の類のものを活字に置き換えることは、所詮、無茶な話だと考えています。殊に、強い個性をもつ彼の場合、それは殆ど無意味な作業にもなりかねません。 |
26 | 吉本ばなな神話 | 三井貴之/鷲田小彌彌太 | 青弓社 | 1989.12.25 | 2000.6.30 | 青春小説というジャンル 「青春小説」というジャンルが文学史上存在するのかどうか、ぼくにはよくわからない。しかし、どんな内容であれ、青年期(十一、二歳からの約十年間、というのが一応一般的な定義になるが、実際には二十七、八歳ぐらいまれて入れて・・・ |
吉本ばななの文芸批評。非常に難解であった。 吉本ばななの作品、「ムーンライト・シャドウ」、「キッチン」、「満月」、「うたかた」、「サンクチュアリ」、「哀しい予感」を取り上げている。 |
25 | 老人力 | 赤瀬川原平 | 筑摩書房 | 1998.9.10 1999.1.20 初版第8刷 |
2000.6.17 | おっしゃることはわかります 人間、歳をとると物忘れがひどくなるというのは誰しもあることで、えーと、何だったけかな・・・・、ということがよくある。よくあるというより最近はぐんぐん増えてきていて、「えーと、何だったかな・・・」 |
おっしゃることはわかります、物忘れの力はどこから出るのか、「あ」のつく溜息、食後のお茶の溜息、老人は家の守り神、老人力満タンの救急車、下手の考え休むに似たり、老人力胎動の時期を探る、ソ連崩壊と趣味の関係、中古カメラと趣味の労働、朝の新聞を見ていて考えた、眠る力を探る、東京ドームの空席、タクシーに忘れたライカ、年に一度の健康診断、宵越しの情報はもたない |
24 | 風の記憶 | 五木寛之 | 角川書店 | 1999.4.25 | 2000.6.16 | 髪を洗う話 先日、ひさしぶりで髪を洗った。正月ぐらいさっぱりした感じで迎えなければ、と考えたからである。洗ってみると、たしかに気分がいい。頭がすっと軽くなったような具合だ。 |
作家の自画像 髪を洗う話、許せない歌、車中ガン談、小説と戯曲のあいだ、締め切りの意味論、日本語と私、ヘミングウェイ・ダレル・ミラーらの夏、斑鳩の夏の陽ざしに、いのち華やぐとき、岩手と私、人の還る場所、「他力」ということ |
23 | 山河あり 下巻 |
陳舜臣 | 講談社 | 2000.1.15 | 2000.6..8 | 誰もがなにか忙しそうにしていた。 劉継泰は日本と中国とのあいだを、たえず往来していた。世航にとっては、劉夫婦は事業におけるパートーナーだが、劉継泰がなにをしているか、くわしくは知らなかった。 |
上海事変で戦場と化した故郷。 抗日論の高まるなか、青年は華僑という運命を生き抜いた。 仲間の警告で世航はテロの巻き添えを免れた。 ジャーナリストとして乱世の最前線を駆ける。 |
22 | 山河あり 中巻 | 陳舜臣 | 講談社 | 1999.12.15 | 2000.5.30 | 温世航は天童山で連紹柏に会ったあと、上海に戻っておじの連遠滋に、一応、経過報告をしておいた。紹柏の出家の動機が、あるいは失恋によるかもしれないことも、かくさずに話したが、相手は不明ということにしたのである。 | 統一戦争に揺れる中国。愛国の熱情が青春の氾濫か。新しい時代の波に青年の体はふるえた。 日中15年戦争前夜を描く大河小説、いよいよ佳境に! 孫文の北伐から、張作霖の爆殺まで。歴史的事件のひとつひとつが若者を成長させてゆく。 |
21 | 山河あり 上巻 | 陳舜臣 | 講談社 | 1999.11.15 | 2000.5.24 | さまざまな形の島影が重なっている。一番手前の小さな島が、あざやかな緑であるほかは、濃淡の差はあっても一つの墨絵の世界であった。− 温世航はそれを自分の最も古い記憶であると信じている。− | 上海で生まれ育った温世航は、25歳のとき東京で関東大震災に遭う。未曾有の天災は世界の同情を集め、それまで緊張状態にあった日中関係も、一転して友好的になるかと思われた。だが、朝鮮人の虐殺の報せは、両国関係に暗い影を落とす。さらに、中国人青年の失踪事件が起こり、世航は真相を求めて名古屋へ向かった。 |
20 | 大河の一滴 | 五木寛之 | 幻冬社 | 1998.4.15 1998.8.15 第21刷 |
2000.5.17 | なぜかふと心が萎える日に 私はこれまでに二度、自殺を考えたことがある。最初は中学二年生のときで、二度目は作家としてははたらきはじめたあとのこと事だった。 |
五木寛之 ・・・ 昭和7年9月福岡県に生まれる。生後まもなく朝鮮にわたり22年引き揚げ。27年早稲田大学露文科に入学。32年中退後、PR誌編集者、作詞家、ルポライターなどをへて,41年「さらばモスクワ愚連隊」で第6回小説現代新人賞,42年「蒼ざめた馬を見よ」で第56回直木賞,51年「青春の門」筑邦編他で第10回吉川英治文学賞を受賞 |
19 | 始祖鳥記 | 飯島和一 | 小学館 | 2000.2.20 | 2000.5.12 | 末明、時ならぬ大八車の地響きと駆け急ぐ大勢の足音で、備前岡山の城下町は夜明け前のしじまを破られた。 岡山城の西門を出たところの、道幅一間半に及ぶ大通り一帯は塗家造りの大店(おおだな)が並ぶ、城下の表町である。 |
日本初のグライダーを作成し飛んだ"鳥人"初代備考斉,備前屋幸吉の物語 飯島和一・・・1952年,山形県生まれ。1988年,「汝ふたたび故郷へ帰れず」で文芸賞受賞。他の著書に「雷電本紀」(河出書房新社/1994年),「神無き月十番目の夜」(河出書房新社)/1997年)がある。 |
18 | 妻と私 | 江藤 淳 | 文芸春秋 | 1999.7.7 1999,8.20 第5刷 |
2000.5.6 | 5月22日の、午後6時半頃であった。平成10年のことである。大学から戻って、角の旧里見とん邸の前でタクシーを降りた私は、左の谷戸に通じる径を二、三歩行きかけて、眼の前に現れたわが家のたたずまいに、いつもとは違う異様なものを感じないわけにはいかなかった。 | 慶子は無言で語っていた。あらゆることにかかわらず、自分が幸せだったということを。告知せずにいたことを含めて、わたしのすべてを赦すということを。私は、それに対して、やはり無言で繰り返していた。君の生命が絶えても、自分に意識がある限り、君は私の記憶のなかで、生きつづけて行くのだ、ということを。 |
17 | 大地の子(下) | 山崎豊子 | 文芸春秋 | 1991.4.15 | 2000.5.3 | 高粱畑と大豆の畑が続く中国・東北部を、直快列車は北へ北へと走っている。まだ若い茎が伸びきらず、葉も大きくない畑には、人影が見えないが、よく耕された長い畝が、はるか地平線まで延々と続き、ところどころに、防風林のひょろ高いポプラの若木が、内陸方面からの風に揺らいでいる。 | 松本耕次、宝華製鉄、月梅、陸徳志 一章 36年目の旅路,二章 長江,三章 誓い,四章 密告,五章 変節,六章 北戴河,七章 明暗,八章 妹よ,九章 再開,十章 突風 十一章 運命,十二章 眼には眼を,十三章 二人の父,十四章 不信,十五章 家,十六章 無情,十七章 査問,十八章 刺す,十九章 火入れ,二十章 山峡下り |
16 | 大地の子(中) | 山崎豊子 | 文芸春秋 | 1991.3.1 | 2000.5.2 | 1997年4月-、北京の西郊の山々に連なる西山は、糸のような長雨が降り続き、樹々は枝葉を垂れて、濡れそぼっている。 西山は軍事地区で、北京軍区参謀本部があり、立入禁止になっているが、その一画に前副総理のトンピンホアの山荘がある。 |
トンピーホア 一章 不死鳥, 二章 中南海, 三章 海, 四章 長城, 五章 茨の日々, 六章 上海, 七章 談判, 八章 暁, 九章 国務院回線, 十章 鉄の長城, 十一章 日本, 十二章 富士山 |
15 | 大地の子(上) | 山崎豊子 | 文芸春秋 | 1991.1.10 | 2000.4.27 | 北京の空は紺青に澄みわたり、秋の陽が眩く地面を照しつけている。時々、舞い上がる黄塵さえ、光を含んでいるが、数千人の工人(労働者)が集まっている北京鋼鉄公司の広場は、光を失った影絵のように暗い。 | 陸一心(ルーイーシン) 一章 小日本鬼子, 二章 棄民, 三章 この子売ります, 四章 パーパ, 五章 アカシア, 六章 労働改造所, 七章 流刑, 八章 さくら さくら, 九章 百里香, 十章 直訴, 十一章 二つの手紙, 十二章 再会, 十三章 北京, 十四章 証し |
14 | 天の瞳 少年編U |
灰谷健次郎 | 角川書店 | 1999.4.5 | 2000.4.20 | この子は小学校へ入学するときも無頓着、無関心だったナ、と芽衣は思い出した。「中学校からの説明会の案内がきているのに、あなた、どうするつもりなの?」友だちと電話でなにか約束している倫太郎に、芽衣はいった。 | 小瀬倫太郎 小学校卒業後、そして中学校進学を間近に控えた倫太郎たち、倫太郎は中学校からの説明会の呼び出しをすっぽかしたり、ミツルは「校則で決められている制服は着ない。丸刈りにもしない」と宣言したりと、入学式の前から倫太郎たちの名前は学校中に知れ渡っていた。 |
13 | 冬の蜃気楼 | 山田太一 | 新潮社 | 1992.11.15 | 2000.4.15 | 1958年の初夏に、東京郊外の映画の撮影所で、私は初めて羽柴重作に逢った。 彼はセットの中国の民家の扉を蹴破って飛び込んで来る日本陸軍の将校を演じていた。 |
助監督 石田,羽柴重作 |
12 | プラハの春 | 春江一也 | 集英社 | 1997.5.31 | 2000.4.7 | 桜の季節が過ぎてまもない、暖かい夕暮れだった。都内永田町の総理大臣官邸正門に、黒塗りの乗用車が次々と吸い込まれるように到着していた。 1992年(平成四年)四月二十四日夕刻のことである。 |
堀江亮介、カテリーナ・グレーぺ 第一章 ブルダバの流れ,第二章 反体制活動家,第三章 暗い影,第四章 悲愁,第五章 プラハの春,第六章 「ミレナとワインを」,第七章 ワルシャワ書簡,第八章 その前夜,第九章 軍事介入,第十章 祈り |
11 | 郵便屋の涙 | 笹山久三 | 河出書房新社 | 1998.9.10 | 2000.3.15 | 車の流れる音。ヘッドライトが光の流れに感じられ、頭の中では、今日の一日がうごめいている。 20年勤めた郵便局から、強引に引き抜かれて、新しい郵便局に投げ込まれた。もう一週間になるか。前の郵便局では・・・ |
夜道、雨音、春の嵐 7ケタの郵便番号の向こう側で郵便屋さんは今日も泣いている。名作「郵便屋」から6年、ますます苛酷になる労働現場から郵政の実体をえぐる。「四万十川」の著者による迫真の長篇小説 |
10 | ベルリンの秋(下) | 春江一也 | 集英社 | 1999.6.30 | 2000.3.10 | シルビアがデビューするモードショーが開催されたのは、六月二十日だった。会場は東ベルリンのDDR衣料服飾公団展示ホールである。 堀江亮介は、午後六時からの開演を待ちかねて駆けつけた。ビビアニが特別招待券を送ってくれたのだ |
著者 春江一也・・・1962年外務省に入省。1965年から1969年まで在チェコスロバキア日本国大使館に勤務。1968年「プラハの春」事件に遭遇、ソ連・ワルシャワ条約機構軍によるプラハ侵攻の第一報を打電した。 |
9 | ベルリンの秋(上) | 春江一也 | 集英社 | 1999.6.30 | 2000.3.2 | 1970年3月-。モスクワ、ジェルジンスキー広場二番地、帝政ロシア時代は保険会社のビルであったというソ連KGB(国家保安委員会)本部だが、重苦しく陰惨な雰囲気を漂わせるのは、KGBという特異な抑圧機関の歴史が醸す、特殊なエーテルのせいなのだろう。 | 堀江亮介.シルビア・シュナイダー 「プラハの春」続編 |
8 | 燻り | 黒川博行 | 講談社 | 1998.9.5 | 2000.2.22 | 「これか・・・」"二筒"を捨てた。「ロン」吉村が手牌を倒した。「くそったれ」白川は缶ビールをあおって、「なんぼや」「リーチ・ピンフだけ。二千点」「セコイことさらすな」 | 短編集 燻り,腐れ縁,地を払う,二兎を追う,夜飛ぶ,迷い骨,タイト・フォーカス,忘れた鍵,錆 |
7 | 珍妃の井戸 | 浅田次郎 | 講談社 | 1997.12.10 | 2000.2.17 | 光栄ですわ、大英帝国海軍の提督ともあろうお方にメヌエットのお相手をしていただけるなんて、まるで夢のよう。 しかも今宵は、いったい何年ぶりの舞踏会でしょう。 |
小説現代 1996年12月号から1997年8月に連載 蒼穹の昴 の続編と言える 第一章 載沢殿下の舞踏会 第八章まで |
6 | 歩く旅シリーズ「奥の細道を歩く」 | 松井幸子 | 山と渓谷社 | 1999年9月 | 2000.2.11 | 「奥の細道」の中に挿入されている芭蕉の俳句を、今迄に幾度も読んだが、その中から秀句として次の三句を選ぶ。 閑かさや 岩にしみ入る 蝉の声 五月雨を あつめて早し 最上川 荒海や 佐渡によこたふ 天の川 |
元禄二年(1689年)46才 3月27日に出発し8月21日に大垣に到着 |
5 | ひとたびはポプラに臥す @ | 宮本輝 | 講談社 | 1997.12.5 | 2000.1.30 | ただひたすら長くて虚しい6700kmの道を、私は約40日かかって車で旅をしてきた。 日本を発ったのは1995年5月25日で、帰国したのは7月1日である。 |
鳩摩羅什(くまらじゅう)の歩いた道を歩く. 第一章 ・・・ 少年よ歩きだせ 第二章・・・麦の道 第三章 ・・・麻雀を考えついた国 第四章・・・ターパンツィー |
4 | 赤目四十八瀧心中未遂 | 車谷長吉 | 文芸春秋社 | 1998.1.10 1998.7.30 第3刷 |
2000.1.25 | 数年前、地下鉄神楽坂駅の伝言板に、白墨の字で「平川君は浅田君といっしょに、吉田拓郎の愛の賛歌をうたったので、部活は中止です。平川君は死んだ。」と書いてあった | 生島与一,あやちゃん |
3 | 躯 (カラダ) | 乃南アサ | 文芸春秋 | 1999.9.30 | 2000.1.18 | 「お父さんに、聞いてみないと」コーヒーカップをテーブルに戻しながら、愛子は微にため息を洩らした | 新感覚ホラー小説 ? 短編集 「臍」「血統」「つむじ」「尻」「顎」 |
2 | 蒼穹の昴 下 | 浅田次郎 | 講談社 | 1996.4.18 | 2000.1.16 | 親愛なるわが芸術の友、ジュゼッペ・カスチリョーネ様。 先日、主のお導きによりあなたの古いお手紙を手にすることが出来ました。 |
第五章 謀殺、第六章 双頭の竜 第八章 福音 |
1 | 草原の覇者 チンギス・ハンの一族 |
陳瞬臣 | 朝日新聞社 | 1997.5.5 | 2000.1.5 | 十字軍がエルサレムから退去したのは、1187年のことである。 1099以来この地を占領していた十字軍は力尽きて支配者であることを止めた |
朝日新聞1995年4月5日〜10月16日 (連載 第1回〜189回 |