読書記録 2002年

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発行日 読了日 イントロ メモ・登場人物
89 富士に死す 新田次郎 文芸春秋 1974.6.10 2002.12.27 伊兵衛は富士吉田口の大木戸の前で足を止めた。大木戸から先もゆるい傾斜が続いていた。数台の車が並んで通れそうに幅広い道の両側に大きな門構えの家が軒を連ねていた。元禄二年(1689年)夏のことである。吉田は白衣、白股引、白脚絆の白ずくめの道者(富士山に信仰登山する人)が溢れていた。ここは町のようであったが、商家らしい家は一軒も見当たらなかった。宿場でもなかったが、宿場と呼ぶにしては、宿場特有のあの華やかな喧騒の中にただよう一抹の哀愁はどこにも感じられなかった。宿場のように客の袖を引こうと女たちの姿や彼女等の呼び声がないかわりに、中央道まで出て来て、道者や一般登山客たちにお泊りはどこかとしつっこく訊く法被姿の男たちがいた。宿坊の客引きであった。 江戸時代が舞台である。富士山を信仰にした富士講という一種の宗教の中興の教祖の物語。油屋身禄といい第六生の富士講の教祖となた。富士山にて入定したため、本の題名となっている。この時代に富士山の噴火があり、ごく簡単であるがその様子を書いてあり当時は噴火のことを山焼けと読んでおり興味深かった。
88 命を削る鉋 串田孫一 春秋社 1994.12.26 2002.12.26 自然の表情
古い一枚の写真をどうしても探し出さなければならない必要に迫られて、整理の行き届いていない写真の入った箱を棚から下ろす。年に一度か二度はこうした溜息交じりのことをするが、古い写真を眺めながら往時を懐かしむようなことは殆どしない。というのは、実は必要があって一枚の写真を探している時に、それが見付かるまで、或いは見当たってからも、幾枚の古い写真をついつい見てしまって、これまで随分無駄な時を過ごしてしまったからである。
何たる偶然、発行日と読了日が一緒なり。今回も随筆集
タイトルの命を削る鉋は、この前に、溜息はがついて、溜息は命を削る鉋かなという言葉があることを始めて知った。この章の書き始めのところで、漁師が鮑ととこぶしをという言い回しがあって、一瞬、鉋という時は鮑かと勘違いしてしまった。金で包むか魚で包むかの違いであった。串田先生はそこまで狙って書いたのだろうか。
87 木に挨拶をする 内海隆一郎 筑摩書房 1992.11.20 2002.12.24 木に挨拶をする
朝早く郊外の街の周辺を歩いていると、さまざまな人に出会う。ジョギングをする青年や中年は別として、散歩するお年寄りの中には興味深い人たちが多い。落し物を探すように、ひたすら下を向いて歩く人。野鳥に餌を与えながらのんびり行く人。健康法の一種で高笑いを競いながら行進していくグループなど、いちいち紹介しきれないほどである。
随筆集
小説に少し飽きが来て、今回の10冊の中には小説以外のものが5冊ほどあったがこれもその中の一冊。この中では"椋鳥の家主"が面白かった。著者の家では毎年梅雨近くになると椋鳥が巣作りをして朝早くからその物音で目が覚めてしまうといいながら10数年そのままにしているという著者の暖かい気持ちが心地よい
86 太平洋に沈んだ大陸 木村政昭 第三文明社 1997.11.30 2002.12.19 はじめに
50万年前、そう北京原人の時代。すでに、日本列島にも人が住んでいた。高森・上高森遺跡から石器が見つかったことにより日本列島の歴史が大きく塗り替えられようとしている。そこには、北京原人の仲間が渡ってきたのではないかといわれている。ではどうして、50万年も前に人は日本列島に渡って凝れたのであろうか。おそらくまだ大洋を漕ぎ切る舟もなかったであろう。
副題:沖縄海底遺跡の謎を追う
いつか新聞で読んだ沖縄の海底遺跡に興味があって読んだ。しかし最近小説しか読んでいなかったせいか、このようなノンフィクションは書き方のせいもあるがずいぶん難しかった。電車の中で居眠りすることが多く1週間かかってしまった。
85 死に損ね左之助 新宮正春 新人物往来者 2000.5.30 2002.12.12 「ねえ・・・」 枕紙で首筋の汗をおさえていた紅梅が、その手をとめ、「・・・この傷、なあに?」と、ふとんにあおむけに寝ていた原田左之助にきいた。浴衣のひもがゆるんで、左之助の引き締まった腹部がむきだしになっている。そこに一尺ほどの刀傷が真横に走っているのだ。 この著者は昭和10年生まれというからもう67歳になる。長編ものかと思ったが、7編の短編集。すべてが幕末から明治にかけての侍の物語。刀で切るときの描写がどぎつくて好まない。文章そのものに品がない。
84 美妙、消えた。 嵐山光三郎 朝日新聞 2001.9.1 2002.12.9 夏木立の森を武ちゃんが走っていく。山田武太郎、七歳である。家業が桶屋で、「桶屋の武ちゃん」と呼ばれていた。樹々の緑が顔に反射して、武ちゃんはきりぎりすのように飛びはね、小声で、「イチ、ニッ、サン、シッ」と叫んでみた。武ちゃんは、この日の朝早く、芝の明神山に登って、港に入る艦船リンカーン号を見るつもりだった。リンカーン号が来ることを教えてくれたのは、一歳年上の蛸徳こと尾崎徳太郎である。口をとがらしてしゃべる様子が蛸に似ているから蛸徳と呼ばれている。蛸徳はガキ大将で暴れん坊だ。いじめられっこの武ちゃんは、蛸徳に助けられることばかりだった。 本のタイトルの美妙が最後まで読めず苦労した。奥付けにかなを振ってあり、ビミョウと当たり前の読み方。がっくり
美妙は、明治初期の流行作家だが後世のわれわれの時代には名は伝わっていない。最初女流作家かなと思ったが男性作家であった。尾崎紅葉とは幼い頃から知り合いとあり興味深く読む。森鴎外、坪内逍遥、徳富蘇峰
,島崎藤村、夏目漱石等明治の作家が次々と出てきて興味深かった。
83 読むクスリ 32 上前淳一郎 文芸春秋 1999.12.10 2002.12.6 小さな心がけ
分かりません
「いちばん伸びるのは、分からないことは正直に『分かりません』と答える社員です。」と東京・世田谷にある出版社「悠飛社」の代表取締役、宇治芳雄さん。つねづね宇治さんは社員たちに、「質問に対する答えには、三種類しかないよ」といっている。「イエス」「ノー」「分かりません」この三つだ。自分の知識や経験から、自身を持って肯定できるときには「イエス」。同様に、自身を持って否定できるときには「ノー」。その他はすべて「分かりません」のはずだ。「これほど複雑になった情報化時代ですからね、世の中は分からないことだらけです」
奥付けに"心温まる話、ビジネスでの苦労話、ユニークな体験談等々、心に残ってためになるエピソードを・・・"とあるが、確かにその通り、一気に読み込んだ。
"人生は一十百千万"の章が有意義、小生も実行しようかな。一とは一日一回自分を褒める、十とは一日十回笑う、百とは一日百回深呼吸をする。千とは一日千文字を書く。万とは一日一万歩を歩くのだそうである。元名古屋鉄道副社長の犬養英樹さん(故人)の言葉だそうである。
82 るりはこべ 上 丸山健一 講談社 2001.9.25 2002.12.4 ぽかぽか陽気の春のある日。闇がほとんど限界まで煮詰まってしまった真夜中。いかなる混乱に巻きこまれようとも言うべきことは言い、なすべきことはなす、言動共に長じた、一匹の非凡な雑件。けっして人間の掟に従わぬ、桁外れの抵抗力に満ちあふれた野良犬が、ありったけの牡の臭いをぷんぷんさせながら、喧騒をきわめた人の世をそっとふり返る。ひどく殺気を帯びたその目が、闇を切り裂く憎悪をこめて、ぎらっと光った。 この形容詞の多い、文章は最後まで慣れることが出来なかった。一言でいうと、くどいということかな。下巻もあるがちと読む気はしない。
筋そのものは面白いのであるが・・・、野良犬から見た流れ者の一家四人の流転の物語。現在の社会を皮肉ってちょっとした漫画の筋書きにさもありなんという感じである。
81 空海の風景 下巻 司馬遼太郎 中央公論新社 1975.10.30
2002.2.5 47版
2002.11.27 この間、空海はインド僧を教師としてサンスクリット語を学んだ、ということが、空海自身の文章(『秘密曼荼羅教付法伝』)にある。かれは日本人にして最初に、この印欧語の一派の、きわめて特殊な文章語を学んだことがいえる。それを学んだのが恵果に会う以前なのか、会ってからなのか、それとも恵果が死んでからなのか、前後の時間間隔がわからない。推察するに、恵果に会う以前ではないか。 密教というのは、一切は零であり、零は一切である と規定している。現在の宇宙理論のインfレーション理論によれば真空の揺らぎから宇宙が始まったとされている。これは一切は零 となんと相似性のあることよ。ただし一切は零である というのは考え付かない。しかし、インドの古代人はなんとすごいことを考え付いたのであろう。
80 空海の風景 上巻 司馬遼太郎 中央公論新社 1975.10.30
2002.2.5 52版
2002.11.25 僧空海がうまれた讃岐のくにというのは、ちぬの海をへだてて畿内に接している。野がひろく、山がとびきり低い。野のあちこちに物でも撒いたように円錐型の丘が散在しており、野がひろいせいか、海明かりのする空がひどく開闢に見え、瀬戸内に沸く雲がさまざまに変化して、人の夢想を育てるにはかっこうの自然といえるかもしれない。 800年代の人物、弘法大師空海の本、司馬遼太郎の本としては小説体ではなく、解説本に近い珍しい書き方になっている。遣唐使の頃の本を読むのは初めてなので興味深い。
79 名曲とっておきの話 宮本英世 音楽之友社 1987.3.20 2002.11.19 ミサをあげない司祭
ヴィヴァルディ/協奏曲<四季>
「バロック音楽って知ってる?」と、突然に尋ねられるとする。私などはまじめに考えて、「えーと、西暦でいうとだいたい1600年〜1750年ごろまで音楽で、構成的にそれまでのカッチリした形式を崩したことから、"いびつな真珠"という軽蔑の意味をこめてそう呼ばれた。ヨーロッパ各国によって時代差と特徴があるけれど、代表的な作曲家は・・・」などといったことを、瞬間的に頭の中で整理しようとする。
小説読み疲れでちょっと生き抜き、オーディオと関係のあるクラシック音楽の本、パガニーニの悪魔のトリル等そこそこ面白かった。
78 黒衣の宰相 日坂雅志 幻冬舎 2001.10.10 2002.11.15 海鳴り
「副司(ふーす)さま、副司さま・・・」耳もとで声がした。磯に寝そべってまどろんでいた若い僧侶は、両目を大きく見ひらき、ゆっくりと身を起こした。白皙の男である。秀麗といっていい顔立ちをしている。目じりがするどく切れ上がり、瞳に人を魅き込むような強い光があった。男は、名を崇伝という、当年とって、二十四歳になる。京の名刹、瑞竜山南禅寺の禅僧だった。のち、徳川家康の右腕となり、--黒衣の宰相 と異称された。金地院崇伝の若き日の姿である。
徳川家康サイドについた崇伝という男の物語、司馬遼太郎の城塞では、豊臣側から見た家康で憎悪を憶えたが、この本ではそれほどでもなくやはり主人公により歴史上の人物の書き方が変って行くのだなと思えた
77 磨灘物語(中) 司馬遼太郎 講談社 1975.8.20 2002.11.11 野火
三木城が落着したあと、官兵衛に休暇のような時期があった。秀吉はこのあたり、よく気のつく男で、--すこしの間、姫路へ帰ってはどうか。という意味のことを、別な表現でくるんでいった。官兵衛は伊丹城の牢から出たあと、本のわずかな日数を有馬で湯治しただけで、ずっと戦陣にいるのである。体の回復がまだ十分ではなかったし、ときに息苦しそうでもあった。さらには、かれは伊丹を出て以来、姫路の父の宋円入道にも会っていない。
豊臣秀吉の時代が去り、徳川家康の時代になりつつあるときに官兵衛が一時的に九州を少しばかり征服しこれからの時に徳川家康の天下がほぼ確定した。官兵衛はとたんにその領土を投げ出してしまった。唯一の天下のチャンスを失って・・・
76 播磨灘物語(中) 司馬遼太郎 講談社 1975.7.20
1975.8.24 第3刷
2002.11.6 加古川評定
秀吉は上月・佐用の二つの小さな山城を陥したあと、ひとまず姫路を去り、近江安土に帰った。姫路を去るについて、「安土殿(信長)に播州をこのように仕置したということを、言上せねばならぬ」と秀吉は官兵衛にいった。信長は、遠征の将がながく敵陣にとどまっているのを多少不安がるところがある。すぐさま謀反に結びつけるほど信長は単純ではないが、すくなくとも永留守をするより、余暇をみつけては報告に帰ってくるという状態を好んでいる。
この巻は、官兵衛の牢獄に過ごす歳月を中心に据えている。荒木村重の牢に据えられ、半死半生の体で救われる。しかし狭い牢獄の中で半身不随となる。この牢獄の描写はすさまじく生きることの執着のみで生きながらえる様子を描いている。そして藤の芽吹きとともに生きられる望みを繋いでいる。何事にも希望の芽を見つけ出すことが必要か
75 播磨灘物語(上) 司馬遼太郎 講談社 1975.6.20
1975.7.28 第4刷
2002.10.30 流離
通称は官兵衛。Quanfioyeと、戦国末期に日本にきたカトリックの宣教師の書簡には表音されている。当時の発音ではくゎんひょうえ、と正確に発音されていたのであろう。かれの呼称はいろいろあった。名前が孝高(よしたか)で、洗礼名はシメオンである。入道してからは如水といった。水の如し、かれはこの名前を好んだために、後世も、黒田如水というほうが通りがよくなった。黒田官兵衛のことを書こうと思っているうちに、官兵衛以前に黒田家がほそぼそとすごしてきた戦国の歳月のほうに魅かれてしまった
黒田官兵衛の1代記、上中下の三巻構成。
司馬遼の前作は滅亡物語の城塞であったため明るいものであれと祈りつつ読んだ。今回はいつもの通勤電車ではなく急に大阪に品物を運ぶことになり新幹線の往復でちょうど1冊読み終えた。


流離・・・が"さすらい"とは読めなかった。"りゅうり"と読んでちょっと違和感はあったのだがいやはや
74 お言葉ですがC猿も休暇の巻 高島俊男 文芸春秋 2000.3.1 2002.10.30 砒素学入門
1998年もいよいよおしまい。年のはじめにはまったく無名の人、年のおわりには日本全国だれ知らぬものもない著名人、といえばまず、和歌山のハヤシ・マスミおばさんに指を屈せねばなりますまい。このひと、見たところはポチャポチャと愛嬌のあるかわいい御婦人だが、なかなかどうして外面如菩薩内面如夜叉、御亭主までが毒をのまされていたというのだからオソロシイ。
小説ではないが、なかなか面白い。がちと難しい内容も多々あり。「タイムスリップ少年」のところでは、時代考証がなっていないと大変な剣幕。私は小説なんで何でもありと思っているのだが
73 栄花物語 山本周五郎 新潮社 1994.2.20 2002.10.25 月の盃 その一
外にはかなり強く風がふいていた。「やなぎ」というその料亭は、中州の大川に面したほうに建っているので、二階のこの座敷にいても、岸を打つ波の音はやかましく聞こえた。「ずいぶんひどい波だこと」その子は衿を拭きながら云った、「この家の人たちは怖くないのでしょうか」ちょうどあげ汐どきであった。水嵩も増していたのだろう、ときぞきさっと、飛沫のかかる音も聞こえた。この家の階下の羽目板を、うちあげる波の飛沫が叩くのであった。
なんとも、暗い小説である。読み終わってもなぜ栄花物語という題名がついているのかわからない。初発行は昭和28年9月と奥付けに書かれており戦後のまだ経済復興の立たない暗い時代にこのような陰鬱な小説が好まれたのだろうか。何はともあれ、前回の「樅の木は残った」も主人公が死んで終わる内容であり、山本周五郎を読むのはもうよそう。
72 オルガニスト 山之口洋 新潮社 1998.12.20 2002.10.22 三月の南ドイツは気温からいえばまだ冬のようなものだし、気まぐれ雨に見舞われることもある。それでも何日かに一度は春を感じさせる日が訪れ、季節に敏感なドイツ人は、冷たい風を貫く陽射しのかすかな暖かさに心ときめかす。テオドール・ヴェルナーが同僚のスティーブン・シャンクと、しばらくぶりにニュルンベルクの街を歩く気になったのも、季節を先取りしようとしたからもしれない。もっとも、三月の宵の風を暖かく感じるのは春の予感のせいばかりではなく、アルコールの働きあってのことだ。 第10回日本ファンタジーノベル大賞受賞作、前にファンタジーノベルという触れ込みで読んだ本があまり面白くなかったので、期待していなかったが、なかなか良かった。SFの分野ともいえると思う。ただし前半は良かったが後半はなんとなく汎用の気がした。後半は謎解きから始まってしまっているからと思える。
主人公 テオ、ヨーゼフ・エルンスト、マリーア、ファン・ダールス、ラインベルガー教授
71 わたし 坂東真砂子 角川書店 2002.2.25 2002.10.18 これは人でなしの日記、犯罪の記録である。ここに出てくる登場人物はすべて虚像であり、「わたし」のみが真実である。
人生において秩序を求めるならば、その唯一の道は、無秩序を認め、操ることに始まる。
わたしにとって、世界は失われている。抽象的にいっているのではない。わたしの手にするペン、服、櫛、コーヒー、本、アイロンも、箒もバッグも、お箸も、わたしの周囲にあるものはなにもかも、そこにあって、そこにない。
タイトルどおりの私小説。イントロでは犯罪の記録とあるが、内容はそんな記述はない。
誰でもが持っている片意地な性格をデフォルメして「わたし」として書かれていると思う。
70 蛍女 藤崎慎吾 朝日ソノラマ 2001.10.30 2002.10.17 第壱章 森
最初は、何か虫が鳴いているのかと思った。それにしては、やけに場違いで耳障りな音だ。もちろん季節はずれでもある。腐って壊れかけたベンチの上にザックを下ろすと、池澤亮は少ししょぼついた目であたりを見回した。クヌギやコナラ、カエデの木がまばらに立ち並ぶサッカー場ほどの空間には、ほかに動くもの気配もない。空気は湿っぽく、重たげに葉を茂らせた枝と枝の隙間からは、灰色の雲がしたたってきそうだった。
久しぶりに、SFもの。前回は「天使の囀り」というもので、非常に気分の悪い感じが残ったが、これは少し良いほうかな。蛍が集まって人の形になるので、タイトルの蛍女ということになっている。声は電話機を使って通信という形をしている。
題材としては、森に人工の設備を設けた人間に森が復讐するというものである。
69 毎日あきれることばかり 三木睦子 株式会社アートン 2001.7.31 2002.10.11 教科書問題黙っていられない
「もう年なんだから、仲良しこよしルンルン、みたいなところにだけ出るようにして、柳眉を逆立てて「けしからん!」とか、ギーギー言うような場所に行くのはやめてほしんだけど・・・・」
たまたまテレビで私の姿を見つけた孫は、いささか呆れ顔で、私にそう言いました。
孫が見たのは、「新しい歴史教科書をつくる会」が作った歴史教科書に抗議するための、共同記者会見の模様です。参加したのは、東大名誉教授の隅谷三喜男先生、同じく和田春樹先生、元国連大使の明石康さん、ノーベル賞作家の大江健三郎さんなど、著名な先生ばかり、孫たちは、「なにもママが口を挟まなくとも、そういう方たちにまかせておけばいいじゃない」と言いますが、そう言われれば確かにその通りです。
第66代 三木総理大臣の奥さんの本、三木さんの人となりが書かれいて面白かった。
68 夏につつまれて 森下雅史 東洋出版 2000.7.31 2002.10.10 「ボー」遊覧船の汽笛が鳴った。空は澄み渡り、初夏の日差しが、この名古屋の港に照りつけている。子供達は楽しそうに笑い、この橋の上を駆けていく。その後を、ゆっくりと歩いてくる。暖かい目で見守りながら。 タイトルに惹かれて選んだが全くのはずれの本、がっかり。女子高校生が告白して無視されて・・・・だけの本、これが小説かな????。現代の設定なのに、連絡を取る必要な場面において携帯電話が全く出てこない。すごい不自然である。
67 間宮林蔵 吉村昭 講談社 1982.9.24
1986.9.25 第4版
2002.10.8 文化四年(1807)四月二十五日早朝- 千島エトロフ島のオホーツク海沿岸にあるシャナの海岸の三個所に、大きなかがり火がたかれていた。吹きつけてくる風に炎が音を立ててあおられ、火の粉が磯に散る。夜明けの気配がきざし、星の光はうすれていた。シャナは、島の最大の漁場で、箱舘奉行の支配下にある会所がおかれている。会所は、産物を取りしきる役所で、島の警備も統率していた。会所の海に面した部分には堅固な石垣がきずかれ、一の門、二の門があり、大筒も据えられている。役宅、陣屋、長屋、土蔵などが立ちならび、規模の大きい砦のような物々しさであった。 樺太は、その昔大陸と地続きの半島であるらしいというのを、間宮林蔵が始めて島であることを探検して確かめた。また間宮林蔵が大陸に渡って清国の一部にまでいったことを初めて知った。井上ひさしの「四千万歩の男」の伊能忠敬に樺太探検のあと師事したことなども書かれており興味深かった。
66 樅の木は残った 山本周五郎 講談社 1969,8.8
1969.10.24 第5刷
2002.10.1 序の章
万治三年七月十八日。幕府の老中から通知があって、伊達陸奥守の一族伊達兵部少輔、同じく宿老の大粂兵庫、茂庭周防、片倉小十郎、原田甲斐、そして、伊達家の親族に当る立花飛騨守ら六人が、老中雅楽頭(うたのかみ)(忠清)の邸へ出頭した。
長編小説。前から一度読みたいと思っていた小説であった。結末は全く知らず、終わる直前にハッピーエンドらしい記述があったのでそうかなと思ったが大反対であった。しかし、お家のためという主題でひたすら耐え忍ぶという一種の武士道を描いた作品といえる。
65 花火屋の大将 丸谷才一 文芸春秋 2002.7.15 2002.9.23 お倫ぴくぴく
シドニー・オリンピックのとき、ジョシマラソン金メダルの場面を見たあとで家人が言った。「ねえ、『オリンピック ピックって』唄、あったわね」「うん、あった」とわたしはうなづいて、とつぜん歌ひ出した。「オリンピック ピック、スポーツ時代、あがる凱歌を聞きたいね」「あの『ピック ピック』がわからなかった」「おれにはわかったな。無茶苦茶な切り方と思った。こんな唄を作るなんて、ひどいもんだと思った。子供ごころに大人を軽侮した。自分はいま大人たちを馬鹿にしてる、とはっきり思ったのはあのときが最初だった、人生で」
随筆集17編、タイトルの「花火屋の大将」はなぜついたかは不明だ。

イントロのほかの題材は、「握手の問題」「天童広重」「コラム論からスパイ論へ」「一枝の花」「役者と女」「ヌードそしてネイキッド」「不文律についての一考察」「八月はオノマトベの月」「影武者ナポレオン」「カレームの藝術論」「朝日伝説」「動物誌」「スクープ!」「再び二日酔いの研究」「スターリンの肖像画」「蛙の研究」
64 手鎖心中 井上ひさし 文芸春秋 1972.10.15 2002.9.19 日本橋
江戸へ来てからひと月たった。着いたときは残暑のさなか、日なかは熱気に焦げそうで、夜なかは瓦いきれに蒸されそうで、まるで一日中、空風呂にでも入っているような心持、「おどろいたね」を「どろいたね」、「そんなんじゃねぇや」を「なんじゃねぇや」、「このべらぼうめ」を「こんべらばァ」、「なむあみだぶつ」を「なんまみだぶ」,「きみょうきてれつ」を「みようきてれつ」、「ざまぁみろ」を「ざまァ」と飛んだり跳ねたり摘んだり縮んだりする江戸の言葉もせわしく暑苦しく、やはり江戸へ来るのではなかった、
昭和47年7月「手鎖心中」で第67回直木賞を受けた作品、もう一作、「江戸の夕立」もあり、こちらのほうが長編。両作とも江戸時代の大店の道楽息子を題材にした作品で面白く仕上がっている。「江戸の夕立は」道楽息子が9年ぶりに江戸に戻ってくると、店はなくなりさらに江戸から明治になっており江戸もなくなったとオチがきいている。
63 人を活かす 人を育てる 中西太 学習研究社 1991.5.20 2002.9.16 プロローグ 人生は他動的である。
ユニホームを脱いで、自らを振り返る時間が多くなった。十八歳でプロに身を投じて四十年。その野球人としての生きざまに、今、さまざまな感慨が去来する。多くの人に出会って、多くの変転があった。その道は平坦ではなかった。幸運があり、挫折があり、喜びと不安が入り交じる波乱の日々。水に漂う浮き草のようでもあった。それは勝負の世界に生き、打者としては奥深い追求を、指導者になってからは人を活かす道を探し続けた四十年と言えた。
座右の銘を、「努力」から「日々新たなり」に変えたくだりがあった。西鉄を離れたときからだそうだ。しかし「日々新たなり」という銘は明るくていい。我輩もしばらくこれで行こう。
62 城塞 下巻 司馬遼太郎 新潮社 1972.2.20
1973.10.10 十刷
2002.9.13 瀬田問答
(はたして、どれほどの狂言がやれるか)と、勘兵衛は、こんどの大阪の舞台を踏んでの自分の役割を、自分自身で決めかねていた。純然たる徳川の諜者になってしまうべきかどうか、である。(まず、城下を見てからのことだ)と思い、このためすぐには入城せず、三日ばかり旅籠を転々として、街の様子を見て歩いた。最初の印象は、人の多さである。どの辻にも人が群れ、往来には荷車が往きかい、川筋は、舟から荷を上げる人夫がひしめき、どこもかしこも沸き立つようないそがしさであった。
ようやく読み終えた。他の徳川家康ものを読んでないが、これほど悪く描く作家はいないのではないかと思うほどの家康の悪辣を書いた作品。それにしても滅亡の物語はなんともはや読む気がしないものだ。ようやく読み終えた。
61 鳶がクルリと ヒキタクニオ 新潮社 2002.1.20 2002.9.9 一、辞表
とうとう辞表をたたきつけてしまった。 中野貴奈子は上司である上岡の机にそっと提出したつもりだったが、いきなりの貴奈子の行動に上岡は叩き付けられたと感じただろう。「これは中野君の真意として受け取っていいのですか?」上岡はいつもの穏やかな声で話す。四十二歳になる上岡は、厄年だからといって蛇の皮のベルトを締めるようなヤニ臭い男ではない。部下の異変に冷静に対処する申し分のない上司だった。
通俗小説といおうか、肩の凝らない読み物だった。話の展開はちょっと面白い。ただ舞台設定はちょっと無理じゃないかな。若い女の子が全く友人がいないかのように周辺に全く出てこないというのは・・・
60 風狂奇行 富樫倫太郎 廣済堂 2002.5.10 2002.9.5 第一部 奇人たち
年号が宝永から正徳に改まった頃だというから、徳川の将軍位が綱吉から家宣に引き継がれて二年くらい経った頃のことだ。その頃、大阪で道明寺屋といえば、飛ぶ鳥を落とすほどの勢いだったという。道明寺屋は、代々、醤油醸造を家業として手堅く暖簾を守ってきたのだが、近頃、漬物を売り出したところ、これが大変な評判を呼んだ。評判が評判を呼び、ついには浪速名物のひとつに数えられるまでになり、遠く江戸でも評判になったほどである。
出定後語(しゅつじょうごご)という高度な本を書いた富永幾三郎という江戸時代初期の人の伝記小説。可もなく不可もなくという感想でこの作家を読み継ごうと思うレベルではない。
59 ゴールの風景 倉本聡 理論社 1998.4 2002.9.3 知らん権利
富良野に来て二十年、新聞というものをとっていない。別に哲学的理由からではない、住む家が山の中腹にあって雪が積もると通行が至難になり新聞配達さんに気の毒だと思ったからである。だから郵便も下界(した)まで取りに行く。最初、新聞のない朝というものは何とも手淋しく物足りないものだった。一週間もたたぬうちに馴れた。
エッセー集、数えたら85編あった。「森の時計」というエッセーは1年で1周回る時計を欲しいと思って、時計メーカーを知っている人に頼む話だが、結局出来なかった。時計メーカー曰く、速い時計は出来るのだが、遅い時計は難しい」とのことであった。本では技術的に難しいと書いてあったが、造ることは出来でもあまりにも売れぬから止めたと思える。
58 熱球 重松清 徳間書店 2002.3.31 2002.9.2 五日、寝込んだ。最初の一日はひどい二日酔い、翌日はふて寝、今日からがんばらなくちゃと自分に言い聞かせていた三日目に熱が出て、トイレ以外には布団から起き上がれなくなってしまった。この数ヶ月の疲れが、いっぺんに出た。東京にいた頃は忙しさに紛れて気づかずにいたが、やはり疲れきっていたのだろう 高校三年の夏に、甲子園大会に出場権をかける決勝戦に不戦敗したチームのエースがほぼ20年ぶりに故郷へ帰ってきたところから物語りは始まる。いつも書くことだが重松清のものは読みやすい。そして人生をちょっと考えさせられてしまう。
57 その夜、ぼくは奇跡を祈った。 田口ランディ 大和出版 2001.11.16 2002.8.30 「12月24日日曜日午後三時、浜松に行ってくださ〜い」留守録はワライカワセミみたに笑う音楽事務所の女性からだった。クリスマス・イブに仕事が入った。コンビニの夜勤明けの僕は思わず「ほんと?」と電話に聞いた。「場所は浜松セントマリア病院です。地図はファックスしてあります」 この本は絵本というのだろうか、ロマンチックな挿絵が一頁の大きさで数十枚入っている。字体も大きいので1時間弱で読みきってしまった。
1編目の植物人間になった人々に音楽を聞かせる話はなかなか良く出来ている。
56 体に悪いことしてますか 清水義範 祥伝社 1995.4.30 2002.8.30 いやはや、とんだスポーツ・ブームである。ことに日本ではこのところ、スポーツせざるは人にあらず、というぐらいの勢いで、老いも若きも、男も女も、娘もおばさんも、中小企業診断士も悪徳政治家も、夢中になってスポーツに興じているのである。 この本はユーモア小説で心楽しく読めた。前回、前々回の先行きの面白くないしかも沈鬱な読み物だっただけに余計に気持ちよく読めたようだ。
55 城塞 中巻 司馬遼太郎 新潮社 1972.1.20
1974.6.10 14刷
2002.8.28 真田父子
ここに真田氏が登場する。大野修理は早くから、- もし関東と手がきれたばあい、紀州九度山に蟄居させられている真田氏をまねき、それを一軍の将にしよう。ということを考えていた。名を昌幸という。その子とともに紀州九度山に流罪させられていた。
相変わらずの徳川家康の悪謀の数々。それに対比する豊臣側の淀姫の馬鹿さ加減・・ようやく読み終わる。下巻もあるがとうてい読む気になれず、ひとまず退散
54 城塞 上巻 司馬遼太郎 新潮社 1971.12.20
1973.8.30 13刷
2002.8.21 少年
唐突だが、生駒山をのぼる坂はいくつかあり、そのうち古事記にあらわれるもっともふるい坂が、孔舎衛坂(くさかざか)である。いまはこのあたりの赤土が切りひらかれて高速道路化され、阪奈有料道路になっている。道は生駒山を蛇行してのぼり、やがて大和へこえる有料の峠になっていくのだが、のぼりつつ途中でふりかえれば、いわゆる摂河泉(摂津・河内・和泉の三国--大阪府)の大展望が眼下にひらける。
豊臣秀吉亡き後の豊臣家滅亡の物語。元来先行きの暗い本は好きではなく、鬱々として読む。特に徳川家康の汚らしい権謀策術を読まさせられるのは辛い。
53 四千万歩の男(五) 井上ひさし 講談社 1990.5.22 2002.8.14 根府川の関
木食上人はこの女芸人たちと一体どのように関わりあっているのか。忠敬は首を傾げた。この女たちは、日本橋魚市の魚問屋の旦那衆の「江ノ島百味講」に、にぎやかしのために随伴した者たちである。魚市の魚問屋の旦那衆というのも生臭ければ、それに随う女たちも生臭い。いってみれば「俗の中の俗」ともいうべき人たちだ。一方の木食上人は、浮世を捨てて木像を刻みながら六十余州を廻国している。いわば「超俗中の超俗」だ。ちなみに木食上人の主食は松葉である。この超俗中の超俗がどうして俗の中の俗と結びつくことが出来るのか。そればかりではない。この女芸人は、たったいま、木食上人を指して、「あの方はわたしどもの親仁さまです」とも云った。
筆者あとがきで書いているが、人生二山説。二山目が定年後を指す。伊能忠敬はその二山目を最も有意義に過ごした。人物としている。確かに隠居してから星学の勉強をして測量を始めたのが56歳からであるからすごいものである。

しかしこの小説(全五巻)は面白かった。巻末に気が向いたら続編を書くとなっていたので、ネットで調べたが続編が様子もなくちょっとがっくり。
52 精霊流し さだまさし 幻冬社 2001.9.10 2002.8.4 写真の裏には「1978年5月、長崎にて」とあり、山岸政夫という撮影者のサインがある。「毎日グラフ」だったか「アサヒグラフ」だったか、もう櫻井雅彦自身も正確に憶えていないが、長崎での取材の際に写されたものだった。それは長崎市伊良林町一丁目にある、雅彦が少年時代を過ごした伊良林小学校の西側の塀に沿ってだらだらと南側の山へ向かって登ってゆく道の突き当たりで午後三時過ぎに撮影された。 歌手、さだまさしの自伝小説。ところどころほろりとさせる箇所がありなかなかの本である。最初のエピソードが自分の幼い頃、思い出深く1本だけ植えた真っ赤なバラが何十年ぶりかでそこを訪れたら、何百本というバラの大群を目の当りにして思わず涙ぐんだというもの
51 坂の上の雲 六 司馬遼太郎 文芸春秋 1972.9.25
1972.10.1 第2刷
2002.8.1 退却
ロシヤ軍が乃木軍に対して本格的攻勢に出たのは会戦第八日目の3月6日の朝からである。この朝7時50分ごろ、乃木軍は大石橋(ダイセッキョウ)の惨戦を経験し、乃木軍参謀の文章形容を借りると、「後備歩兵第15旅団の一部は、大河の決するがごとく壊乱、敗走した] 大石橋をかろうじて持ち直すと、その翌日、金沢の第9師団は八家子(ハチカシ)付近において強大な敵に遭い、進むも退くもできぬほどの惨況niuおちいった。
章立て
退却、東へ、艦影、宮古島、敵艦見ゆ、抜錨、沖ノ島、運命の海、砲火指揮、死闘、欝陵島、ネガボトフ、雨の坂

感想
全6巻をようやく読み終えた、田園都市線の車中であった。バルチック艦隊との決戦で日本が発信した「敵艦見ユトノ警報に接シ、聯合艦隊ハ直チニ出動、之ヲ撃滅セントス。本日天気晴朗ナレドモ浪高シ」の浪が高いために戦艦を沈没させやすいとの意味が含まれていることを知った。なぜなら喫水線以下の船厚は薄くなっているからであるとのこと
50 坂の上の雲 五 司馬遼太郎 文芸春秋 1972.6.20
1972.6.25 第2刷
2002.7.28 黄色い煙突
稿を、バルチック艦隊に移す。かれらは、その後なおアフリカ東岸のマダカスカル島の漁港(ノシベ)にすわりこんだままであった。繰り返すと、この遠征艦隊がノシベの泊地に錨を投げ込んだのは、1月9日である。その早々、旅順が陥落した(1月1日)というこの艦隊の運命にかかわるニュースを知らされた。さらには黒溝台方面に対してロシヤ軍が大攻勢をかけ、図上戦術からいえば日本軍が大敗を喫すべきところ、ロシヤ軍の二人の将軍の官僚的抗争という内部事情によって攻勢が挫折したのは、1月28日である。
章立て
黄色い煙突、大諜報、乃木軍の北進、鎮海湾、印度洋、奉天へ、会戦
49 坂の上の雲 四 司馬遼太郎 文芸春秋 1971.4.15
1971.6.25 第4刷
2002.7.23 旅順総攻撃
旅順における要塞との死闘は、なおもつづいている。9月19日、乃木軍の全力をあげておこなわれた第2回総攻撃も、惨燦たる失敗におわった。作戦当初からの死傷すでに二万数千人という驚異的な数字にのぼっている。もはや戦争というものではなかった。災害といっていいであろう。「攻撃の主目標を、二〇三高地に限定してほしい」
章立て
旅順総攻撃、二〇三高地、海濤、水師営、黒溝台

この巻でようやく旅順の戦いは終わる。ロシア死傷者12,000(死者2〜3000人)、日本 60,212(死者15,400余人)と圧倒的に日本が多いのに勝ったのは日本となっている。これはロシアの早合点による降参ということになっている。
48 坂の上の雲 三 司馬遼太郎 文芸春秋 1970.6.25
1972.12.20 第30刷
2002.7.18 砲火
日本国がロシヤ国に対して国交断絶を通告したのは、明治37年2月4日であった。ロシヤの宣戦布告は9日であり、日本は10日であったが、しかし戦闘はそれ以前から始まっている。話は前後する。日露両国の戦略をのべておかねばならない。陸軍参謀本部の総長大山巌が、作戦計画をたてている次長児玉源太郎に対し、「児玉サン、何度も申しますが、長くはいけませんぞ」ということをかれのいうように何度もいったが、児玉はむろん百も承知でいた。
さんさんたる敗残といってもいいほどのおびただしいほどの死者を出した戦いが日露戦争であったことを知る。旅順口、遼陽、旅順、沙河の描写。
乃木将軍、伊地知参謀を甚だしく悪役と描いている
47 坂の上の雲 二 司馬遼太郎 文芸春秋 1969.4.1
1972.12.20 第32刷
2002.7.13 須磨の灯
子規(正岡)の従軍は、結局はこどものあそびのようなものにおわった。広島で待機し、四月のはじめ、御用船に乗るべく宇品港へ出かけた。「道端の桜は七、八分咲いて、柳の緑は染めたように芽ざしている。春昼の如しという頃である」と、子規は季節を描写している。かれはあらたにあつらえたセルの背広を着ており、旧藩主の久松伯爵家からもらった太刀をもち、壮士のようなかっこうをしていた。大連に入港した。そのあと、柳樹屯、金州城、旅順へゆき、さらに金州城に帰った。
この巻で、正岡子規は死ぬ。本の後半はどうして日本がロシアと戦わなければならなかったを説明している。薄々とは知っていたがこれだけの国力の差がありながら、日露戦争に突入していったかを知ることができ大変興味深かった。著者は日露戦争と太平洋戦争を比較していろいろ書いているが、一番の違いは精神論を日露戦争ではあまり言わなかったとしている。それだけ極めて論理的に戦況分析ができたことになる。勝って奢ることなかれというが、太平洋戦争はそれを全く生かさなかったところに尽きるということか。
46
坂の上の雲 一 司馬遼太郎 文芸春秋 1969.4.1
1972.12.20 第39刷
2002.7.10 春や昔
まことに小さな国が、開化期をむかえようとしている。その列島のなかの一つの島が四国であり、四国は、讃岐、阿波、土佐、伊予にわかれている。伊予の首邑は松山。城は松山城という。城下の人口は士族を含めて三万。その市街の中央に釜を伏せたような丘があり、丘は赤松でおおわれ、その赤松の樹間がくれに高さ十丈の石垣が天にのび、さらに瀬戸内の天を背景に三層の天守閣がすわっている。古来、この城は四国最大の城とされたが、あたりの風景が優美なために、石垣も櫓も、そのように厳つくは見えない。
日清、日露戦争の時代を生きた三人の生涯でつづる物語、一巻を読み終えたばかりだがいつものごとく司馬遼はぐんぐん小説に引き込まれていく。三人とは、正岡子規、秋山吉古、秋山真之。秋山は兄弟で兄は陸軍、弟は海軍で圧倒的に不利だった日本軍の勝利に貢献した人物として描かれていく。(一巻はまだ出てこない)。しかし正岡子規は知っていたがそれと同等以上の秋山兄弟を知らなかったとは・・・我が身の浅薄を恥じる。
45 遠い句近い句 金子兜太 富士見書房 1993.4.15 2002.7.2 はじめに
自分の愛好している、正岡子規以降の俳句について、気の向くままに書いてみたいとおもう。「遠い句」というのは、過去に出会った俳句ということで、少年期からはじめたい。少年期に出会った句、青年期そして中年、壮年期と、年を経る中で出会った俳句について、思い出すままに書いてゆきたい。
本文の最初のタイトルが読めなくてはじめから読む気がしなかったが何とか最後まで読み終えた。しかしやはり難解な字にカナがほとんど振られていず読むのにずいぶんイライラされた。また俳人作家の一種の思い上がりとも思える。
44 幼な子われらに生まれ 重松清 角川書店 1996.7.30 2002.6.26 仕事を早々に切り上げ、地下鉄でターミナル駅まで出て、発車間際の快速電車に飛び乗った。快速なら35分、急行と普通を乗り継げば42分。7分の差をふだんのように、まあいいか、では埋めたくなった。電車が走りだしてしばらくは、空に夕焼けの色が残っていた。日が長くなった。春の彼岸は雪模様だったが、4月に入るとコートが邪魔になる好天がつづいている。 重松清の本はどちらかというと暗い内容が多いが、どういうわけか選んでします。今回も中盤は辛くて1ページ読むごとに顔を上げ満員の乗客に視線を向ける場面が多かった。しかし後半は前向きに生きようとする描き方で救われる。
ばつ一同士の夫婦の物語
43 チーズはどこに消えた? スペンサー・ジョンソン 廣済堂 2000.11.30
2001.2.28
第12刷
2002.6.21 私たちみんなが持っているもの-単純と複雑さ
この物語に登場するのは、二匹のネズミ、「スニッフ」と「スカリー」と二人の小人「ヘム」と「ホー」。この二匹と二人は、私たちの中にある単純さと複雑さを象徴している。
1年ほど前にベストセラーになった本であったので興味深く読んだが、全くつまらない同じことの繰り返し、前回もベストセラーであった洋物の「話を聞かない男、地図を読めない女」と同様な傾向。何故このような本がヒットするのかわからない。
42 海開け 蜂谷涼 講談社 2001.8.10 2002.6.20 第一章 寄せる潮鳴り
高窓のステンドグラスが、傾きかけた陽にきらめいていた。いかにも舶来らしいハイカラな色合いで、四つ割菱に似た模様をえがくそれは、陽炎のように揺れながら色とりどりの光のかけらになって舞い乱れる。昼の客と夜の客が入れ替わるわずかなあわいの中で、ざわめきの余韻も、客たちの残り香も、床の片隅に降り積もった女給たちのため息も、ステンドグラスが投げかける万華鏡に溶かされていく。

はちや りょう

1961年 小樽市生まれ。
1983年 小樽商科大学短期大学部を卒業。
1990年 シナリオ作家協会主催シナリオ講座研修科終了。

 「銀の針」で第11回読売ヒューマン・ドキュメンタリー大賞カネボウスペシャルの佳作にはいる。
1994年 「分別回収」で第79回文学界新人賞の最終候補になる。
1997年 「煌浪の岸」で第3回小説新潮長編新人賞の最終候補になる。


感想 大衆小説 ちょっと次の作品を読もうとは思わない。肌に合わない

41 項羽と劉邦(下巻) 司馬遼太郎 新潮社 1970.8.5
1971.4.20
26刷発行
2002.6.19 背水の陣
韓信は、転戦している。かれは漢の上将軍とはいえ、劉邦のそばにいるわけでない。つねに別働軍の将であった。当然ながら劉邦にはかれ自身の戦局がる。これに対し韓信はそれと同心円の戦局の中に身を置きつつ、劉邦の円よりもずっと外側で円をえがき、転々と戦場を動きながら勢力を増大していた。戦えばかならず勝った。[異彩だ」ひとびとはいった。弱い漢軍のなかで、例外的な光を放っているのは韓信とその軍だったからである。
最後に項羽は切り刻まれてこの物語は終わる。強いだけではダメというお手本のような小説。
四面楚歌のいわれが出たがこの物語で読むと歴史を感じた。"単なる四方八方にに敵がいる"だけであると思ったが、楚歌とは楚の歌であり、項羽の出身地である。その楚の歌を敵軍が歌っている。自分の故郷の人も敵に回してしまったという強い悔恨がにじみ出ている。
四面楚歌 ・・・ 感慨あらたなり
40 項羽と劉邦(中巻) 司馬遼太郎 新潮社 1970.7.5
1971.2.20
25刷発行
2002.6.15 張良の登場
この間、劉邦の軍は、秦の根拠地の関中をめざして動いているが、北方の項羽の軍ほどにはめざましくない。ひとつは、両軍のあいだの士卒の強弱がある。項羽軍は楚人という、原始タイ語を用いる種族でかためている。張良の晩年、すでに皇帝になっている劉邦が、みずから内乱の鎮定のために東に向かったとき、 楚人はヒョウ疾ナリ。願ワクハ楚人ト鋒ヲ争フナカレ。 楚人はすばしこくて強うございます、どうか楚人と直接戦闘をまじえることはお避けあそばすように、と注意したことは有名で、体の小さな楚人が死を怖れずに戦場を駆けまわるという種族的印象は、張良だけがそう思っているのでなく、この当時の共通のものであった。
中巻では、劉邦が再三負け戦をするところが出る。また筆者は劉邦を少しも英雄していなく人のよさだけで王になれたといっている。極端な歴史解釈と思われるが他の作者も同じなのだろうか。
39 項羽と劉邦(上巻) 司馬遼太郎 新潮社 1970.6.5
1971.3.15 31刷発行
2002.6.11 始皇帝の帰還
秦の始皇帝、名は政、かれが六国を征服して中国大陸をその絶対政権のもとに置いたのは、紀元前221年である。それまでこの大陸は、諸方に王国が割拠し、つまりは分裂している状態こそ状態であるとされてきた。統一こそ異常であったといっていい。
「-----あんなやつが」皇帝か----と、その在世中、巡行中のかれを路傍で見た多くの者がおもったのは、かれによってほろぼろされた国々の遺民としての感情もあったであろう。しかし一方、かれが中国を統一するというばかげた、いわば絵空事のようなことを現実にしてしまったことが、ひとびとにかえっていかがわしさを感じさせる結果になった。
無頼漢の劉邦が、人に助けられ一群の将になっていく。時の運に助けられ・・・

タイトルは、項羽と劉邦であるが主人公は劉邦である。
38 妖怪 司馬遼太郎 講談社 1969.5.20
1977.9.2第2刷
2002.6.7 京へ
この時代にはこんなやつがいた。というはなしである。この時代とは、際限のない戦乱と一揆 慢性化した飢饉 都における無警察、無秩序、頽廃 土民の台頭 室町将軍家のひとり栄華 といったふうの時代で、室町の頽廃期といっていい。有名な応仁の乱よりややさかのぼって十数年前といったところが、この「源四郎」の青春期だった。「ばかげている」と、ある日、源四郎はにわかに熊野の山中で思った。このときから、行動が始まった。「都へ出て、将軍になろう」むろん、正気である。
室町時代の物語。相変わらず司馬遼太郎の本は読みやすい。妖怪変化のはなしが絶えずはなしの筋で登場してくる。えてしてこの種のはなしはとんでもなく現実離れして読みがたいものであるがさすが司馬で苦にはならず読みすすめることができた。
37 ハポンさんになった侍 永峯清成 栄光出版社 2000.4.10 2002.6.2 第一章 支倉の里
支倉の里は、仙台のご城下から西南に約ニ里。名取川沿いの道から、左に折れた地にある。そこは穏やかな緑の丘陵地に囲まれ、さらに行けば、山形へと通じる笹谷街道に突き当たる。背後には上たちの砦を擁し、その裾を流れるはせくら川の周りに、里は細長くゆったりと拡がっていた。砦とはせくら川の途中、街道を見下ろして支倉の館があった。庭の先に長屋門と土塀をめぐらしてはいるが、その塀もところどころが崩れ落ち、館とは名ばかりである。
また新しい歴史的事実を知った。日本人が今のスペインに渡ったということはおぼろげに記憶にあるが、一度日本に戻ってまた同じスペインに渡り、とうとう永住してしまうというのがこの本のあらすじであるが、その日本人がマリアさんの絵を描いたと言うのは歴史的事実なのだろうか、ちょっと疑問に残った。
ただ、その子孫ということで、今では600人ほどの人が、ハポン姓を名乗っているというのをwwwで調べた結果わかった。
36 雨を見たかい 上野哲也 講談社 2001.5.25 2002.5.30 雨を見たかい
雨が振りだした。大粒の雨が音をたてて落ちてきた。雨は庭木を打ち、板塀を濡らし、下草を騒がせる。濡縁で跳ねる飛沫が部屋まで入り込み、畳に寝ころぶ茂の頬も薄くなでていく。彼は顔をしかめ、頬を拭うと、雨を眺めつづける。静かだ。雨音がさらに静けさの奥行きを深めていく。二羽の雀がいっぱいに膨らませた羽毛に顔を埋めて、軒先で雨宿りを眺めている。すべてのものが雨に煙り、輪郭を滲ませて存在を曖昧にしている。
著者 上野哲也(うえのてつや)
1954年福岡県生まれ。同県立田川高校卒業後、小説家を志す。1999年第67回小説現代新人賞を「海の空、空の舟」で受賞。翌年、初の書き下ろし長編「ニライカイナの空で」(講談社)を上梓し、同作品は第16回坪田譲治文学賞を受賞した。

3編の小説が入っている。書名の他に「海の空、空の舟」、「鯉のいた日」 最初の2作は重厚な作品、最後の1作はユーモアが少し入ってちょっとほのぼのとした気分をあじあわせてくれる。良いk作家だ。坪田譲治文学賞を受賞した「ニライカイナの空で」を早速読んでみよう。
35 蔦かずら 鳥越碧 講談社 2002.1.15 2002.5.27 夜の雲
早春の夜空を、薄墨色の雲が駆ける。千駄ヶ谷の国立能楽堂を出ると、車は青山の路子のマンションの方へ向かった。何も言わずとも、運転手の吉田はこうした場合の行先は承知していた。大山の世話になって17年になる。なにもかもが習慣となり、自然に流れていく。「隅田川はやはり重いな」大山が深く吐息を漏らした。「ええ、辛くなりますわ」「そうか・・・・」大山は大儀そうに首を廻した。「お疲れになりましたが?」「ああ、疲れた」
著者 鳥越碧(とりごえみどり)
1944年福岡県北九州市生まれ。同志社女子大学英文科卒業。商社勤務ののち、1990年、尾形光琳の生涯を描いた「雁金屋草紙」で第一回時代小説大賞を受賞。ほかの作品に「あがの夕話」「後朝」「萌えがさね」がある。本作は、[面ひ草」に続いて現代女性に題材をとった。第二の作品集となる。

老いを目の前にした女性が、自分の人生の来し方を振り返り、これからに向かって生きようとするさまを描いた8本の短編集。読後感はちょっとむなしいというか無性に寂しくなる。
34 働くことがイヤな人のための本 中島義道 日本経済新聞社 20013.12 2002.5.24 はじめに あとわずかの命
それは今夜かもしれず、明日かもしれず、明後日かもしれず、一週間後かもしれず、一年後かもしれず、10年後かもしれず、運のいい人は50年後かもしれない。しかし、あなたは確実に死んでしまう。あなたはこの地上ばかりか、この宇宙の果てまで探してもいなくなる。そして「生」を受けたこのチャンスはたぶんただ一度かぎり。もう二度とあなたが「生きる」ことはない
私のナマケ心を少し吹き飛ばしてくれるかなと思って選んでみたが、いやいやとてもまじめな本で恐れ入った。著者は今で言うヒッキーを12年もやっていたというが、東大を出てウイーンの大学の哲学博士を持っている、今はとっても立派な人物。いい人生とは何かを盛んに解いているが、死ぬときにこだわらず人生をサヨナラできる生き方がbestといっている。ちと難しい。
33 額田王女 井上靖 中央公論社 1980.5.15 2002.5.22 白い雉 -
大化6年(西暦650年)2月、穴戸(のちの長門・山口県)の国司が朝廷に白い雉を献上して来た。去る正月9日に穴戸の麻山というところで捉えたが、余り珍しいので献上に及んだということであった。朝廷では、この白い雉の出現がいかなることを意味するか、この方面のことに明るい者たちに訊いて見ることにした。半島の百済国から質(ひとじち)としてこの国に来ている王子豊しょうは、「調べてみましたところ、後漢の明帝の永平11年に白い雉がところどころに居たという記述がございます」
感想
井上靖の本を選んでみた。文字は小さく2段組であったためちょうど一週間かかってしまった。
西暦650年の物語、大化の改新という歴史的言葉だけは知っていたが、どのような人物がいたとは従来全く知らなかった。
額田王女は時の権力者の兄弟(中大兄皇子と大海人皇子)に想われるが、どちらにも属せず、神人として人生を過ごす。

下記の有名な歌が織り込まれたいた。
熟田津に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今はこぎ出でな
32 木喰 立松和平 小学館 2002.3.10 2002.5.14 生き仏 蝦夷-松前・江差
木喰の裸の姿眺むれば のみやしらみの餌食なりけり 木喰行道

雲のごとくさだまれる住所もなく、水のごとくに流れゆきて、よるところもなきこそ、僧とはいうなり。
昔の偉いお坊さんはこういったのだそうだ。雲のように漂い、水のように流れて、よるべを持ってはならない。行雲流水である。このことが本当だとしたら、自分も僧に違いないと、お上人の襟首にたかっているのみは思うのだ。自分はなんでも知っている。知ってはいるのだが、何もできない。
感想
偉いお坊さんの話。この種の話はお経の話とかで堅くなる一方であるが、作者はのみとしらみを擬人化ししゃべららせることによってその堅苦しさを多少和らげている。木喰戒とは、五穀断ち(五穀とは米、麦、粟、黍、豆をいいそれを食べるのを禁じ)、さらに火にかけた食物、すなわち火食をとらないとしている。ものすごい苦行である。それを実行しながらの旅の物語。
安穏とした生活に活を入れられる。
31 脳が若返る遊歩学 大島清 講談社 1998.9.22 2002.5.8 プロローグ-脳の疲れたすべての大人たちへ
はっきり言えば、現代は情緒が失われた時代だ。おそらく十代、二十代の若い世代には情緒という言葉さえ通じなくなっている。
感想
全くくだらない本。単なる老人の自慢話。鎌倉に自宅を持ち、別荘として信州と三重県に持てば森林での山歩きもさぞかし楽しかろう。タイトルが若返るとあるが、筆者の老化した脳をまず若返らせたい。
30 大阪侍 司馬遼太郎 講談社 1968.12.4
1989.10.20 新装第2刷
2002.5.5 和州長者 一
この方角なら、聖源寺だろう。子の刻の鐘が若葉の間にむれて聴こえてくるのを、欽吾は臥床のなかで、ひとつふたつと数えていた。最後に捨鐘がなりおわったとき、そっと眼をあけた。障子があいた。いつものように、嫂の佐絵が、欽吾の臥床に白い体を差し入れてきたのである。かくべつ暑い夜でもないのに、嫂の小さな体が汗ばんで、ほのかにわきがが匂った。
司馬遼太郎にはめずらしい短編集。イントロで紹介の和州長者の他に難波村の仇討、法駕籠のご寮人さん、盗賊と問答、泥棒名人、大阪侍の六編。
いずれも大阪武士が商人をそれほど馬鹿にしないで経済を主体にした考えを主題に扱っている。といっても一作目はちょっと変わっているが・・・
2,,5作目はユーモア小説と言っていいほど軽妙書脱の筆致。特に5作目の大阪城の名刀の泥棒競争は面白い。自称名人が名刀を盗んで相手に自慢をしたらその名刀はその相手が置いたものとか、落ちには自分の女房を盗まれるのだがその片棒を担ぐ羽目になりユーモア小説の面目躍如というところ
29 48歳からのボケチェック 中里喜昭 同時代社 1995.12.20 2002.5.1 この10年来、よく××動物園へ出かけていく。私がそんなところへ足繁く通いはじめたわけは、ある自治体の高齢者対策事業として発足した、動物園ガイド・ボランティアの取材がきっかけである。おそろいの黄のスーツ以外は完全な無報酬、交通費もボーナスもない、文字どおりの手弁当で嬉々として立ち働く彼らの姿は、この世代独特の洗練だれた節度に磨かれ、ちかごろの高齢者にはめずらしい颯爽とした心意気を感じさせ、快かった。数倍する応募者の中から選ばれた彼らは、もと大手企業の幹部役員とか新聞記者、戦後に登場した婦人警官の第2号といった経歴を持ち、エスプリ充分な人たちである。 ボケは要するに心配事がなくなったときにやってくると著者は説いている。どんなに人目には難しい仕事・趣味でもそれが自分自身でマンネリズムに陥っているときは危ないと警告している。
逆説的に仕事で、上長に激しく叱責されたとしてもノイローゼになったとしても少なくてもボケにはならないとしている。
いくつになっても新しいことに興味を持ち探求していく心がないとダメということである。
28 四千万歩の男(四) 井上ひさし 講談社 1990.4.22
1990.6.29 第2刷発行
2002.4.30 竹橋の古帳 一
京伝店を訪れたあくる日,すなわち12月23日の夕方,伊能秀蔵が松前の吉助を伴って下総佐原村から深川黒江町へ戻ってきた。(ひとり暮らしをしているのだから、ここで倒れてはならない)
自分にそう言いきかせてきたのだが、秀蔵や吉助の顔を見た途端、心のつっかい棒が外れてしまった。お栄を失った心の傷が一気に大きくひろがり、それが持病の引き金を引いた。喘息の発作がはじまり、忠敬は寝込んでしまった。秀蔵はときどき忠敬の枕許にやってきて、「お栄さんはどうしたんですか」と訊く。「居所を教えてくださいよ。すぐ呼びに行ってきますから、お栄さんもこういうときに居てくれなくちゃしょうがないじゃないか」
忠敬に答える術はない。事情を察しているらしい吉助が、気をきかせて、そのつど、なんだかんだといっては秀蔵を連れ出してくれるが、そのときまで咳をしながらごまかしているより外はなかった。
この本は、細かい字で2段書きの体裁で読むのに骨が折れる朝9時過ぎから読み始めて、読み終えたのが7時30分頃であった。
しかし、相変わらずの面白さで一気に読むことが出来た。今回の道中記は、江戸から西へ下って横浜、江ノ島の測量記である。巻立ては納名主宿、辛酉革命、沿海日記、阿波の殿様、保土ヶ谷の大達磨、金沢八景殺人事件、捕鯨の策、金銀合戦記、罠
27 風の耳朶 灰谷健次郎 理論者 2001.12 2002.4.25 バス停に降り立つと、さっと吹きつけられたように海の匂いがした。「すぐそこが海なんだ」「バス停は旧国道にあるんですね。あなた」「いいもんだ。旧い道は」「いいもんですね。干してある洗濯物がのぞいていたり、小さな八百屋さんやお米屋さんが仲良く軒を連ねていて、店先には、春蒔きの野菜の種が並べられていたり・・・・」「おやおや。ハルちゃんはバスの中から、そんなものを見ていたのかい。まだまだ目はしっかりしているんだ」 感想
老夫婦が自死を覚悟して最後の旅に出、結局取りやめる物語。この作者は結構好きであったが、最近は教訓くささが鼻をつく。またこの話の展開も簡単に死をやめるというのもイージーで好感をもてない。
26 つばさ(上) ダニエル・スティール アカデミー出版 2000.8.1 2002.4.22 第一章
とうもろこし畑のなかを、行けども行けども右へ左へ曲がりくねる細くて長い泥道が続く。その奥にあるのが[オマリー飛行場]だ。滑走路は乾いた平地をならしただけの地面に過ぎず、場所はシカゴの南西300キロのグッドホープ近くである。
パット・オマリーがその土地を最初に見たのは1918年の秋だった。79エーカーの荒地が、そのときの彼の目には、生まれてはじめて見る美しい景色と映った。ただこんな土地を欲しがる農民はいないだろう、というのがそのときの彼の正直な印象だった。事実、購入を希望した農民はそれまでひとりもいなかった。
感想
飛行気乗りの若い女性の物語。平易な文章で堅苦しくなくスラスラと読める。下巻も読んでみたい

ダニエル・スティール(Danieele Steel
発表する作品がすべてベストセラーの第1位にランクされる。米国で最も人気のある作家。日本でも「アクシデント」「幸せの記憶」「二つの約束」「敵意」「無言の名誉」「贈りもの」「5日間のパリ」がアカデミー社から発行され、ベストセラーになっている。
25 人は星、人生は夜空 曽野綾子 PHP研究所 2001.11.29 2002.4.18 失敗という人生はない
世の中には、うまくいかない結婚が多すぎる。しかし、相手に不誠実になる口実なら、どこにでも、いくらでも、必ず、あるのである。しかし、一人の人間に共に暮らしてよかったと、思わせることが、実は大事業であり信仰の上からみても大きな意味を持つということは、あまりはっきり言われていない。
感想
本を開いて、がっかり。小説ではなく人生の警句になるような小説の一節を引き出し並べたもの。こう次から次へと並べられてもなーというかんじであった。
24 菜の花の沖(六) 司馬遼太郎 文芸春秋 1982.11.25
1992.7.25第2刷
2002.4.17 遭遇
リコルド少佐は、不明の戦いも覚悟していた。毎日の緊張が、目の下の肉を削ぎとってしまった。かれがひきいる軍艦ディアナ号と運送船ゾーチック号がともすれば霧が出て視界を乳色にしてしまう南千島の海域をうろつきはじめたのは、ロシア暦の八月中旬(1812年・文化9年)のことである。
霧のほか、風も潮流もすべて操船に都合がわるかった。「背信湾(国後島南端の泊湾)に入りたい」というのがリコルドの目的でありながら、クナシリ島の東方のシコタン(色丹)島が見えるあたりをさまよっていたりしたが、8月28日(日本暦8月4日)になってようやく目指す湾に進入することができた。
感想
最終巻、嘉衛平がロシア船にとらわれ、捕虜となる。日本に囚われているロシア人ゴローニンの引き換え要員である。嘉衛平は日本とロシアの間に戦争が起こらないように最大限努力をする。結果無事戦争は起こらずゴローニンと嘉衛平は各々祖国に戻ることができた。

ロシアの軍人リコルドと嘉衛平の友情は読んでいて気持ちがよい。
タイトル[菜の花の沖」について最後にこう述べている。菜の花は油になり遠くエトロフの網を照らしその網で取った魚を肥料としてこの菜の花は咲いている。私はそういう回り舞台の下の奈落にいたのだ と

花神といいこの本といい最後の最後にタイトルの説明がある。このなぞがわかってホッとする。
23 菜の花の沖(五) 司馬遼太郎 文芸春秋 1982.10.25 2002.4.12 林蔵
海が春になった。その朝、昇り始めた陽が兵庫の和田岬の松原を隈深く照らしたが、そのまま陽が高くなっても雲がさえぎらず、吹き続けている微風は、真綿のようにやわらかった。生まれたばかりの八艘の船が、すでに兵庫の浦風の中で、帆柱と船尾(とも)をそろえてならんでいる。出港の準備は終わっていた。
感想
いよいよ五巻となった。本巻は嘉兵衛がほとんど登場せず、ロシアが何故北海道沖に表れてたかを懇切丁寧に説明している。そもそもがロシア史から詳しく述べているのに面食らった。あとがきで現在の千葉県が何故銚子と言われているのかの説明があった。これは沖合いから銚子の湾を見たとき入り口が狭く、中が広くないっていて酒を飲む銚子のような形が来ているとの話があり、なるほどと思った。
22 馬喰八十八伝 井上ひさし 朝日新聞社 1986.4.1
1986.6.10 第4刷発行
2002.4.8 本編の主人公が八十八と名乗る以前のこと
下総国(今の千葉県北部と茨城県南部)の、馬産地として知られた桜七牧のひとつに、高野という石高556石9斗3合5勺の村があったが、この高野村の真北にある眺峠へ、九州天草一揆が鎮まってまだ間もないさる年の雪消え時の夕暮れ、一人の若者がひょろひょろの痩馬をひいてやってきた。若者の年恰好は17か8、血色のいい、金時のような丸顔に、はしこうそうな大きな目がはまっており、太い眉毛は八の字にさがってなかなか愛嬌があった。
感想
大ボラ吹き、馬喰 八十八の物語。井上ひさしは「四千万歩の男」で大分読み心地が良かったので、今回も選んで読んだもの。ホラ話で次々と構成されていくが、いやみがなく気持ちよく読みすすめる。最後まで一気に読んだ。
21 花神(4) 司馬遼太郎 新潮社 1972.8.25
1976.6.25 第13刷発行
2002.4.3 京都占領戦
情勢は、転々した。この慶応3年の10月、土洲の坂本竜馬が立案して成功せしめた大政奉還という異常事態(薩長にとって)があり、このため武力革命の計画は一時停止した。薩の西郷や大久保などは、「よけいなことをする」と、水をかけられたおもいであった。西郷・大久保によれば薩長が秘密裏にすすめている武力革命以外の方法は考えられない。が、坂本にすれば、--それでは土洲ほかの諸藩が可哀そうだし、徳川氏もあわれである。
感想
全4巻、読了。いまさらながら司馬遼太郎のすごさに感嘆する。しかしこれと同類の大作がまだ20本近くあるようだ。私が生きているうちに全部読めるのだろうか。ところでタイトルの花神だが何故花神なのだろうかと不思議に思っていたが、この巻の最後のほうに種明かしがあった。・・・・ 中国では花咲爺のことを花神という。蔵六は花神の仕事を背負った。花神の立場から言えば、花神の力を持ってさえなお花を咲かせたがらない山があることが、実感としてわかる。----- とある。村田蔵六 → 大村益次郎の一生の物語であった。敬服
20 神無月十番目の夜 飯島和一 河出書房新社 1997.6.25 2002.3.31 序章 慶長7年(1602)陰暦10月13日
己のみが悪い夢の中に取り残されたようだった。この5月以来、なにもかもすべてが変わってしまった。確かに長く覚めることのない夢の中の出来事だと思い込むほうがわかりやすかった。陸奥国と境を接する常陸の北限一帯は、中世より依上保と呼ばれた。その保内(ほだい)は比藤(ころふじ)村の旧御騎馬集、大藤嘉衛門はこの年39歳の秋の夜を、小生瀬の地でただ一人迎えていた。
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常陸の山里、小生瀬の地へ急派された大藤嘉衛門は、悪い夢を見ているようだった。強烈な血の臭い、人影のない宿場、--- やがて「サンリン」と呼ばれる場から、老人、赤子までにいたる骸三百余が見つかる。一体、この聖なる空間に何が起こったのか・・・。時は江戸初頭、古文書に数行記されたまま、歴史から葬り去られた事件の"真実"とは

感想
飯島和一の本はこれで2作目、第一作目で読んだ「雷電」が良かったため、選んでみた。
今回は題材が重く暗く読むのがつらかった。しかし重厚な書き方で好感が持てる。あと一作「汝ふたたび故郷へ帰れず」があるのでまた読んでみよう
19 花神(三) 司馬遼太郎 新潮社 1972.7.25
1976.6.10 第13刷発行
2002.3.27 普門寺
お琴の風邪が、看病していた蔵六にうつってしまったらしい。帰宅して数日後に高熱が出、それが5日つづき、6日目にやっと熱はさがったが厠にも行きかねるほどに消耗してしまった。そのあと咳がはげしく、咳のたびに肋骨の内側に痛みを感ずるようになったところをみると、気管支炎をおこしたらしい。(やっかいなことになった)と、たえて病気というものをしたことのない蔵六には、これがひどくこたえた。慢性に移行すれば、容易ならぬことになる。
いよいよ村田蔵六が、四境戦争で軍事の大将となり指揮を執る場面となる。

時代は明治維新まであと、数年というところ、この手の本を読むと何故明治維新がなったかよくわかる。
18 天国の階段 <上> 白川道 幻冬社 2001.3.10
2001.3.20 第4刷発行
2002.3.22 第一章 傷ついた葦
昨夜半から降りはじめた豪雨は昼の一時を過ぎたころになってようやく小雨に取って代わった。その降りしきる小雨の中のパドックを十八頭の馬たちが周回を重ねている。
力強く後肢を踏み込み絶好の仕上がり具合を示す馬、首を上下させながら秘めた闘志をむき出しにしている馬---。
しかしどの馬からも、この晴れ舞台に登場するのが持って生まれた自分の血の当然の帰結とでもいう品格と自信とが感じられる。
白川道の作品は2作目、前作は99年の10月に「病葉流れて」を読んでいる。この作品は、主人公が殺人者で徐々に刑事に追及されていく過程となっている。この手の本は苦手。主人公が徐々に追い込まれていくというのはどうも読書欲が落ちる。誰しも主人公に感情移入するのであるから作者にとっても不利と思うのだが・・・・

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家業の牧場を騙し取られ非業の死を遂げた父。最愛の女性にも裏切られ、孤独と絶望だけを抱え19歳の夏上京した柏木圭一は、26年の歳月を経て、政財界注目の若き実業家となった。罪を犯して手に入れた金から財を成した柏木が描く復讐のシナリオ。運命の歯車が狂い、ひとりひとりの人生が狂いだす。
17 時宗
巻の壱 乱星
高橋克彦 日本放送出版協会 2000.11.20 2002.3.16 深秘
兄であり、北条得宗家の棟梁でもあり、なによりも今の幕府の執権の座にある経時から深夜の呼び出しを受けて時頼は激しい胸騒ぎを覚えた。寛元4(1246)年、3月23日のことである。就いたばかりの床に半身を起こして時頼は一呼吸置いた。だが胸騒ぎはさらに強まって行く。「確かに兄者からの呼び出しか?」違うだろう、と思いながら時頼は板戸を挟んで廊下に平伏をしている郎党に質した。
2001年NHK大河ドラマ原作「北条時宗」の本
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奥州藤原氏を滅ぼした源頼朝が鎌倉に幕府を開いてから50年、源氏に代わってその実権は北条一族の手に移っていた。第五代執権となった北条時頼は国のあるべき姿を求め、己の信じる道を突き進んでいく。だがその頃、海を隔てた大陸の彼方からはかってこの国が遭遇したことのない未曾有の危機が迫りつつあった・・・
感想
登場人物が多く、筋がつかみにくい。政権の争いは、人と人との戦い-歴史小説はすべてそうであるが-
16 ニッポン消滅 上 キム・スンホ 小学館 2001.11.20 2002.3.3.13 第一章 風前の灯火
日本最大野党の党首、羽田健介は、数日前に思いもよらない手紙を受け取った。手紙は秘密裏に渡されたが、首相・藤沢修一からの直筆だった。
駄作。まるで漫画を読んでいるような筋たて、日本が沈没sるので、その代わりの領土を戦争で奪い取るというもの。筋でそれも許されるが、挙国一致で成し遂げようとしている。これははやり韓国人が書いた小説だからなのか。単純、愚作
15 ピンの一(ピン) 伊集院静 幻冬舎 1998.12.10 2002.3.10 第一章
山津波というものをご存知だろうか。津波は知っている人が多い。四方を海に囲まれた日本では東西南北、大陸でも海底でもグラッと地震がくればほどなく水位は上り、ひどい時には高潮が、津波が押し寄せる。
バクチ礼賛の本で、読む気がしなかったが最後まで読んだ。
しかし、最後はいくら小説といってもハチャメチャ、飛行機が空中で爆発しても、全員が生き残った なんていうのは馬鹿らしくて読んでいられない。
奥付けでは、直木賞をとっているというが本当なのか疑ってしまう。
14 梟の城 司馬遼太郎 講談社 1959.9.20
1981.8.20第9刷
2002.3.8 おとぎ峠
伊賀の天は、西涯を山城国境い笠置の峰が支え、北涯を近江の国境いの御斎峠(おとぎ峠)がささえる。笠置に陽が入れば、きまって御斎峠の上に雲が沸いた。天正十九年。---3月のあと数日しかあまさない。落ちなずむ陽が近江の空を鮮々と染めはじめたその夕、茜雲の下の峠みちを、這うようにしてのぼってゆく老人があった。
伊賀忍者を主人公にした時代物。時代背景は織田信長の政権を受け継いだ豊臣秀吉。その秀吉の命を忍者が狙う。石川五右衛門が主人公のライバル役の忍者にしているのはちょっと意外。司馬遼太郎にとっては、2作目の本。やはり荒削りな気が若干する。今まで私が読んだ司馬遼太郎の本に比べると女性とのかかわりが多いようだ。

主な上場人物
葛篭重蔵、小萩、黒阿弥、風間の五平、木さる、
13 銀河がこのようにあるために 清水義範 早川書房 2000.12.15 2002.3.1 01-01
宇宙物理学博士の難波羅眠が月に来るのは生涯で三度目だった。その三度とも、訪れるのはラインバッハ天文台で、それ以外の月面上の施設には立ち寄ったこともない。前の二回の月旅行は、まだ三十代の若手学者だった頃だ。宇宙物理学者として、ラインバッハて天文台にあるザクト望遠鏡を覗いた体験があるというのは、大きなキャリアとなるのだ。
SF小説。SF小説はどうも、話の展開に無理があって、いま一つのめり込めない。今回の話も、いまから00年後の
題材を描いている。宇宙が膨張から収縮に転じ、わずか3ヶ月でビッククランチを迎えるという話だが、光だけの現象で熱は伴わないことにしている。いくらSFでもねーという感じである。
12 柳絮(りゅうじょ) 井上祐美子 徳間書店 1997.1.31 2002.2.26 第一章 王謝の人
その時、わたしは青い幕でもしつらえた小房(こべや)の中に、ひとりで座っておりました。四方の壁をすべて青い幕でおおった、こじんまりした部屋-青ろと呼ぶ、仮の部屋でございました。
中国歴史小説、300年頃の東晋を題材にとったもの。
柳絮とは、柳の絮(わた)のことで、P23に、次の記述がある。江南の春は、楊柳の綿でで埋まります。柳の種をつつんだ軽い絮(わた)を、暖かな風がさらいあげ、どこまでもふわふわと漂わせます。そんな風情が、わたしはたいそう好きで、それと雪を対比させたのでした。
11 ダメなときはガンバらない 花井愛子 ぶんか社 2001.10.1 2002.2.20 あぢあぢ
空が青いな! て眺めて、とても幸せになれる。きょうこの頃。
「ああもうダメだ、ホントのマジで限界だ、ガケっぷちだ、死ねというのか!?」という立ちすくみ青ざめ吐き気アブラ汗状況から、振り返ってみると我ながら「奇跡としか言えない、かもしんない」プロセスの脱出をして。すごいな・・・
感想
有名な少女向け小説家らしい(私は読んだことがない)。自己倒産の立ち直りから、日常のことを書いた随筆集。何故、自己破産になったのかは書いてなくてちょっと残念。
気楽に読めた。
10 菜の花の沖(4) 司馬遼太郎 文芸春秋 1982.9.25
1992.7.7.2
第2刷
2002.2.18 波濤
この未の年(寛政11年・1797年)の3月、嘉兵衛が箱館の浜に上陸すると、(なんというにぎやかさだ)と、去年と打ってかわっての人の往来の繁さに驚いてしまった。(去年はただの荒磯と草のはえた坂道があっただけでなかったか)
嘉兵衛が幕府に頼まれて、クナシリの海路を発見し次第に江戸幕府に重用されていく。しかし嘉兵衛も蝦夷が好きなため断りきれない。後半部に伊能忠敬と会う場面が描かれているが、まことにそっけなく描かれていてつまらなかった。作者が違えば当然か。
9 菜の花の沖(3) 司馬遼太郎 文芸春秋 1982.8.25
1992.7.25 第2刷
2002.2.15 嘉兵衛の海
夏が過ぎた。海は季節とともに生きている。夏がおわるころ、さほどに風もないのにはるかな沖からながいうねりの波が押しよせてきて、たらいの中のように瀬戸内の海でもおおいにさわぐ。土用波である。「土用波の日にも嘉兵衛の船が走っていた」と兵庫の西出町あたりでは、評判になった。
嘉兵衛が千石船「辰悦丸」を建造し、北前船の一員となる。松前藩の蝦夷の治策の無さを怒り、次第に蝦夷の人々に傾倒していく場面となる。
8 贅沢は敵か 甘糟りり子 新潮社 2001.4.20 2002.2.8 贅沢は敵か バンド・ホテルとロールズロイス篇
横浜のバンドホテルが閉鎖されることになった。元町のはずれに位置するバンド・ホテルは、客数約50というこじんまりした2流ホテルである。横浜港が開港した頃に建てられたという。噂によると、閉鎖した後は安売り専門の店に成るらしい.
感想
バブルの生き残りといえる考え方で世を過ごしている作者にびっくり、驚き・嫌悪、本書では私はバブルの申し子ではないと言っているが、・・・。一番目についたのが、「私は車で男を選ぶ女」と言い切っており、しかもその車とは外車で、価格が2000万から3000万の車に乗っている男らしいと読んで驚愕。
1泊4万円のホテルに泊まり、ブランド物は買いあさり、車は2000万近くの乗っている彼女、終始決算がどうなっているか知りたい。
7 もし川がウイスキーなら T・コラッゲッサン・ボイル 新潮社 1997.10.30 2002.2.4 モダン・ラヴ
初めてのデートでは体液の交換はなかったけど、ぼくたちふたりともおおいに満足した。ぼくは7時に彼女を車で迎えにいき、「ミー・グロップ」に連れていった。そこで彼女はファト・タイの皿から肉の細切りを入念によりわけ、1本3ドルのシンガ・ビールを4本もあけた。
キャッチコピー
ボイルは、途方もないエンタテイナーで、言葉のショーマンで爆弾的天才の風刺作家だ。 - ニューヨーク・タイムズ・ブック・レビュー-
ボイルのストリーテラーの才能は無尽蔵である。その目はシャープで、耳は正確である。 - シカゴ・トリビューン -
まるでレオナルド・ダ・ヴィンチが口達者になって生まれ変わったかのようである。 - サンフランシスコ・エグザミナー -

感想
16作の短編集、話の筋が良く掴めぬ作品も多かった。また読んで見たい作者とはいえない。
6 マラトン 小説ペルシャ戦争1 恂{ 史 幻冬舎 2001.10.31 2002.1.29 紀元前5世紀初頭の古代ギリシャは、ポリスと呼ばれる都市が方々にあった。それらは城郭で囲繞され、それぞれが一国家としての行政、立法、司法の機能を持っていた。一般的には都市国家と訳されるが、この物語では城邑(ポリス)と表記する。それらの代表格が、アテネやスパルタであった。 キャッチコピー1
国はなぜ繁栄し滅びるのか? アテネきっての知将ミルチアデスは、オリエント屈指の強国ペルシャと対峙する。東西の政治と宗教、文化の凄まじい衝突はここから始まった。気鋭の作家が果敢に西洋に取り組んだ、雄大にして絢爛たる書き下ろし歴史小説

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"マラソン"を誕生させた伝説の激戦を活写した、歴史小説の大傑作! アテネ出身の商人ミルチアデスは父とともに捕らえられ、アケメネス朝ペルシャの兵士として徴発される。兵役の期限が切れたとき、アテネを牛耳っていた僭主(専制君主)が追放され世界で初めての民主主義国家が誕生する。兵役の経験を買われたミルチアデスはサモス島で将軍として軍事に携わるが、アテネを取り巻く情勢は激しかった。BC5世紀初頭、扇動者、強烈な権力の攻防、運命的な愛憎、カルト教団の陰謀に揺れるアテネは当方の強敵アケメネス朝ペルシャの脅威から国を守れるのだろうか
5 えびす聖子(みこ) 高橋克彦 幻冬舎 2001.3.10 2002.1.23 継ぐ者
同年代の者より一回り以上も小さな体なのに、幼い頃からシコオの強さは近隣に知れ渡っていた。負けん気で最後まで踏ん張り通すのである。どれほど殴られても音を上げずに飛び掛っていく。しまいにはへとへとになって体の大きい者が逃げ腰になる
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伝説の神々は実在したのか? 出雲神話を大胆に解釈した高橋版「古事記」傑作伝記小説
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古代出雲地方は斐伊の里(現在の島根県木次町付近)に生を受けた少年シコオは、奇妙なんあ噂を耳にした。阿用の里に「鬼」が出たというのだ。比類なき猛者として名を轟かせていたシコオは鬼退治に向かうが、その道中、光輝き宙に浮かぶ「船」に出会い、「因幡の国をめざせ」との声を聞く。そして自分と同じように因幡をめざす若者タカヒコ、タカヒメ、ナルミという仲間を得て、様々な試練を乗り越えていくのだが・・・。はたして「鬼」と「船」の正体とは?

4 重蔵始末 逢坂剛 講談社 2001.6.29
2001.8.20第2刷
2002.1.20 第一話 赤い鞭
本所回向院の境内に、歓声と怒号が渦巻く。「何しやがるんだ、雷電。鬼の野郎を、早くぶん投げろい」「そりゃこっちのせりふだ。もたもたしてると、日が暮れちまうぞ、鬼ヶ嶽。早く雷電を、持ち出しちまえ」「黙りやがれ。天下の雷電に、そんな口をききやがると、おれが承知しねぞ」
登場人物
主人公 ・・・ 近藤重蔵(与力)、橋場余一郎(同心)、根岸団平(密偵)

感想
お気楽に読める時代小説、ただ主人公の重蔵が若いのに横柄という設定は気に入らない
3 話を聞かない男、地図を読めない女 アラン・ピーズ+バーバラ・ピーズ 角川書店 2000.4.25
2000.12.10 第16刷
2002.1.18 はじめに
よく晴れたのどかな日曜日の午後。ボブとスーは10代の娘たち3人を連れて、家族そろって海辺のドライブに出かけた。ハンドルを握っているのはボブ。妻のスーは助手席に座っているが、何かというとうしろを向いて、娘たちのおしゃべりに加わっている。しかしボブには、4人が好き勝手にしゃべりちらしているようにしか聞こえない
感想
2000年に大ヒットした本、ようやく読んだ。男と女とは違うことを同じネタで何回も何回も繰り返して示している。とてもイライラして読んだ。なぜ大ヒットしたのか不明。タイトルがいいからかな
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菜の花の沖(2) 司馬遼太郎 文芸春秋 1982.7.25 2002.1.16 北風の湯
兵庫の津には、北風という不思議な豪家がある。嘉兵衛がおふさに、「きょうは、昼を食べたあと、北風の湯にゆく」といえば、おふさの脳裏にもその入浴風景がほぼ絵になってうかぶ。船乗りの町である西出町で、北風という家の恩恵を受けなかった者は一人もない。
たとえばにわか雨が降ると、北風家では店先に傘を山のように積み上げる。
章立て
北風の湯、松右衛門、オランダ船、熊野鰹、北風荘右衛門、大灘、薬師丸、松前の夢、北前、和田岬

あらすじ・感想
嘉兵衛は紀州の木材をいかだで江戸に運び、一躍脚光を浴びる。江戸からの帰りがけ薬師丸という訳ありの船を自分の物とした。いよいよ北前船を手に入れるため兄弟でこの船を使って稼ぎをはじめる。
いつもながら面白く読んだ。
1 菜の花の沖(1) 司馬遼太郎 文芸春秋 1982.6.25
1989.6.15 第4刷
2002.1.9 都志の浦
淡路の島山は、ちぬの海(大阪湾)をゆったりと塞ぐようにして横たわっている。北に向かうほど長く細く、逆に南へむかえば地がひろく、野がひろがり、水田が空の色を映している。北端の岩山は感覚として蝕角のように鋭い。わずか一里のむこうに本土の車馬の往来するのが見え、そのあいだを明石海峡の急流がながれており、本土に変化があればすぐさま響いてしまう。
主人公 菊弥→嘉兵衛
章立て
都志の裏、潮騒、瓦船、網谷のおふさ、妻問い、村抜け、兵庫、海へ、樽廻船、春の海、出船、潮路

感想
この本は、全5巻、第一巻を読み終えたが嘉兵衛が後の誰になるかわからない。司馬遼太郎特有の話の筋より時代背景の説明が多いが、存外この説明が面白い。歴史の勉強のような気もする