読書記録 2001年

書名
著者
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発行日 読了日 イントロ メモ・登場人物
74 天下が揺らいだ日 南原幹雄 角川書店 2000.3.2 2001.12.28 早馬
東山道(のちの中仙道)愛知川(えちがわ)のひなびた宿場をすぎて、しばらく東北へすすむと、人家がとぎれて、松並木と田畑の田園風景がつづく。右手には鈴鹿山脈がはるかにつらなり、左手には湖東の近江盆地がひろがる。季節は晩秋で、田は稲狩りがおわり、苅田と畦道、稲架(はが)だけの広漠たる風景である。
感想
徳川時代の初期のころの鉄砲鍛冶の物語。当時の鉄砲産地は、堺、国友、日野、(国友、日野は共に近江の国)の三ヶ所、鉄砲の技術に遅れを取った日野鉄砲鍛冶「重友」を主人公にした物語、

主人公がなんとなく際立たない足掛け6年をかけて新技術をものにしたがその苦労がほとんど見えてこない。最後も
73 タンポポの雪が降ってた 香納諒一 角川書店 2001.2.28 2001.12.20 海を撃つ日
ディーラーの指先が、白いタマをルーレット盤の内壁にこすりつけるように投げこんだ。女のように、白くて細い指だった。小気味よい、それでいてある種の重みをともなう音がした。
タマは、回転盤のなかを、回転盤とは逆向きに滑っていく。様様な角度で打ちつけられた十四個の銅片の影響で、回転や速度や転がる方向そのものまで微妙に変えて転がりつづける。
著者略歴
1963年横浜生まれ。早稲田大学第一文学部卒。91年「ハミングで二番まで」で小説推理新人賞受賞。92年「時よ夜の海に瞑れ」(文庫版「夜の海に瞑れ」で長編デビュー。99年「幻の女」で日本推理作家協会賞受賞。「さらば狩人」「春になれば君は」「風よ遥に叫べ」「梟の拳」「ただ去るが如く」「炎の影」と、多彩な筆致で数々の長編を上梓している。短編集には「雨の中の犬」「深夜にいる」「天使たちの場所」「アウトロー」などがあり、現在もっとも期待される実力派の若手作家の一人

感想
ちょっと暗めの内容かな。短編集7編 「海を撃つ日」,「タンポポの雪が降ってた」「世界は冬に終わる」「ジンバラン・カフェ」「歳月」「大空と大地」「不良の樹」 しかし、どの短編も切り口が変わっており読み飽きない。「タンポポの雪が降ってた」のラストは宮本輝の「蛍川」を彷彿とさせた。
72 絵子 三田完 文藝春秋 2001.8.30 2001.12.19 ホームレスさん
肌に触れる空気がやっとぬるみ、浜町公園のサクラがちらほら花ほころぶ季節になると、下町にどっしり横たわる隅田川はほのかにメタンガスの匂いを放ちはじめる。つまりはどぶの臭気なのだけど、絵子は春から夏にかけ、川面からただよってくるこの匂いが決して嫌いじゃない
著者略歴
昭和39年、埼玉県に生れる。慶応義塾大学文学部卒業。現在は会社員。平成12年に「櫻川イワンの恋」で第80回オール読物新人賞を受賞


感想
いかにも、現代風の小説。軽いノリで気楽に読めた。
71 見張り搭からずっと 重松清 角川書店 1995.1.25 2001.12.17 最初は喋っているのかと思った。だが何度か聞き直してみると、確かにそれは鳴き声だった。クレエッ。「なにかをくれ」の「くれ」。カラスの鳴き声が、私の耳にはそんなふうに響く。榎田さん、いつだったか、あなたは「願望のあらわれじゃないですか?」と笑ったけど。 小説3本の作品集、「カラス」,「扉を開けて」、「陽だまりの猫」の3本、本のタイトルが中の作品のタイトルとダブらないのは珍しい。

相変わらず、重松清の作品は重い・・・が悪くはない。いやいい。カラスはマンションの中の村八分の問題、扉を開けては、一歳の子供を無くした夫婦の話、陽だまりの猫は、ヤンママと母親を必要以上に立てる旦那の話。
どれも、行動の行き過ぎを警告したはなしと言える。
70 冬の鷹 吉村昭 毎日新聞社 1974.7.10
1984.3.20 第4刷
2001.12.12 江戸の町々に、春の強い風が拭きつけていた。日本橋に通じる広い道を、中津藩医前野良澤は総髪を風になびかせながら歩いていた。風がおこると、乾いた土埃が馬糞をまじえてまきあがる。そのたびに両側につづく商家ののれんが音をたててはためいた。 解体新書をを訳した前野良澤を主人公に杉田玄白を対比的に描いた作品。私の知識では杉田玄白が最大の功労者で前野良沢はそれほどでもと思っていたが、この作品を読むと、訳のほとんどは前野良澤で杉田玄白は推進者的な役割であった。現代で言えば営業と技術者の違いか。この作品では前野良澤があまりにも学術的に生きた為、人生の後半は幸せでなかった様子が描かれている。一方杉田玄白は医者として最高の栄誉に恵まれ幸せな人生を過ごした。とあった。
69 燃えよ剣 下 司馬遼太郎 文藝春秋 1973.4.1
1981.4.25 第17刷
2001.12.6 与兵衛の店
「土方歳三を斬る」というはなしが伊東一派のあいだで真剣に論議されるようになったのは、この前後からであった。この前後、---つまり、新撰組が、京都守護職御預浪士という身分からはなれて、徳川家の直参に御取り立てになる。というはなしが具体化しはじめたころである。
感想
2001年の読書録として、ベスト5に入ろうか、2巻を読み終えたのは、会社の昼休み時間であった。しばらく、ボーっとしてしまった。この土方の生き様はなんと言うものだろうか、新撰組の生き残りが、北海道の五稜郭の戦いまでいたとは、自分の無知を思い知らされた。恥ずかしいかぎり。
しかし、司馬遼太郎はいい。しばらくこの著書を読み続けたい。
68 燃えよ剣 上 司馬遼太郎 文藝春秋 1973.2.1
1979.7.10 第16刷
2001.12.3 女の夜市
新撰組局長近藤勇が、副長の土方歳三とふたりっきりの場所では、「トシよ」と呼んだ、という。斬るか斬らぬかの相談ごとも二人きりのときは、「あの野郎をどうすべえ」と、つい、うまれ在所の武州多摩地言葉が出た。勇は上石原、歳三は石田村の出である。
キャッチコピー
時勢のながれなど問題ではない。男が殉ずるのは自分の思う美しさの為だ・・・激動する時代のさなかでただ剣のみを信じ、日本史上類をみない酷烈な軍事組織を創りあげた新撰組副長土方歳三

感想
私にとって司馬遼太郎の三作目(箱根の坂、花神))、相変わらずこの著者は面白い。ところでこの本、新撰組の副長、土方歳三の物語、徹底的な戦闘好きな男として描かれている。そんなところが小気味いい。
67 くるみ街道 青木奈緒 講談社 2001.1.25 2001.11.28 空の上の時間
再びドイツへ向かって飛ぶ。もうあらかた満席となったジャンボジェット、エコノミークラスの前列、窓際に座っている松村京の左隣りふた席だけはまだあいていた。すぐ前は非常口。ドイツ発日本行き、そしてまたこれからドイツへ帰るチケットを持っている京には、こんな前の方の席があてがわれることが多い。
著者略歴
青木奈緒(あおきなお)
1963年4月東京小石川に生れる。学習院大学文学部ドイツ文学科卒業、同大学院修士課程修了。オーストリア政府奨学金を得てウィーンに留学。その後1989年より通訳、翻訳などの仕事をしながらドイツに滞在。1998年秋、帰国してエッセイ「ハリネズミの道」を刊行

感想
ドイツを舞台にした日本人のドイツでの物語、著者の略歴に似て、主人公 京(みやこ)は翻訳を生活の糧とする女性。いかにも女性の書いたという本であった。
66 図解 豊かさの栄養学 丸元淑生 新潮社 1986.12.20
1996.7.20 21版
2001.11.22 生命活動の根元にある酵素
生物は体の中に海を持っている、といわれる。すべての生命体の源である海水のように、さまざまな化学物質を溶け込ませた水は、われわれの体重の三分の二を占め、細胞の内と外を浸している。
感想
赤血球がくっつきあって狭い血管を通れなくなる。の章を読むと、肉を食べる気がしなくなる。
肉を食べると、数時間後細胞に酸素が30%ほど行かなくなるので疲れやすくなるとあった。
65 暗雲(上) 生島治郎 小学館 1999.3.1 2001.11.21 その暗雲は、無邪気で人の好さそうな小母さんが韓国から持ち運んできた。 感想
全く最悪の本、老人ボケが書いた本なのか、何度もおなじことをくり返す記述と、特定の人物を捕らえ、韓国人と女性蔑視。信じられないこんな本があるなんて
64 春画 椎名誠 集英社 2001.2,28 2001.11.16 宿は空港から自動車で30分程のところにあった。どうしようか、と少し迷った。3月のはじめ、という季節はこの島が一番閉散とする時期で、私の乗ってきた年代物に間違いないターボプロップエンジンンのYS11型機に客は20人も乗っていなかった。 感想
久しぶりに退屈な本、前にも椎名誠の本を読んだ感想で、こんなことを書いた気がする。
63 口笛吹いて 重松清 文藝春秋 2001.4.20 2001.11.13 係長と型どおりの初対面の挨拶をしたときには、ろくに顔も見なかった。先月から三日と空けずに通い詰めている若い営業マンの北島くんが「ウチも勝負かけてますんで、今日は上を連れてきました」と張りのある声で言う、その力みぐあいを少しうとましく感じたせいもある。 キャッチコピー1
新直木賞作家、受賞後初の小説集  自分勝手な思い出のために、人を使うなよ。 26年前に別れた少年時代のヒーローとの切なく苦い再会を描いた表題作はじめ、さらなる一歩を踏み出した著者会心の5つの小説世界

キャッチコピー2
「もう、嫌なんだ・・・」声が震えた。「こんな晋さん、もう見たくないんだ」「これが俺なんだけどな」と晋さんは言った。わかっている。おもいでにすがって、つまらない感傷にひたって、僕はたいせつなものを自分の手で壊してしまった。

感想
大阪の出張の行き帰りに読んだ。重松清の本はもう何冊目なのかな。この著者はちょっと重苦しい感じのする本ではあるが読みやすいことは読みやすい。
62 或る酒場 萩原洋子 毎日新聞社 1994.5.25 2001.11.9 著者略歴
萩原洋子
1920年、東京生れ。詩人、萩原朔太郎の長女。小説家、エッセイスト。
1959年、「父・萩原朔太郎」で日本エッセイスト・クラブ賞、1966年、「天上の花」で田村俊子賞・新潮社文学賞、1976年、「 麻の家」で女流文学賞をそれぞれ受賞。主な著書に「木馬館」「置き去りにされたマリア」「穢れた仮面」「出発に年齢はない」[お姑さんとよばないで」「舞台」「少女の悩みを越えて」「美少年虫」などがある。
感想
酔櫻という或る酒場を舞台にそこに出入りする人間模様を描いた作品。感動も特になし
61 すぐそばの彼方 白石一文 角川書店 2001.6.30 2001.11.7 JR中央線、高円寺駅の北口はちょっとした商店街になっている。駅というのは不思議なものだ。表と裏があって決まって片側だけが開けている。いかに賑やかな街であっても駅裏というのは妙に寂しく精彩がない。どんな都市でも、駅周辺の再開発が必ず政治のテーマとなり得るのは、そうした不思議な属性が駅そのものにあるからだ-とは父、龍三の持論である。 著者略歴
白石一文
1958年福岡県生れ。早稲田大学政治経済学部卒業。雑誌記者を経て、2000年「一瞬の光」で小説家としてデビューし、各誌紙に大絶賛をを受ける。その他の著書に「不自由な心」(短編集)がある。

感想
著名な政治家を持つ次男坊の恋の物語、精神を病んで、親から監視され金の心配ばかりしている主人公が突然、精神が元に戻り最後は大どんでん返し
60 ご立派すぎて 鈴木輝一郎 講談社 1995.7.10 2001.11.2 1.最初の一歩でだるまさんがころんだ
結婚-それは葬式と並ぶ、人類共通の行事である。葬式は一人につき一生一度と限られているが、結婚はそうとは限らない。この点で結婚は葬式に比べてやや重きに欠ける。とはいえ、相手がいないと成立しない点では葬式よりも難しい。
著者紹介
鈴木輝一郎
昭和35年岐阜県大垣市生まれ。日本大学経済学部卒業。平成3年「情断」(講談社)でデビュー。その後「狐狸ない紳士(光文社)、「国書偽造」(出版芸術社」)など、実に多彩な出版活動を展開。昨年の第47回日本推理作家協会賞の短編賞も「めんどうみてあげるね」で受賞した。

感想
ご立派すぎて・・・という言葉が見合いの断りの決り文句とは知らなかった。この本は見合い歴25回という見合い失敗のエピソードを次から次へとオンパレードで展開する。どうも失敗談というのは見るに絶えずでところどころ飛ばし読みと相成った。
59 アルジャーノン、チャーリイ、そして私 ダニエル・キイス

小尾芙佐
早川書房 2000.12.15 2001.10.31 1 アイデアの地下貯蔵庫
そんなことがわが身に起こるとは考えてもみなかった。ごく若いときの私は極度の近視で-視力は0.05、眼鏡がなければ、あらゆるものがぼやけて見えた-いつかはきっと目が見えなくなると思いこんでいた。そこで先手を打とうと準備に怠りなかった。なんでもきちんと整理して、すべてのものがあるべき場所にきちんと置かれるように努力をした。
キャッチコピー1
広末涼子さん推薦 あなたの未来に自信が無い時、自分の才能に不安を感じた時、きっとこの本は、信じる力を与えてくれます。

キャッチコピー2
「アルジャーノンに花束を」誕生までの軌跡をキイス自信が語り明かした感動の自伝
58 湖底 薄井ゆうじ 双葉社 2001.7.20 2001.10.27 序章
22年前-。秋の山道を六人の子供が登っていた。ダッチン、デミ、嶋本、テンドン、ナルカン、そしてトミー。これが遠原村の小中学校をあわせた全校生徒だ。引率する初老の校長兼担任の戸部三郎は息を切らしている。
細い山道に敷き詰められた落ち葉が、歩くたびに、かさかさと音を立てる。
キャッチコピー1
湖の底から現れた校舎に集う同級生 20年前の卒業式の日 彼らに何が起きたのか 生と死のあやうい世界で描く人間再生の物語

キャッチコピー2
幸せなんて、青臭い言葉だ。使い古された手垢のついた言葉だ。だけどそれが宝物だった。時代があったんだ。幸福。それは紛れもなくきみたちの、生きるための約束だったんだ。

感想
キャッチコピー1は、完全に売らんかなの過大な宣伝。わけのわからない現実と空想の描写。いじめられたから復讐するのではなく、変わりに死んでいったのに、幸福になるという約束を守らなかったから復讐するのだという論調。全くギクシャクした展開、構成はがっかりであった。
57 花神(二) 司馬遼太郎 新潮社 1972.6.25
1976.6.10 第14刷
2001.10.22 麻布屋敷
夏になった。長州藩は蔵六の身分について事務処理をおわった。幕府も、-番所調所と講武所に出仕をつづけてくれるならば、それでよろしい。ということになり、かんじんの宇和島藩のほうも、当藩の兵書を翻訳してくれるならば、という条件で承知した。ところが長州藩における蔵六の処遇はよくない
章立て
麻布屋敷、山河、前途、凝華洞の砲声、長門の国、情縁

感想
宇和島藩、幕府の講師という立場から長州の下級の武士になり、桂小五郎の引き立てにより、軍事の最高指揮官となるところまで、
司馬遼太郎の本は、ところどころに小説の筋を離れ、今風に解説するところがユニークである。
56 花神(一) 司馬遼太郎 新潮社 1972.5.25
1976.6.10 第15刷
2001.10.18 浪華の塾
「適塾」という、むかし大阪の北船場にあった蘭医学の私塾が、因縁からいえば国立大阪大学の前身ということになっている。宗教にとって教祖が必要であるように、私学にとってもすぐれた校祖があるほうがのぞましいという説があるがその点で、大阪大学は政府がつくった大学ながら、私学だけがもちうるという校祖をもっているという、いわば奇妙な因縁をせおっている。
章立て
浪華の塾、別の話、鋳銭司村、宇和島へ、城下、オランダ紋章、江戸鳩居堂、運命、

感想
大村益次郎の物語、村田良庵、村田蔵六と呼び名は変わっている。官軍の天才戦術家と言われたこの人物、過去名前だけはしっていたがどんな人かは全くしらなかっため興味深く読めた。 司馬遼太郎の本は面白い。
55 さんじらこ 芦原すなお 毎日新聞社 1998.2.25 2001.10.13 第一章 逆三行半
樫森泰助が敷きっぱなしの布団を畳む気になったのは、寝込んでから二十日あまり後のことで、時あたかも啓蟄のころであった。
冬ごもりしていた虫が這いだすのがこのごろだと言われているが、うすよごれた茶色のストライブのパジャマを着た四十七歳のこの男はなんだかミノムシを連想させる。
キャッチコピー@
妻ニモ負ケズ、世間ニモ負ケズ・・・
ぼくは、この「サンジラコ」の世界を、男らしく、品位を持って、生き抜いて見せるのだ!!!!
「団塊」世代の男たちに送る、熱いエール!

キャッチコピーA
妻に突然、逆三行半を突きつけられた、樫森泰助47歳。企業戦士の友の死、初恋の人との再会、離れ行く娘の心。そして次々と不思議なことが・・・・。男泰助、行き着く先に待つものは?

感想
最後の所、泰助が交通事故に会い、急転直下状況が動く。ちょっと結末をはしょったのではないかと思うくらい不自然。
まあ、あまりこの作者は読みたいとは思わない。
この作者、読んだのは1作目と思ったのだがリストを見直したらNo46の「月夜の晩に火事がいて」があった。その中の感想ではもう1作読んでみたいと書いてあった。 我ながら・・・
54 覇者(はしゃ) <上>
信濃戦雲録第二部
井沢元彦 詳伝社 1995.7.20 2001.10.5 暖国の風
心地よい海風が、砂浜の松の下にも吹き寄せてきた。白い砂の向こうには青い海が広がっている。海には、ところどころに島が浮かび、島と島の間を、帆をふくらませた船が行き交っている。一日、眺めていても飽きない風景である。その松の根方で太刀と笠を置き、午睡を楽しんでいた男が、人の気配に目を覚ました。
キャッチコピー
天下制覇の野望に燃える武田信玄に旧主を滅ぼされた望月誠之助は、武田滅亡を誓い仕官先を求め旅に出た。そして滝川一益の知遇を得、"信玄を倒すのはわが主君"と断言される。一益の主こそ、将軍足利義昭を奉じ上洛を果たした織田信長であった。・・・騎馬軍団を主力とし、信濃に続き駿河を狙う信玄。一方、貿易港堺を押さえ商業振興を図り、新兵器鉄砲を戦場に導入せんとする信長。一武士の目を通し、中世から近世へと変わる戦国の世を鮮烈に描く歴史巨編の第一弾!
53 沈まぬ太陽(伍) 会長室篇・下 山崎豊子 新潮社 1999.9.10 2001.10.2 第八章 風
軽井沢から、自家用大型ヘリが、横浜の海岸方向に向かって、一直線に飛んでいた。乗っているのは、道塚運輸大臣とSP、国民航空秘書課長の川野の三人で、静養崎から抜け出してのおしのびの外出であった。
予め連絡しておいた警察用ヘリポートに舞い降りると、道塚大臣は川野の案内で、SPと共にひっそり待機させていた車に乗り込んだ。
巻末の文章ががすごい。通常は登場人物は実在ではありませんと書くが、この小説では、「この作品は、多数の関係者を取材したもので、登場人物、各機関・組織なども事実に基き、小説的に再構築したものである。他だし御巣鷹山事故に関しては、一部のご遺族と関係者を実名にさせて戴いたことを明記します」とあった。

日本航空と日本政府の癒着の状態を激しく突いているが、結末でどのように罰されたかは書かれていない。実際はどうであったのだろうか。記憶によれば、そんなことはなかったような気がする。

そうするとこの本はすごい本だなと感心する。
52 沈まぬ太陽(四) 会長室篇・上 山崎豊子 新潮社 1999.8.25 2001.10.1 第一章 新生
利根川総理は、運輸大臣が重苦しい表情で退っていくと、執務室に並んだ電話の、外線用の受話器を取り上げた。「私です。例の件、まだ決まらないのですか、え? 三人目も辞退-、今、運輸大臣がやってきたところだが、もちろん、何も情報は与えていない。つまらない雑音が入るからねぇ、だが、何としても、年内には国民航空の新体制をスタートさせなければ、首相としての鼎の軽重を問われかねない、ここは急いで戴きたい。
第4巻は、ずっと左遷されてきた主人公の「恩地」が、会長室に抜擢され活躍の兆しが見えはじめる。 旧経営陣の腐食の実態を描写する場面が続く
51 粗食のすすめ 幕内秀夫 新潮社 2000.10.10 2001.9.28 前章
数年前、埼玉県の庄和町で町長が「学校給食を廃止する」と発言して大きな話題になったことがある。その際、連日のように新聞やテレビがその問題を取り上げた。有識者と呼ばれる人たちが、さまざまな立場で意見を述べている。それは、教育、健康、家族、主婦の家事と労働、そして、栄養問題などからであった。
キャッチコピー
アトピー、アレルギー、成人病の蔓延、西洋型の食生活は果して日本人を健康にしただろうか。日本の風土に根ざす穀類中心の食事を訴えた話題のベストセラー。

著者略歴
幕内秀夫(マクウチ ヒデオ) 管理栄養士。1953年生れ。伝統食と民間療法の研究が専門。病院で栄養指導をつづけるかたわら執筆活動を行う。「粗食のすすめ」 「粗食のすすめ 実践マニュアル」 「粗食のすすめ レシピ集」などの著書はベストセラーとなる。

感想
筆者の苗字が"幕内"とあり、食べ物関係の本と言うことで、幕ノ内弁当を思い浮かべるのは私だけでしょうか。和食礼賛の本、特に米食をべた褒め、いわく" ごはん(米食)はたくさん食べても太らない"と書かれており、その日以降、ちょっと食べ過ぎ・・・・本当に太らないかな? ちょっと心配
50 ナイフ 重松清 新潮社 1997.11.20 2001.9.21 ワニとハブとひょうたん池で
町にワニが棲みついた。あたしが新聞記事でそれを知ったのは、夏休みが始まってしばらくたった頃だった。記事によると、「大泉公園のひょうたん池にワニがいる」という噂は、夏休み前からひそかに流れていたらしい。中年のアマチュアカメラマンが草むらを歩く体調90cmほどのワニを目撃したのが五月、もっとさかのぼって、四月と前の年の九月にも、造園関係の人がワニらしき生きものを見かけていたそうだ。
4編
ワニとハブとひょうたん池で、ナイフ、キャッチボール日和、エビスくん、ビタースィート・ホーム

キャッチコピー
私にはわかる。真司は、私たちの望む子供でありつづけよとしている。体は小さくとも全身に明るさをみなぎらせようとしていた夏休みまでの自分のままで、私たちに接しようとしている。無意味でやるせない強がりを失ったとな、真司は彼を取り囲む世界に対してうなだれてしまい、もう二度と頭を上げることはできないだろう。・・・ (「ナイフ」より)

感想・メモ
最後の1編を 除き、いずれも「いじめ」の問題を扱ったもの。「キャッチボール日和」、「エビスくん」は、久しぶりに涙ウルウルもの、朝の通勤電車で渋谷駅で危なく乗り過ごすところであった。
49 「父よ、岡の上の星よ」 曽野綾子 河出書房出版社 1999.1.20 2001.9.17 沈黙の海
初冬の晴れた日の午後、二人の若い男女が「観潮崎老人ホーム」の玄関を出て来た。女性の方が記者、男がカメラマンである。「ありがとうございました!」と二人は、玄関まで送って来た職員にていねいに頭を下げた。
短編集 9編
沈黙の海、砦の生活、悲しみの道、「父よ、岡の上の星よ」、豚が来た!、慰めの土地、或る成功者の老後、無言の新月、一夜

著者略歴
1931年、東京生まれ。聖心女子大学英文科卒業。著書として「遠来の客たち」「無明灯」奇蹟「湖水誕生」「神の汚れた手」「讃美する旅人」「天井の青」「夢に殉ず」「飼猫ボタ子の生活と意見」等多数。1993年、第49回恩賜賞・日本芸術院賞を受賞する。
感想・メモ
トマス・ア・ケンビス(ドイツ生まれでオランダにいた修道士)の言葉
「平和な人は、学者よりも、人のためになることが多い」 「他人が何をしなければならないかということについて、人間は気をもむけれども、自分がなすべきことに対しては怠惰である」 [我慢してもらいたいならば、他人をも我慢しなさい」 - 豚が来た!より

キリスト教の教会の話にまつわる物語が多い
48 箱根の坂(下) 司馬遼太郎 講談社 1984.6.20
1989.9.20 第5刷発行
2001.9.12 伊豆の山
駿河に帰った早雲は、まず駿府の館に伺候して今川氏親に拝謁し、今日でのみやげ話を披露した。「加賀一国は、坊主と百姓の持ちたる国に相成り候」ということについては濃厚に話した。氏親も守護である以上、加賀の富樫政親の運命におちる基礎的な要素はある。「惣」ということについても、話した。
章立て
伊豆の山、修善寺の湯、出帆、襲撃、三浦半島、出陣、秋の涯、高見原、三島明神、箱根別当、坂を越ゆ、早雲庵

メモ
小田原が小田原であることののたのもしさよ
と、つぶやいた。日本の地名につく小は、物の大小をあらわすよりも、その地へのいとおしさをこめた場合が多い。今日の近郊にある小野も大原も、単に野といい、原といえばいいところを「お」をつけてその耕作地に愛情をこめてよんだといるところから出た。

感想
全3巻の長編であったが大変面白かった。またこの著者も大変読みやすく別の本も読んでみたい。
47 箱根の坂(中) 司馬遼太郎 講談社 1984.5.20
1989.9.20 第6刷発行
2001.9.10 征途
その翌日、早雲は、今日から消えた。ただし、すぐさま駿河に下向したのではない。まず、容儀をととのえねばならなかった。容儀の第一は、家来をもつことであった。しかしながら早雲に家来などいるわけがなく、ここは、宇治の奥の田原の里を訪ね、荒木兵庫や山中小次郎にたのまねばならない。もっとも、扶持も知行もやってないのに、-わが家来になってくれるか。というのは、滑稽そのものではある。早雲は、-かたちだけの主従になってくれ。とたのむつもりであった。
章立て
征途、富士が嶺、太田道灌、興国寺城、伊勢の弓、歳月、空よりひろき、丸子と駿府、面白の都や

感想
中巻では、早雲が駿河に来て今川の幼君を守り立て約11年の歳月をかけて正規の守護職につけた活躍を描いている。この間早雲45歳から56歳のことである。戦国時代の約50年前の平均年齢が40歳くらいだった時代での話である。それと百姓のための領主であったということもびっくりした。さらに百姓のためというのが早雲がはじめてのことであるということも感嘆した。


46 月夜の晩に火事がいて 芦原すなお マガジンハウス 1999.5.20 2001.9.2 第一章
1993年、4月
シューシュー、シューシュー泣いている声がうるさくて、おちおち寝ていられない。いったいどこの子どもだろう? それにしても妙な泣き声だ。泣き方をちゃんと習っていないのに違いない。飛び方を習いそこなって、鶏のように地べたを這いずり回って生涯を終えたトンビの話を思い出した。いや、そんな夢を見たんだっけか。
著者略歴
1949年香川県生れ。86年「スサノオ自伝」で小説家デビュー。90年「青春デンデケデケデケ」で文藝賞、翌年直木賞受賞。近著に「東京シック・ブルース」「ブルーフォックス・パラドックス」「雨鶏」「新・夢十夜」など。

感想
面白い。ジャンルは推理小説という分類になるが、推理小説によくある堅苦しさはない。また登場人物が面白く、特にイミコという人物の喋りには思わず頬が緩んでしまう。別の作品も読んでみたい。

登場人物
山浦歩(主人公)、志穂、畝一、第一郎、奈美、トントンばーばん、イミコ、参吉
45 ぬかるんでから さとうてつや 文芸春秋 2001.5.30 2001.8.29 これは奇跡に関する物語だ。その奇跡の実現のために海はなんども見をくねらせて巨大な波を幾重にも幾重にも繰り出し、無量のしぶきをとばして大地を濡らした。町は沈み丘は浸り、地上の水は海の水と交じりあって褐色を帯び、泥は溢れて道を走り、川に流れて遂に辺りは一面のぬかるみとなった。 著者略歴
1960年浜松市生れ。成城大学法学部卒業。93年に「イラハイ」で第5回日本ファンタジーノベル大賞を受賞し、デビュー。96年の「沢蟹負けると意志の力」に続き、本作品は3作目、初めて短編集となる。

感想
読み応えほとんどなし。前にもファンタジー小説と言うものを読んでがっくりと来たが今回も同じ。二度と選ぶまい。
44 火夜(ひや) 増田みず子 新潮社 1998.10.30 2001.8.24 夏の部
夏といえば怪談がつきものだが、どんな家にも、ひとつやふたつは、代々伝わっている怪談めいた因縁話があるものだろう。私の家にも、おかしな話がいくつか残っている。
増田を名乗る父方は、何だか秘密の多い一族で、私はあまり好きではない。秘密が多くなった原因のひとつは、代々、男女関係にだらしなかったからである。正式に結婚する者が少ないので母親の名前すらわからない子供がたくさん生れた。誰と誰は外見的に親子だが実はきょうだいであったり、誰と誰は本当は血がつながっていなかったりする、という話は枚挙にいとまがない。そのために不幸な一生を送ったと思われる人物も少なくない。
著者略歴
1948(昭和23)年、東京生れ。東京農工大学農学部植物防疫学科を卒業後、日本医科大学生化学教室に勤務。77年、「死後の関係」が第9回新潮新人賞候補となる。80年、日本医科大学を辞め、以後創作に専念する。84年の「自由時間」で第7回野間文芸新人賞を、86年に「シングル・セル」で第14回泉鏡花文学賞を受賞。その他、「風道」、「妖春記」、「わたしの東京物語」なだ著者多数

感想
この小説は、私小説というものかな。著者と主人公は「増田みず子」、「増田瑞子(みずこ)」で発音は一緒で、名前だけがひらがなと漢字の違いである。ひらがなはペンネームとするとやはり同一人物と思われる。タイトルの火夜はどうも火屋からきているのではないだろうか。火屋は広辞苑によれば火葬場となっており、この小説の中にはあちこちに遺体が火に包まれる場面があり、また祖父の代は火葬場の経営者兼作業員である。全般に暗い小説である。
43 沈まぬ太陽(三)御巣高山篇 山崎豊子 新潮社 1999.7.30,
1999.12.20第10刷発行
2001.8.21 第一章 レーダー
所沢の東京航空交通管制部(ACC)では、天井の低いプラネタリウムのように暗い空間に、緑や青の灯りが光っている。部屋の右側には東日本空域をカバーするレーダー画面、左側には西日本空域をカバーするレーダーが、ずらりと並んでいる。円形の濃いグレーの画面には、現在、航行中の機影を示す輝点とその便名、目的地、高度などが緑色の数字や符号で表示され、間断なく動いている。
あの有名な日航機の墜落事故の御巣高山を扱ったこの三巻ははあまりにも衝撃的な内容で墜落によるすさまじさを伝えている。
一、二巻の主人公、恩地はほとんど登場せず、事故の詳細に終始しており、鬼気迫る描写が続く。
42 ゴミの定理 清水義範 実業之日本社 2001.1.25 2001.8.16 スチール製のドアにとりつけてある新聞受けから朝刊をとって、ダイニング・テーブルの上にそれを広げた。一面の政治記事から読んでいく。荒垣首相の支持率が十三パーセントも下落したという調査結果が出ていた。ついに四十パーセントを割ってしまったということだ。
首相も、ここがいちばん苦しいところだろうな、と思う。新しく首相になった七ヶ月前が、いちばん支持率が高かったはずだ。庶民派で気取らない好人物ぶりが、国民に好意的に受け止められたのだろう。
キャッチコピー
この本は、日本の深刻な環境問題であるゴミについて、ある数学者が独自の数式を用いて、その解決策を提示する・・・小説です。

短編集
他小説、ニュース・ヴァリュー、ドラマッチク・ハイスクルール、鄙根村の歩き方、ケータイ星人、楽しい家族旅行、夢の話、ガイドの話、ピデオを見る、泥江龍彦のイラン旅行、鮫島村のデナーショー、ゴミの定理
41 どいつもこいつも 永倉万治 新潮社 1998.9.20 2001.8.13 わたしは母親ゆずりの偏頭痛持ちのプロよ。更年期になったら、もっとひどくなるわよ」と何故か得意げにいうのだ。本当に嫌になっちゃうよ。変なところだけ母親に似るんだから。四つ違いの兄貴は、偏頭痛の気配もない。おまけに兄はわたしから見ても、いま風のハンサムボーイだ。輪郭がシャープで、どんな格好をしてもサマになる。それに比べて、わたしは十人並みというか平凡な顔だ キャッチコピー
疲れているよ現代人。ストレスたまるよ男も女も・・・・一見平和な、世紀末平成ニッポン。しかし、いろいろと、ないよであるのがこの浮世。女子高生にも、OLにも、プータローにも窓際サラリーマンにも、等しく降りそそぐプレッシャー。この短編集で、ちょっとだけゆるんで下さい。

「リストラがなんだ!」「ブスで悪いか!」「-ったくもう、どいつもこいつも!」と叫びたい人、読みなさい。

短編集
プライドチキンの夜、誕生日、銀杏、S高原の一夜、結婚願望、南の島、冬の雷鳴、三十歳、妊娠と淫売、どいつもこいつも、フンちゃん、雪の降るまちを
40 神の汚れた手(下) 曽野綾子 朝日新聞社 1980.2.10 1980.3.15 第4刷発行 2001.8.8 万世一系
梅雨が晴れたこともあって、あたりは何となく活気づいたが、理由は決してお天気ばかりでないことを
貞春は感じていた。
或る日、貞治が手術室の前を通りかかると、その午後に予定されている帝王切開の用意をしていた看護婦たちの声が聞こえて来たが、そのなかの一人が、「私、ちょっと行ってミコたんの顔みて来るね。一日見ないと、落ち着かないよ」と言っているのであった。
「早く行っておいでよ、大体、この人はトイレでも何でもこらえ性がないんだから」笑い声が聞こえる。貞春は、さっさとその前を通り抜けた。しかし、都がそれほど看護婦たちにかわいがられているということは、意外なようであり、半ば計算されたことだったような気もした。
登場人物 筧徭子

プレスリーの歌

夕の祈り

もし私が今日、誰かの心を傷つけたなら
もし私が一歩、つまずきの原因となったなら
もし私がみじめさの中に、自分を見失ったなら
愛する神よ、お許し下さい。
あなたにうちあけた罪と
あなたにも隠した秘密の罪とを
どうか許して下さい。

タイトル ノウン・オンリー・トウ・ヒム

我、未来に何があるやを知らず

されど我、未来を司るものの誰なるやを知る
そは神のみに知られたる秘密なり
恐れと疑惑の世に生きて我
跪きて何故に重き十字架を担うやを問えり
その時、神、我が祈りのうちにて語り給う
39 神の汚れた手(上) 曽野綾子 朝日新聞社 1979.12.10
1980.3.10 第5刷発行
2001.8.2 光と風
今から十年ほど前、野辺地貞春は、産婦人科の医院を開業するために、湘南で土地を物色していたが、その時、彼の頭にあったのは、できれば海の近くに行きたい、ということであった。貞春は神奈川県の厨子で生れた。家から海から見えたわけではないが、風にはいつも「太平洋の匂い」がした。
主人公 野辺地貞春 、妻 真弓、長女 香苗

主人公は産婦人科医、妻は旅行好きで家に殆どいない。
1作目の夫婦も、片方がてんで人間的にだめな人物として描いていた。
この著書の主人公は、本当に背伸びをしないで当たり前の人間として登場させ読む人を安心させる。
38 カカシの夏休み 重松清 文芸春秋 2000.5.10 2001.7.31 帰りたい。
ふと、思った。黒板に描いた図形を板書用の大きなコンパスの先で指し示しながら、教科書の例題を解説しているときだった。目の前の教室の風景が、その瞬間、厚みをうしない、授業に退屈していた子供たちのざわめきが消えた。
僕はコンパスを持っていた右手をだらんと下におろし、窓の外に目をやった。
カカシの夏休み
小谷先生(コンタ)、日羽山、安達、清水、高木、小川由美子

ライオン先生
雄介、智子、恵理

未来
長谷川君、笹岡、
37 箱根の坂 司馬遼太郎 講談社 1984.4.20
1989.9.20
第7版発行
2001.7.26 若厄介
このあたりでは山中小次郎のことを、たれもそのようにはよばない。「山中の若厄介」と呼んでいる。
小次郎は、山中家の世継ぎではない。次男であるがために生まれつき「厄介」の烙印を背に捺されている。兄の名は-名などどうでもよいが-山中主計盛義というたいそうな名乗りである。が、ありようは農民とかわらなかった。山民ともいえる。
北条早雲の物語 。後半の最後の方で、伊勢新九郎が北条早雲という種明かしをしている。室町時代の終わりの応仁の乱、前後の時代、足利義政、足利義視の名が登場する。
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章立て
若厄介、京、伊勢殿、新九郎、千萱、駿河舞、骨皮道賢、一夜念仏、兵火、出奔、早雲、急転
36 俺は清海入道 東郷隆 集英社 2000.4.30 2001.7.19 其の一 清海入道、是害坊と名乗って強力を見せること
一 京は花の季節である。東山の高みに登って見渡せば、桑茶色に染まった家並のあちこちに鴇色の霞がかかり、まるで絵草子の表紙を見るようだ。[凡そ京俗、春弥生、花開く毎に男女群れて出歩く、是を花見と称す」と人は書く。旧暦三月、都の楽しみは、まず花遊びであった。
キャッチコピー
まかり出ました怪法師。容貌怪異。腕力抜群。花の都に現れて、なみいる敵をばったばったとなぎ倒す。御存知、真田十勇士の一人、清海入道の抱腹絶倒武勇談。いざ一幕のお楽しみとござい。

著者略歴
'51年横浜市生れ。国学院大学経済学部卒。同大学博物館学研究助手、編集者を経て作家に。'94年「大砲松」で吉川栄治文学新人賞を受賞。著書に「人造記」「洛中の霧」「幕末袖がらみ」「蓮ちゃんの神様」「御町見役うずら伝右衛門」など多数
35
慶次郎縁側日記
北原亜以子 新潮社 2000.10.20 2001.7.11
父から商売を引き継いではじめての江戸、その帰り道だった。往きには薬が詰まっていた背中の行李を揺すりあげて、四方吉はなお足を早めた。商売はうまくいった。それを、父の茂兵衛に知らせたかった。
短編集
「峠」「天下の回りもの」「蝶」「金縛り」「人攫い」「女難の相」「お荷物」「三分の一」の8編
34 異形武夫 高橋直樹 新潮社 2001.4.20 2001.7.9 葛の楠木
賀茂の葵祭りは京の都の風物詩である。
一条大路の両脇には仮設の桟敷が広く渡され、貴顕の牛車が並ぶ。見物人の押しよせるにぎわいはこの年も変わらなかったものの、桟敷の隅に止められたある牛車の中で、その法体の男はため息をついている。
キャッチコピー1
国家分裂、展望なしの南北朝。天下の舵取りにはケタ外れの異形の男にしかつとまらぬ

キャッチコピー2
出口はどこか。夜明けはいつか。 国家が分裂し、日本史上未曾有の混沌に陥った南北朝時代。常識外れの野望と智謀で天下の騒乱に終止符を打とうとした楠木正成、千種忠顕、高師直の三傑。彼らの戦いと煩悶、運命の皮肉を兼好法師「徒然草」の警句をちりばめて描く歴史小説

著者略歴
1960年、東京生まれ。92年「尼子悲話」でオール読物新人賞を受賞、また同作を収録した「闇の松明」で95年山本周五郎賞候補となる。96年「異形の寵児」で直木賞候補、97年「鎌倉乱」で中山義秀文学賞を受賞。「山中鹿之助」「鬼哭死 」「虚空伝説」なで著作多数。歴史・時代小説界の時代をになう若手作家の一人
33 いちげんさん デビッド・ゾペティ 集英社 1997.1.11 2001.7.5 第一章
京子に最初に出会ったのは大学三年生の時だった。激しい霙が降り、ひどい二日酔いに悩まされた一月末の昼下がりだった。
キャンパスの隅に赤い煉瓦造りのこぢんまりした建物があって、一階の角に位置する小さな部屋は大学の留学生ラウンジだった。その部分だけが建物全体から小さな半島のように突き出ているのと、さまざまな国の学生が常に集まっているのにちなんで、みんなは出島と読んでいた。
登場人物
留学生・・・京都の大学に通う。名前は「イッケン」?
中村京子・・・盲目の女性(20代)

感想
タイトルの「いちげんさん」の意味がわかならい。対面朗読で知り合った留学生と盲目の女性との恋
32 ブリューゲルの家族 曽野綾子 光文社 1995.5.30 2001.7.2 第一章 日々を籠で運び出す
突然、身も知らぬ読者から、お手紙を差し上げる失礼をお許しください。
実を申しますと、私はあなたのよい読書ではありません。ずっと昔、何かのご本を読んだことがあるのですが、その題も内容も、もう覚えてはおりません。しかし時々、あなたが新聞や雑誌などに発表される短いエッセイの橋々を拝見したことはあります。
私があなたに手紙を差し上げようと思った最大の理由は、あなたが、知人のことは、特別に相手の許可がない限り、書かない、ということをいつか書いていらしたかたです。その言葉が、私を気楽にさせました。
登場人物
54歳になる主婦、その息子(24歳)、その主人

感想
読後感は満足のひとこと、主婦が背伸びをせず等身大の性格をそのままさらけ出していて、気持ちがいい。所々に気持ちのよい言葉が潜んでいる。
・「どうして窓を開けるの」「嫌いな言葉は出て行くだろう」
・理由も何もありません。一人の人が喜ぶということは、純粋に見ていて気持ちのいいことではありませんか。
31 ニュースキャスター 山川健一 幻冬社 2001.1.10 2001.6.28 1 埋め込まれた異物
1994年、十月第二週月曜日、午後9時20分。間宮昇一は、新宿歌舞伎町の通りを歩いていた。背広の上にコートを羽織り、両手をポケットに突っ込んでいた。路肩には客待ちのタクシーが列を作り、歩道にはケバケバしいコートやジャケットを着て、短いスカートから脚を剥き出しにした女達が立っている。コロンビアやイラン、香港や台湾や東南アジアからやってきた女達だ。日本人は数えるほどしかいない。客引きの男達が交わす会話も、間宮には聞き慣れない中国だった。
登場人物
立花耕一、奥野香奈子、立花卓也、菜穂子


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著者略歴
1953年千葉県生まれ。77年「鏡の中のガラスの船」で群像新人賞優秀作受賞。著書は100冊を超える。代表作に「水晶の夜」「ロックス」「安息の地」など。小説のほか「ブリティッシュ・ロックへの旅」「僕らがポルシェを愛する理由」「快楽のアルファロメオ」「日曜日のiMac」「オーラが見える毎日」などのエッセイ集がある。99年から作品集の刊行をスタート。「iNovel/Angels水晶の夜」「iNovel/Rocks 峰の王様」が刊行されている。ウェブマガジン"I'M HERE"(http://www.imhere.com/)編集長。HomePage"BE HAPPY!"(http://www.jamaken.com/)
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朝日放送のニュースステーションの久米ひろしを充分に意識した作品。ニュース番組の裏側もわかり、またハッカーも登場し充分面白かった。
30 沈まぬ太陽(二)アフリカ編・下 山崎豊子 新潮社 1999.6.25 2001.6.23 第七章 テヘラン
テヘランもまた、砂漠の中の街であった。冬のテヘランは厳しく、正面に連なる3,400m級のエルブールズ山脈は真っ白な雪で覆われている。山裾から南へ、街を貫くパーラビ通りの葉の落ちたプラタナスの街路樹の根元にも、雪が残っている。冬は氷点下十度、夏は四十度と、年間の温度差が世界一、著しい土地であった。
登場人物
恩地元 テヘラン支店→ナイロビ
役員 堂本信介、労務部次長 八馬忠次、組合役員 沢泉、桜井
29 沈まぬ太陽(一)アフリカ編・上 山崎豊子 新潮社 1999.6.25
1999.7.25 三版発行
2001.6.23 第一章 アフリカ
濃厚なブルーの空に、雪山のような雲が動き、果てしない草原に、灼けつく太陽の陽炎が波打っている。視界を遮る何ものもない。恩地元は猟銃を携え、四輪駆動のランドクルーザーのハンドルを握って、ナイロビから東南340キロのボイに向かっていた。草原の真ん中に、一筋通った簡易舗装の道路は、亀裂が無数に走り、少しの油断でも、車が横転してしまうから、神経が張り詰める。
登場人物
主人公 ・・・恩地元、行天四郎、八馬委員長、桧山社長、
28 わが友フロイス 井上ひさし 文芸春秋 1999.12.17 2001.6.18 1545年秋。ポルトガル王国の首府リスボンにある王室秘書庁の書記見習、13歳のポリカルポ・フロイス少年が、故郷コインブラの大学図書館に写本係として勤務している父アルパレス・フロイス氏にあてて書いた手紙。

おとうさん、リスボンにきてからはじめてお便りいたします。半年間も手紙を書かずにほっといてごめんなさい。でも、弁解するわけじゃないけど、ぼくたちの毎日ときたら、筆無精をしないとやってゆけないぐらい忙しいのです。
1563年、宣教師フロイス日本上陸。その悩みと生涯
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著者略歴
1934年、山形県生まれ。作家、劇作家。50年に授洗。代表作に、小説「手鎖心中」「モッキンポット師の後始末」「吉里吉里人」「東京セブンローズ」、戯曲「珍訳聖書」「イーハトーボの劇列車」「頭痛肩凝り樋口一葉」「人間合格」などがある。"一人の作家のもとには一生涯にどんな本が集まるのか"という壮大かつユニークなテーマをもち、蔵書を寄贈しつづけている故郷山形県川西町の図書館「遅筆堂文庫」の蔵書は、1999年末現在、13万冊を突破している。
27 種をまく人
SEEDFORKS
ポール・フライシュマン あすなろ書房 1998.7.15 2001.6.14 キムの話
うちの小さな祭壇に父さんの写真が飾ってあります。あの朝早く、わたしはそれを見にいきました。母さんたちは、まだ寝ていました。写真の父さんは、きびしい顔をしています。やせて、口をきゅっと一本の線にして、目は右ばっかり見ています。それでも、じっと見ていれば父さんもわたしに気がついて、こっちを見てくれるかもしれない。わたしは九歳でしたが、まだそんなふうに思っていました。
はじまりは、小さな種だった。さまざまな人種がうずまく貧民街の一角、だれも気にとめなかったゴミ溜めが、少しずつ変わりはじめる。
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ポール・フライシュマンの2作目の読書。一冊目の「風をつむぐ少年」に比べるとちょっと感動が少なめ。しかし、心あたたまる本です。
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著者略歴
1952年アメリカ・カリフォルニア州モンテレイ生まれ。海辺の町サンタモニカで育つ。カリフォルニア大学およびニューメキシコ大学で学ぶ。歴史、音楽、自然科学を愛し、それらをテーマとする著作多数。Joyful Noise:Poems for Two Voicesでニューベリー賞受賞。Bull Runでスコットオデール賞受賞。邦訳に「半月館の秘密」「わたしの生まれた部屋」がある。
26 恐竜を発見した男
ギデオン・マンテル伝
デニス・R・ディーン 河出書房新社 2000.12.20 2001.6.2 ギオデン・アルジャノン・マンテルが生涯をおくったイングランド南東部。そのあたりの地層は一般に英国のどの地域より新しい。といっても、そこに露出する最も古い岩層はほぼ一億五〇〇〇万年前、ジュラ期末までさかのぼる。当時その地域はほとんど海面下にあった。アンモナイト,ベレムナイト,それに(増加しつつある)二枚貝が普通に海産動物種で、すでにかなりの大きさに達した長顎竜や魚竜の餌食になっていた。 マンテルは、草食恐竜として最初に記載されたイグアノドン、さらに装甲恐竜として最初に記載されたヒラエオサウルスも発見している。
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非常に読みにくい。小説というより恐竜発見の学術誌と思えるほど。年代の記述が煩雑に出てくるのもそういう傾向に拍車をかけている。
ほとんど、斜め読みで終始した。
25 白輪 小説・伊能忠敬 龍道真一 廣済堂出版 1999.2.15 2001.5.27 第一章 荒海 1
若い武家風の男が、野分け後の九州長崎大村湾野海岸沿いを、懸命に走って行く-。ゆるやかな曲線を抱く海岸辺りには、小雨の銀滴が宙に舞い、空にはどんよりした雲がたれこめていた。波打ち際から後ろを見ると、丘陵は中腹から上部が笠を被ったように雲に覆われ、傾いた山肌や、その舌の磯に塊った漁村が薄暗く見えた。
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著者略歴
1953年生まれ。早稲田大学工学部中退後、京都大学工学部を経て、1980年同大工学研究科(修士課程)卒。エレクトロニクス関連商品開発、および製造設備開発に携わる。1993年、企業小説「大衆は神のごとく正しい」(栄光出版)でデビュー。その後、「七難八苦、我に与えよ!」(青樹社)、「陽よ、明日に輝け!」(双葉社)、また阪神大震災に遭遇した体験をもとに「裂けた空の中に」(実業之日本社)を刊行、話題を呼ぶ。国際事情、技術開発に通じており、本物が求められる二十一世紀の作家として大きな期待が寄せられている。
24 風をつむぐ少年 ポール・フライシュマン あすなろ書房 1999.9.25
2000.3.10 4刷発行
2001.5.24 第一章 パーティ
ファミコンゲームをしながら、ブレントはちらっと時計を見た。五時三十五分。今夜は同級生の家でパーティがある。パーティは、行くまでの時間がいやだ。なんだか知らないが、やたら落ちつかない。ゲームの世界にもどって、音楽と射撃音に追いまくられるように暗い通路を突っぱしる。闇の奥から飛んでくるさまざまなものを、片っぱしから撃ちおとしながら。
主人公 ブレント、
死亡させてしまった少女 リー、
リーの母親 サモーラ夫人
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アメリカ大陸の四隅に<風の人形>を立てること。それがブレントにできる。たったひとつの償いだった。ワンシントン州、カリフォルニア州、フロリダ州、メイン州、アメリカ大陸を西へ東へさまよう13000kmの旅。ひびわれたティーンエンジャーの魂が潤いを取り戻し、再生していく姿を描いたロードムービー
23 顔を読む レズリー・A・ゼブロウイッツ 大修舘書店 1999.6.1 2001.5.18 外見で人を判断する
館長と親しくなってから、私は鼻の形のせいで危うく断られるところだったことを聞かされた! 彼は、人の性格は目鼻の輪郭で判断できると信じており、私のような鼻をもった者には航海に必要なエネルギーや決断力が欠けていると思っていたのである。
過般化効果・・・固定観念を不必要に過剰にあてはめてしまうこと。童顔の人はみな頼りない、など。

ドリアン・グレイ効果・・・ワイルドの小説の主人公になぞらえ、行いや性格にしたがって容貌が変化すること。
22 ナイン 井上ひさし 講談社 1987.6.16 2001.5.10 ナイン
文化放送での仕事が思いがけず早く終わったので、四ッ谷駅前の新道にある中村さんの店に寄ってみた。中村さんは畳屋の主人である。店は小さいが裏手に大きな仕事場を持っている。東京で五輪大会が開かれた年の暮れから三年間、わたしはその仕事場の二階を借りていた。八畳の台所付き食堂に六畳が二間と四畳半、そのうえ広い風呂場と風通しのいいベランダまであって、家賃は月四万五千円だった。
短篇連作 「私」の東京物語・十六話。少年の日の熱き感動とレギュラー9人のその後の人生。

短編集
ナイン、太郎と花子、新婦控え室、隣り同士、祭りまで、女の部屋、箱、傷、記念写真、高みの見物、春休み、新宿まで、会話、会食、足袋、握手
21 もう一度、逢いたい 鳴海章 実業之日本社 2000.11.25 2001.5.8 目が覚めたら
目が覚めたら、目の前にロックグラスが置いてあった。半分ほど入ったウィスキーに、溶けかかった氷が浮かんでいる。銀座八丁目、日航ホテルの裏側、並木通りに面した雑居ビルの地下一階にあるバーで目を覚ました。顔の感覚がない。ちょうどカウンターに突っ伏して、両手を組んで枕にし、その上に頭を載せて眠っていたらしいが、顔は腫れ上がって面の皮の厚さが二十倍にもなったようで少々つねられたくらいでは全く何も感じそうになった。
著者略歴
1958年7月、北海道生まれ。日本大学法学部卒業。会社勤務を経て、'91年に「ナイト・ダンサー」で第37回江戸川乱歩賞を受賞し作家デビュー。主な著者に「狼の血」、「輓馬]、「刺」など
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短編集 8編
目が覚めたら、主人を探して、茅蜩(ひぐらし)、もう一度、逢いたい、チョコレート・クッキー、セイント・フライヤー、記憶、迷うて候
20 赤絵有情/酒井田柿右衛門 川本慎次郎 西日本新聞社 1981.5.11 2001.4.28 1.伝統の家に生まれて
襲名
私が十三代柿右衛門を襲名したのは、おやじ(十二代柿右衛門)が八十三歳でなくなった昭和三十八年三月で、伊万里の裁判所に行き改名届をすると、戸籍簿の今までの渋雄という名前が江戸初期から続いてきた柿右衛門を継いだのだ、そしてその柿右衛門赤絵の伝統と、そのころおやじと一緒に苦労して復活させた濁出(にごしで・乳白手とも書く)の生地の技術を守り通しながら、さらに現代のものに育てていけるだろうか、という心配でした。
本文からの抜粋
人とのつき合いでは、欲を出してはいけないですね。人に無理を言わないこと。自分がえらいと思ったら破滅する。人からチヤホヤほめられたら、お世辞と思わなくてはいけないですね。
19 数学放浪記 ピーター・フランクル 晶文社 1992.3.20
第17版
1996.4.15
2001.4.26 序-「富蘭平太(フラン・ピータ)と申します」
天気のいい休日、あるいは人々がほろ酔いかげんで歩く夜、色とりどりの大きな水玉のついた衣装にジュラルミンのトランクを持って、ぼくは街角に出てゆく。トランクには芸道具一式が入っている。お手玉のボールが三種類、いちばん数が多いのはシリコンボールで七つ。キラキラ光る紙を貼った箱、これはハコというくらいだから八個だ。
著者略歴
1953年、ハンガリー生まれ。数学者・大道芸人。フランス国立研究センター研究員。パリ第六大学教授。米国ベル研究所科学コンサルタント。慶応大学・早稲田大学非常勤講師。高校生対象の国際数学オリンピックで71年、金メダル獲得。ブダペストのオトボスハンガリーのサーカス学校でジャグラー免許を取得
18 四千万歩の男(三) 井上ひさし 講談社 1990.3.22
第3刷
1990.6.29
2001.4.20 鹿の河
花マウニ(ハマナス)の花を焚き火にくべると、思った通りに小屋の内部(なか)で蚊の羽音がしなくなった。門倉はやたたちに、板壁の隙間へ野帳の反故を貼らせたし、これで蚊の襲来に悩まされることはあるまい。
小屋の中央には、海辺に倒れていたという男が横臥している。忠敬は、男の泥や汗を松前の吉助に拭かせ、自分はその後ろからじっと男の様子を観察していた。
目次
鹿の河、神魚(カムイ・チェプ)、尾行者、歩幅の問題、松前ノ吉助、発作、御判役、返り討ち、帰府届、蝦夷絵図、お栄
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3巻目、今回は北海道からの帰り道、相変わらずの事件続き「行き倒れの救助」「使用人の傷害事件」「仇討ちの援助」等
17 四千万歩の男(二) 井上ひさし 講談社 1990.2.22 2001.4.15 箱舘まで
津軽海峡を渡るには三つの潮流を乗り越えなければならない。三厩(みんまや)から松前に向かう場合、その三潮は、竜飛ノ潮、中ノ潮、白神ノ潮 の順にあらわれる。竜飛ノ潮は日本海を北上してきた黒潮が津軽半島に沿って東へ大きく曲がって、竜飛崎の沖合から下北半島の佐井港へ真一文字に走る。「鳴門の早瀬に勝ること十倍の潮滝なり」といわれるほどの、強力な潮流である。二番目の中ノ潮は弱い。
目次
箱舘まで、隠密詮議、大野村逗留、礼文華(れぶんげ)のヲムシャ、東蝦夷の図、百人の千人同心、道案内人、長逗留
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1巻に引き続きの2巻目、相変わらず面白い。今回は津軽海峡を渡り北海道に到着襟裳岬の付け根までの道中記
16 江戸星月夜 海野弘 河出書房 1997.3.21 2001.4.3 異国の王女
享和三年(1803)のことであった。私は常陸に旅して、絵になる風景をさがしていた。常陸八景という続きの版画をつくるのに、その下絵の写生旅行をしていたのである。山道を降りるふもとの村に出た。柿の実が赤々と光っている。やがて潮の香がしてきた。海が近いらしい。松林が続いている。それが切れたところに入江があった。左手が崖になっていて、その下にえぐれたように深い洞穴がのぞいていた。
短編集他に「蜆取り」,「遊女の妻」,「幽霊の敵討」,「火附盗賊改」,「三味線芸者」,「髪結」,「妖怪画家」,「荷い風呂」,「足洗い男」,「はしご売」,「山師」,「歌道師範」,「町医師」,「ふとんかぶり」,「紙屑買」,「大工と猫」,「針金売」,「陸尺」,「心太売」,「親孝行],「菊作り」

江戸時代のちょっと変わった商売を題材に人情をからめちょっとホロリとさせる物語、面白かった。
15 嘘をもうひとつだけ 東野圭吾 講談社 2000.4.10 2001.3.31 ゲネプロは中盤にさしかかっていた。第二幕の『洞窟にて』で、アルーが恋人のプルサと宝を発見する場面だ。まず二人で踊った後、プルサのソロがあり、続いてアルーのソロ。最後に再び二人で踊る。いわゆるパ・ド・ドゥである。このシーンの最大の見せ場は、何といっても後半の踊りでプルサが魔法の絨毯を使って宙に舞うところだ。実際にはアルーがプルサの身体を片手リフトで高々と持ち上げることになる。 短編集5篇、書名のタイトルの他に『冷たい灼熱』、『第二の希望』、『狂った計算』、『友の助言』がある。

いずれも推理サスペンス小説。変わっているのは、5編中4編が犯人の言動・行動の描写から始まっている。勿論導入部では犯人は伏せてはいるが、その行動、言論もまったく犯人らしくない書き方で統一されているので読み進むうちに犯人が本人とわかりちょっと意外な感じがする。
14 子産(しさん)下巻 宮城谷昌光 講談社 2000.10.10 2001.3.29 巻十一 独裁者
春、鄭の簡公は喪を除いた。この年、簡公は八歳になる。二十三歳の子産が簡公に仕えることになった。はじめて簡公をみた子産は、-この幼さで、困難に苦しんでおられる。と強く感じた。宰相の子駟に政治をまかせて知らぬ顔をしていた君主ではない。久しぶりに鄭の人民は血も涙もある君主を戴くことになるかもしれぬ、と予感した子産は感動をおぼえ、簡公に仕えることに喜びを見つけた。
宮城谷昌光の本を沢山読んできたが、だんだんつまらなくなっている。この本は、著者はあとがきで睡眠時間を削って書いたとあったがそんな影響もあるのかと思った。
13 四千万歩の男(一) 井上ひさし 講談社 1990.1.22 2001.3.24 星学者たち
・・・九百一、九百二、九百三、九百四、九百五、九百六。忠敬はそこまで数えて立ち止まった。九百六と唱えて踏み出した左足が永代橋の東の橋詰(深川側)の橋板にかかったからである。黒羽二重紋付小袖麻上下白足袋袋雪駄に小脇差し一腰という正月の盛装の忠敬は、上下をかさこそいわせながら懐中(ふところ)から懐紙と黒鉛の筆をとり出して「九百六歩」と書き付け、しばらくの間、暗算をおこなった。
わが国で初の精密な日本地図を作った伊能忠敬を描く歴史大河小説! 家督を子に譲り天文学の勉強を始めたのが50歳。さらに蝦夷地測量に出発したのが56歳であった。隠居後の新たな生き甲斐に立ち向かう忠敬、第二の人生。
12 13のエロチカ 板東真砂子 角川書店 2000.8.31 2001.3.15 世界の真ん中
サチが、そのことを知ったのは、ポウがいなくなった晩だった。ポウは、昨年の暮れ、母の妹の家から貰われてきた雌猫だ。両掌に乗るくらい小さい頃からかわいがってきた。餌をやるのも、外への出入りの戸を開けてやるのも、サチがほとんど世話してきた。
ポウはサチの添い寝の友となった。夜になると、二階にある自分の部屋にポウを抱いていき、ベッドに入る。枕の底から湧いてくる階下のテレビの音や両親の話し声を聞きながら、ポウの頭を腕に載せ、草や土埃の匂いのする猫の脇腹を撫でていると、満ち足りた気分で眠りに落ちることができた。
13の短編集。おもいきっりエロチックでびっくり
著者略歴
高知県生まれ。奈良女子大学住居学科卒業後、イタリアで建築とデザインを学ぶ。82年、第7回毎日童話新人賞。96年「桜雨」で第3回島清恋愛文学賞、97年「山妣」で第116回直木賞受賞。おもな作品に小説「死国」「狗神」「蟲」他現在タチヒ在往。
11 いつか見た人 香取俊介 双葉社 2000.9.15 2001.3.9 遺書
十三年ぶりに会った来島裕美は、すこし太っていた。二重顎というほどではないが、首のまわりにやや肉がつき、胸のあたりも豊かにもりあがっている。しかし、スッとのびた首筋には、昔ファッション・モデルをしていたころの面影がのこっており、藤森正哉は思わず立ちどまって見つめてしまった。地下鉄銀座線の浅草駅の改札を出て、まっすぐ行くと東武伊勢崎線の浅草駅、左手に行くと、天井の低い古びた地下道がある。両側にラーメン屋や一杯飲み屋などが入っていて、全体にうらぶれた雰囲気がただよっており、一瞬時間が逆行して、数十年前の日本にいるような気分になる。
短編12の小説。各短篇の副題には銀座線の全駅12がつけられている。裏の裏というか、ひねりがあって面白い。
著者略歴
1942年、東京都生まれ。東京外国語大学ロシア科卒。NHKをへて、脚本家・作家に。ホームドラマ、ミステリードラマ、社会派ドラマなど多数のドラマ脚本を執筆。近年は小説、ノンフィクションに比重を移している。著書に「ロシアン・ダイヤモンド」「謎・第三の男」「山手線平成綺繹」「モダンガール」他
10 自分の人事は自分で決める 浅川純 実業之日本社 2000.325 2001.3.7 課長が消える
自動車のワイパーを作っている川北工業で、納入日時と本数の打ち合わせを終えると、矢倉祐吉はそそくさと事務所を出た。<つぎは、トランクオープナーの羽田鉄工だ> 胸の内で言って、急ぎ足になると、背後で、「課長」女性の呼び声がした。瞬間、歩を緩め、振り向きかけたが、<誰か、ほかの人を呼んでいるんだ> 自分に言い聞かせて、苦笑を覚えながら、先を急ぎかけると、・・・
副題 -「社内犯罪講座」リストラリベンジ篇-
著者略歴
沖縄県那覇市生まれ。京都大学卒。(株)日立製作所に19年勤務した後40歳で退社。「世紀末をよろしく」でオール読物推理小説新人賞を得て、作家活動に入る。おもな著書に、「社内犯罪講座」(新潮文庫)、「平成カイシャイン物語」(講談社文庫) ・・・
9 ヤマダ一家の辛抱(上) 群ようこ 幻冬社 1998.6.10 2001.3.1 1 ヤマダ家の人々
日曜日の朝、ヤマダカズオは、妻のサチコと娘のユカリがいい争う声で目が覚めた。(うるさいな、全く) 彼は掛布団を頭からかぶった。「やだあ、もう、やだ、やだあ。だから、あのスカート、クリーニングに出しておいてって頼んだじゃないよ」「そんなにいうんだったら、自分で出しに行けばよかったじゃないの。お母さんだって忙しいのよ。スカートは他にいくらでもあるでしょう」
群ようこ
1954年東京都生まれ。日本大学芸術学部卒業。いくつかの仕事を経て本の雑誌社に入社。84年「午前零時の玄米パン」デビュー。退社後、小説、エッセイなど本格的な創作活動に入る。著書に「人生勉強」「一葉の口紅 曙のリボン」「挑む女」「東洋ごろごろ膝栗毛」:など多数
8 快楽の樹 立松和平 新潮社 1999.10.20 2001.2.26 聖なる藪
走った分だけ前方にライトが届く。そこに竜太は車を向けていく。高速道路から一般の国道になり、県道から村道になってくる。地図を広げればわかるのだが、もちろんいちいち確かめたわけでない。道路そのものやまわりの状況を見ればいろいろな情報が込められているものだ。
太古、人間は獣だった。いま竜太と理恵子の中で裸の獣が目覚めていく。ポルノグラフィア。 生と性の悦びを大らかに描く自然派官能小説
7 月の裏側 恩田陸 幻冬社 2000.3.31 2001.2.22 やっと、雨が上がった。西の空の雲が切れて、閃光のようなぎらついた陽差しが一瞬下界を照らし出す。映画の一場面のようだ。それも、これは長いストーリーの終盤間近の一場面。ラストはすぐそこまで来ている。エンドマークの気配を観客は感じている。いったいラストはどうなるのだろうと、観客は頭の中でいろいろな結末を考えている。どんな結末がお望みだろう? 私は歩いている。歩いている。 恐怖と面白さのデッドヒート。恩田ホラーの最高傑作! <人間もどき>に、そっくり盗まれた水郷の街。無力な人間が、最後に縋った戦慄の絆とは、

カナクラ, 三隅協一郎、多聞、三隅藍子
6 子産(しさん) 上巻 宮城谷昌光 講談社 2000.10.10 2001.2.15 巻一
十一歳の少年の目に、大人たちのうごきは、周章狼狽のようにうつった。--この小国は・・・・。 と、少年はつぶやき、すぐに語気が萎えた。自国の外交における信義のなさにあきれるしかない哀しさを感じたということである。少年の名は、僑(きょう) という。僑とは、神が旅行するという意味をもつ。かれは、鄭(てい)の君主であった穆公(ぼくこう)・蘭の孫として生まれたので、ふつう公孫僑とよばれる。のちにあざなをもち、子産(しさん)と通称される。
信義なき世をいかに生きるか。孔子に敬仰された賢相・子産と武に優れたその父・子国。父子二代にわたる勇気と徳の生涯を辿る。珠玉の歴史叙事詩

子産、子国、子駟、子罕(しかん)
5 雷電本紀 飯島和一 河出書房新社 1994.6.6 2000.2.8 いきのよいのは、焼け死んだ犬猫に群がる鳥ばかりだった。一面の焼け野原は、どこを歩いているのか手がかりを探し、しじゅう立ち止まって確かめなくてはならなかった。天明六年(1786)丙午、正月二十八日、本殿がかろうじて焼け残った神田明神へ産土神(うぶすみがみ)参りに出かけた鍵屋助五郎の、帰り道だった。その六日前、二十二日の昼九ツ、湯島天神裏牡丹長屋から出た火は、神田はもちろん日本橋一帯をなめつくし、深川仲町まで及ぶ大惨事となった。湯島へ続く高みからは海がいつにない広がりを持って間近に見えた。 太郎吉=雷電為右衛門=関為右衛門=西の関
鍵屋助五郎,麻吉
4 松岡圭祐 徳間書店 2000.3.31 2001.1.26 板張りの床はまるで氷のようだった。
正座しているとむきだしのむこうずねから体温が奪われていくのがわかる。薄暗かった陽が落ちている。松明だけが辺りを物憂げに照らしている。
1968.12.3生まれ 愛知県出身
小説デビュー作「催眠」がベストセラーになる。以降「水の通う回路」大藪晴彦賞候補となった「千里眼」「千里眼/ミドリの猿」と続く。2000年東映系公開の「千里眼」映画化作品で脚色原案と制作顧問を務める。
3 憧れの魔法使い さくらももこ 新潮社 1998.11.25 2001.1.19 ル・カインとの出会い
私がその素晴らしい作品を発見したのは高二の冬であった。いつものように書店の絵本コーナーに行き、いわさきちひろや安野光雅の本をみたり、その他の絵本を物色している最中、偶然に"エロール・ルカイン"という名前をみかけたのである。「は? エロール? ル・カイン?」とずいぶん変な名前のような印象をうけた。外人の名前らしいが、ベーターだのジョージだの、そういう聞き慣れた昔の名前ではない。"エロール"なんて、なんかエロの巻き物みたいではないか。そう思ったのだが、絵本のタイトルが・・・・
画家 エロール・ル・カインの紹介の本、中にエロールの絵が多数挿入されている。
2 シェラザード 下 浅田次郎 講談社 1999.12.6 2001.1.18 ソフィアの丘
ラッフルズ・ホテルの玄関で小笠原太郎と別れたあと、土屋和夫は雨上がりの日射しがはじけ返るような、真昼の街路に戻った。開戦と同時に、南進する日本軍の後を追うような転勤の辞令が続いた。昭和十七年の正月に上海、わずか半年後にクアラルンプール行きを命ぜられ、日本占領下のマレー半島を息つく間もなく走り回った。シンガポールを初めて訪れたときの印象は忘れがたい。香港や上海とは比較にならぬ整然たる秩序。しかし国際都市としての活気は、決してそれらにひけをとるものではなかった。
弥勒丸は、軍の命令で金塊を積み込み、国際赤十字の協定を無視し沈没させられる。
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正木中尉 = 宋英明、島崎百合子 = 土屋和夫の婚約者
1 シェラザード 上 浅田次郎 講談社 1999.12.6 2001.1.12 総統の密使
その老人は「宋」と名乗った。きちんと腰を折ってお辞儀をし、流暢な日本語で、「そうえいめいです」といった。差し出された名刺には「宋英明」という名前だけが書かれてあり、肩書きも住所も、何もなかった。藤色の丸いサングラスをかけている。立襟の中国服には、精緻な錦糸の刺繍が施されている。上品は物腰といい、小柄な体からにじみ出る貫禄といい、まさに「宋大人」の風格があるが、高度成長をとげた台湾では、よほど大時代な格好だろう。日本人でいうなら紋付き袴のようなものだろうかと、軽部順一は考えた。
太平洋戦争に沈没した弥勒丸の引き上げについての物語
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久光律子,軽部、日比野義政,正木中尉,堀参謀,,宋英明,ターニャ,森田船長、中島吾市、小笠原太郎、土屋和夫