読書記録 2004年
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発行日 | 読了日 | イントロ | メモ・登場人物 | |
68 | 逆波(げきろう) | もりたなるお | 新潮社 | 1993.10.20 | 2004.12.26 | 序章 草思堂の長屋門を出た芳川栄治は、門前の小径を歩き、表の通りに止まっていた青梅警察署の車に乗り込んだ。快晴である。前日に降った雪が朝日に輝き、道も家も梅林も、眩い光を放った。車は吉野街道を下り、多摩川に架かる万年橋を渡って青梅の街へ入っていった。警察署の玄関には、警務主任以下数名が出迎えていて、一斉に挙手の礼をし、吉川栄治を署長室に案内した。警察署の屋根からは、雪解け水がポタポタと垂れ、まだ二月のはじめだというのに、春をおもわせるような暖かさであった。 |
副題は「警備警察官の三十年」とある。警備とは一般の犯罪取締りとは違い、デモとか大きく言えば騒乱罪に対して取り締まる警察官を言う。 もりたなるおの著作は、2作目、前回は「雷電」という歴史上有名な人物であったが今回は違った。が書き方は淡々としているがへんな修飾はなく大変読みやすい。引き続き読んでみたい作家である。 |
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67 | 睡蓮の長いまどろみ 上 | 宮本 輝 | 文芸春秋 | 2000.10.20 | 2004.12.17 | 第一章 アッシジ ドアをあけたままそのホテルの大理石の浴槽に深く身を沈め、ほぼ目の高さと同じところにある居間の中から中庭のほうに視線を投じると、青緑色の池とつたの絡まった階段の手すりが見える。庭には花々が咲き、葡萄畑があり、その横にミラヴェルの古木が枝をひろげている。昔もいまも、夕暮れになると、聖フランチェスコ教会に帰っていくカラスの大群の影が、Rホテルの中庭を真夜中のようにさせるらしいのだが、世良順哉は五日間宿泊して一度もその情景を見ないまま、イタリアのアッシジから日本へ帰ってきた。 |
「星宿海への道」に続く、宮本輝 復活読書2冊目の本。味わい深いが所々怪奇現象を場面に持ち込みちょっとシラケル。 | |
66 | そごう崩壊 | 渡辺一雄 | 廣済堂出版 | 2000.12.15 | 2004.12.11 | 一.そごう家族 そごう大阪本店婦人服部統括マネージャー、志方宏明の家族は近所の人から、「あの家はそごう家族」と言われていた。志方の会社での朝の日課は入口で何人の客が開店を待っているかのリサーチからはじまった。入口は御堂筋橋、心斎橋筋側の地上2箇所、地下鉄御堂筋線心斎橋駅からの地下一か所の三か所であった。そごうの南隣は大丸である。 |
企業の崩壊といえばその過程を長年に渡っての累積を書くべきであるが本書にはそれには深く触れず、ただ最終的に国が援助をしなかったから、とあり甚だ疑問の書である。あと一方的にそごうの40年間に渡って社長をした水島氏を一方的にほめちぎっている。この辺も本書に対しての疑問点となる。 | |
65 | 聖徳太子-日と影の王子 上- | 黒岩重吾 | 文芸春秋 | 1987.6.30 1989.5.25 第6刷 |
2004.12.9 | 物部合戦 西暦五八七年旧暦七月の初旬は残暑が厳しかった。烈日は人々の肌を灼いている。大和平群郡と北葛城郡の境を流れる大和川の水流も例年になく少なくなっていた。竜田川の西南の大和川沿いに二千の兵士達が布陣している。隊長達は五世紀時代から家に伝わっている鋲留めの短甲や、六世紀になって騎馬戦のためにつくられたけい甲(無数の鉄の小札を皮紐でつないだよろい)を被ているが、兵士たちは皮甲や板甲を外し半裸になっていた。 |
12/8の東京への出張で半分を読む。"磐舟の光芒
"という書名で同じ黒岩重吾が物部大連が蘇我馬子に滅ぼされるまでを描いているがこの小説はちょうどその後の時代から描いている。それにしても大作である。673頁もあり本を持ちながらの読書であると手が疲れる。 本編は聖徳太子がまだ厩戸の皇子といわれた少年期から青年期までを描いている。 |
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64 | ノルウェイの森(上) | 村上春樹 | 講談社 | 1987.9.10 1988.9.23第23刷 |
2004.12.1 | 第一章 僕は三十七歳で、そのときボーイング747のシートに座っていた。その巨大な飛行機はぶ厚い雨雲をくぐり抜けて降下し、ハンブルク空港に着陸しようとしているところだった。十一月の冷ややかな雨が大地を暗く染め、雨合羽を着た整備工たちや、のっぺりとした空港ビルの上に立った旗や、BMWの広告板やそんな何もかもをブランドル派の陰うつな絵の背景のように見せていた。やれやれ、またドイツ語か、と僕は思った。 |
久しぶりというか2冊目の村上春樹の本、前はねじまき鳥クロニクルであった。確か場面がバンバンと変わっていたりやたら難しい本であった。この本は場面展開はそれほど煩雑に変わらないので・・・でもないか。すこしは読みやすいかな | |
63 | なぎさの媚薬 | 重松清 | 小学館 | 2004.7.20 | 2004.11.27 | 敦夫の青春 八坂敦夫がなぎさと出会ったのは、秋がしだいに深まりつつある頃だった。噂は-聞いていた。誰もが声をひそめ、あたりをみまわして話す。そんな種類の噂だ。渋谷から一駅の、たとえばポケットマップで<渋谷>を開いたときに、ページの隅にひっかかるかどうかのあたりになぎさはいる。苗字は誰も知らない。「なぎさ」が本名なのかどうかも。そもそも、姿かたちさえ、はっきりしない。 |
キャッチフレーズ 君を抱きたい-現実には抱けなかった君を。 夜の渋谷にたたずむ娼婦・なぎさは、孤独な男たちに夢を見せる。それは、青春時代の忘れ物を取り戻す、せつなく甘い夢- |
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62 | 星宿海への道 | 宮本輝 | 幻冬社 | 2003.1.10 | 2004.11.24 | 人間の足跡どころか、いかなる生き物の足跡もない死の砂漠を歩いてみたことがおありでしょうか。あれは恐怖とこわくが混ざり合って湧き出てくるある種の快楽といえるかもしれません。振り返ると自分の足跡が風紋の上に長々と穿たれているのに、前方にはただ果てしない砂漠と風紋だけしかない光景のなかにたたずんでいるのは快楽という言い方以外いかなる言葉もみつからないようです。 | 所用での軽井沢の車の中および東京への出張の新幹線車中で読む。久しぶりに宮本輝を読む。一時はひっきりなしに読んだが、どうも女の情念ものが多くちょっと遠ざかっていた。本書は近年の作で、そこからは離れておりだいぶ読みやすくなっている。星宿海への風景の描き方は、蛍川のラストとあい通じるものがある。ただ蛍川ではエンディングにその情景を持ってきていたが本書ではそうではなく感動が薄れる。 | |
61 | 力人 雷電為右衛門 | もりたなるお | 新潮社 | 1996.6.20 | 2004.11.20 | 第一章 相撲の司 太郎吉は峠の上にきて空を仰いだ。冬空は晴れわたり、海の碧をそのまま映したようだった。山国生まれの太郎吉は十八歳のきょうまで、海というものを見たことはないが、人から聞いた話と書物からの知識で想像することはできた。大海原といういい方から考えられるのは、いま太郎吉が振り仰ぐ大空のように、崖のない広がりと、尽きることのない深みを持つ世界で、そこには無限の可能性が秘められていうもののようである。 |
雷電為右衛門を過大評価せず、一人の人間として描いており好感を持って読み終えた。往々にして伝記ものは死を持って終焉とするが本書では、穏やかに晩年をすごす描写で終わっており読後感がさわやかである。 | |
60 | 鬼道の女王 卑弥呼 下 | 黒岩重吾 | 文芸春秋 | 1996.11.20 | 2004.11.17 | 神への祈り 邪馬台国から逃亡したタカヒコは、約十人の部下とともに、遠賀川下流地域を支配するオカ国に逃げ込み、国王・オカノミコトの庇護を受けた。オカノミコトは、人の口を恐れ、一行を山に追いやるふりをして山中に匿った。現在の皿倉山地区の山中である。そのあたりにはオカノミコトに服従している山人族がいて、山の獲物を献上する。オカノミコトは彼らに米を与えていた。オカノミコトはヒミコの神託の威力を認めているが、女人を連合国の女王にすることには反対だった。 |
卑弥呼の前半生はいかにも神がかった女性として描かれているが、後半は一人の女として描かれている。それにしても卑弥呼は日本人だが中国からやってきたとしているのはおもしろい。歴史的事実があるのだろうか。本書はところどころ、現在の地理関係を記述しているのでどこまでが虚構でどこまでが真実なのかつかみがたい。 | |
59 | 鬼道の女王 卑弥呼 上 | 黒岩重吾 | 文芸春秋 | 1996.11.20 | 2004.11.14 | 中国の倭人たち 遥か東方の倭列島や朝鮮半島に続く大海原は、傾きかけた初春の陽を浴び、今日も白波が連なっていた。晩春になれば海も穏やかになるが、この季節ではまだまだ白波が多い。東南には舟の島(舟山群島)が浮いて見える。現在の杭州湾の東端近くの高台に立って、海を眺めている三人の男子がいた。真ん中の男子は、二十代半ばだろうか、両端の男子に較べて色が白い。だが陽に妬けているのは明らかで、顔は薄い桃色である。両側の二人は赤銅色だ。襟のついた上衣と筒様の袴をはいた三人は、もう四半刻(三十分)も黙念と海を眺めていた。 |
日本のもととなった邪馬台国の創始者といわれる卑弥呼の物語。歴史の闇に埋もれる日本初期の姿を黒岩重吾は大胆に小説とした。 | |
58 | 二度目のノーサイド | 堂場瞬一 | 小学館 | 2003.11.1 | 2004.11.8 | 第一章 再開 テレビでは、サッカーの試合を中継している。そう言えばワールドカップが始まっていたのだと、桐生威はぼんやりと画面を眺めた。五年前まで彼らの溜まり場だったこの喫茶店には、当時、テレビなどなかったはずである。ワールドカップのために、急遽おいたのだろうか。何となく、気に食わない。「テレビを消せよ」誰かが苛だたしそうにつぶやく。自分と同じように感じている人間がいるのだとわかり、桐生は思わずにやり、と笑った。 |
ラグビーを主体としたスポーツもの。5年のブランクの後、もう一度全員でやろうというもの。 キャッチフレーズ 大切なのは家族や仕事だけではない。「ラグビーは俺の生きざまなんだ!」誇り高き男たちの姿が熱いスポーツ・スピリッツ小説 |
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57 | 破弾 | 堂場瞬一 | 中央公論新社 | 2003.2.10 | 2004.11.9 | 第一部 緩い坂道 刑事の仕事の八割は、報告書を書くことである。誰が書いても同じように思える報告書にも間違いなく上手い下手はある。しかし、どんなにひどい文章で書かれていても、報告書からは必ず事件の匂いが立ち昇ってくるのだ。私は資料室のパイプ椅子に浅く腰を下ろし、机の上に古い操作資料を広げていた。三年ほど前に起きたコンビニエンスストアの強盗事件で、それだけなら別に珍しくもないものだ。 |
前作の「雪虫」に続く刑事もの第二作。文章、展開はいいが、主題が自分の最も愛する人が犯人という点。2作続けてそれはないだろう。 キャッチフレーズ 男は現場にもどってきた 銃弾が削り取るのは命だけではない 刑事として背負うものは人の心の闇なのか 慟哭の警察小説 |
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56 | コキュ伯爵夫人の艶事 | 藤本ひとみ | 新潮社 | 1995.2.25 | 2004.10.31 | コキュ伯爵夫人の艶事(一六八二年) 「聖ノルベールの助けをあおげばよろしいのでは」言いながらコキュ伯爵は、トランプの札を二枚、大理石のテーブルに置いた。油洋灯の火がわずかに揺れ、白髪の頭を照らし出す。鬘は、明日の地方三部会のためにすでに髪粉をほどこし、衣裳部屋にしまってあった。「聖人になる前は、神聖ローマ帝国の貴族で精力絶倫、雷に打たれて以降、体の然る部分が堅くなりっ放しだという話です。 |
キャッチフレーズ 歴史の波間に消えた愛とういう名の真実息をのむような閨房小説の誕生! めくるめく官能の刺激くめども尽きぬ愛の秘事 キャッチフレーズおよび表紙の絵は大げさ。単なる普通の小説 |
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55 | 香乱記 下巻 |
宮城谷昌光 | 毎日新聞社 | 2004.3.5 | 2004.10.11 | 秦の滅亡 専制者となった超高がおのれの威権をたしかめるために、鹿を二世皇帝に献上したときに馬であるといい、群臣がそれに同調したので、皇帝が惑乱したという故事から、「馬鹿」という熟語が生まれた、というのは俗説であり、もとはおろかさをいう梵語(サンスクリット)で、その音に馬鹿という字をあてたのである。とはいえ、皇帝の胡亥は賢明さのかけらもみせたことはなく、これほどの馬鹿な皇帝もめずらしいといえる。 |
章立て 「秦の滅亡」、「東方の旗」、「馬上の影」、「斎の復興」、「不屈の人」、「海中の国」 漢の国が起こる前の動乱期にあって、ひとりの英傑な者として主人公 田横を描いたものがtり、最後は自死してしまう。 「毎日新聞」朝刊2002.5.1〜2003.10.23まで連載(525回)上巻は2003.5.1〜2003.10.22まで |
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54 | 香乱記 中巻 |
宮城谷昌光 | 毎日新聞社 | 2004.2.15 | 2004.10.10 | 三兄弟立つ 咸陽まであと数日と言うところに周文の軍が迫るまで、二世皇帝は叛乱のことを知らなかった。信じがたいことであるが、それは事実であった。賓客の接待をおこない、外交的な活動をおこなう官に謁者があり、二世皇帝は謁者を当方につかわした。その謁者は当方で大乱を知り、復命するやいなや、見聞したことを述べた。だが二世皇帝は信じなかった。-叛乱など起こるはずがない。 |
章立て 「三兄弟立つ」、「千里烈風」、「地上の星」、[斉王の席」、「天旋地転:」、「輝く星」 三兄弟の一人目の王として田? 「毎日新聞」朝刊2002.5.1〜2003.10.23まで連載(525回)上巻は2002.11.1〜2003.4.30まで |
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53 | 香乱記 上巻 |
宮城谷昌光 | 毎日新聞社 | 2004.1.30 | 2004.10.6 | 予言の七星 砂丘が黄金の色になり、燦と輝いた。車輪がすべりはじめると、田横は手綱を兄の田栄にあずけて馬車をおり、やはり従者とともに車体を押した。すこしさきをゆく馬車には従兄の田たんがおり、やはり従者が砂丘をぬけるべく車体を押していた。それほど広い砂丘ではない |
秦の始皇帝がなくなる前後の時代背景。イントロの3兄弟が預言者に王になるという予言を聞く。始皇帝がなくなり動乱の時代に入る。徹夜明けの一日で読みきった。 初出 「毎日新聞」朝刊2002.5.1〜2003.10.23まで連載(525回)上巻は2002.5.14〜10.31まで |
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52 | 近くて遠い旅 | 坂上弘 | 中央公論社 | 2002.11.25 | 2004.9.30 | 第一章 従妹の帰省 一 苔桃 その土曜日の朝、山崎修吾は近所の家庭菜園を見に行った。二週間おきに、土曜日になるとかかりつけの医院に寄って定期健診を受けることにしていた。血圧を計ってもらい、薬を受けとるのに十分とかからない。そのあと散歩する慣わしだった。「おや、少し喘息の気味がありますね。血圧は安定しています」若い医師は冷やりとした診察室で修吾に背を向けカルテに書き込んだ。「今年の夏は異常だな。冷房がこたえますね」修吾は答えながら、最近、親会社の社長である栗林と交した会話を思い浮べた。 |
あまりおもしろくなかった。 坂上弘は確か2冊目だった。前回の評は淡々と読むのにはいいと書いてあった。今回は長編小説で退屈なところが多い。 |
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51 | 焔 | 堂場舜一 | 実業之日本 | 2004.7.25 | 2004.9.25 | 第一章 九月三十日 .325 右足首の怪我から復帰した日、本拠地東京スタジアムでのベアーズ戦でスターズの三番打者、沢崎鉄人は首位打者に躍り出た。三割二分五厘という数字は決して満足できるものではないが、首位打者という言葉の響きはやはり耳に心地良い。まだシーズン途中、一時的なものとはいえ、リーグの全ての打者が俺の足元にひれ伏しているのだから。その数字を頭の中でこねくり回し、あれこれ飾り立てているうちに、ヒーローインタビューも終盤に差しかかってきた。 |
堂場舜一、3作目。彼のデビュー作と同じ野球もの。やはりヒーローが主人公。ラストの5打席連続ホームランなるか のところが読ませどころか。主人公は最後まで鼻持ちならないタイプで書かれていく。そのため読んでいてそんなに楽しくはない。前作までと同様だが非常に読みやすい。 | |
50 | 雪虫 | 堂場舜一 | 中央公論新社 | 2001.12.10 | 2004.9.24 | 第一章 迷宮の町 全ての風景が海に溶け込む場所がある。何度も走っている場所なのに、私は未だに慣れることができない。お粗末なガードレールを突き破り、白い波濤がざわめく日本海にダイブする自分の姿を、つい想像してしまうのだ。単調なエンジン音を体に刻み込みながら、私は国道四〇二号線、通称シーサイドラインをオートバイで走っていた。獅子ヶ鼻に差しかかる辺りで姿を現す右カーブが、問題の場所である。角度がきついせいか、延々と続く右側の崖が、ふっと視界から消える。 |
オーディオショーに向かう新幹線車中で読み終わった。 堂場舜一、2作目、タイトルはちょっといかさない。刑事もの話のつくりはちょっと強引だが、途中で退屈せず読みやすい。しばらくはこの作家を追ってみたい |
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49 | 10cmの空 | 朝暮三文 | 徳間書店 | 2003.12.31 | 2004.9.22 | 序章 リンドバーグまで まず始めにみなさんは、時間をずっとずっとさかのぼっていく。それは暗闇の中を旅するエレベータに乗るような気分だ。本来なら時をさかのぼるのは時間を後戻りするのだから、エレベータなら地下へと降りていくはずで、上昇する雰囲気ではない。 |
ファンタジー小説である。この分野は好まないがタッチが柔らかく良かった。人類は最初は全員飛べたが、時代を経るごとに人に能力を分け与えることで、その能力がどんどん酸くなっていくというのである。 キャッチフレーズ 本年度日本推理作家協会賞受賞作家が贈る。青春ファンタジー書下ろし -- ほんの少しだけ、空を飛べる能力 --あなたにも差し上げます。 |
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48 | 我慢の思想 | 中野孝次 | 潮出版社 | 1997.11.10 | 2004.9.19 | 遊び 創造は無から生ずるという説がある。わたしはこの説は正しいと思う一人だ。わたしが子供のころ、といえば今から六十年も昔の昭和の始めごろだが、当時はパソコンやワープロはむろんテレビもなかった。ラジオがようやく普及しだしたくらいで、音楽は蓄音機という手回しの機械にレコードをかけてきくくらいのものであった。 |
「清貧の思想」を書いた筆者である。その続編ということであろうか。一言で言えば現在の日本の道徳の非難の著ということであろうか。言っていることは正しいが、老人の繰言として読めてしまい退屈な本であった。 | |
47 | お言葉ですが・・・Dキライなことば勢揃い | 高島俊男 | 文芸春秋 | 2001.2.20 | 2004.9.18 | 万助橋よ永遠なれある方が本を送ってくださった。ご住所を見ると東京三鷹である。礼状をしたため、おしまいに「三鷹は四十年前に住んだなつかしいところです。小田急バスは今も走ってますか? 万助橋の停留所はまだありますか?」とつけくわえた。万助橋は玉川上水にかかる小さな橋である。わたしはこの橋の名が大好きなのだ | 「消えたジッポン」の項がおもしろかった。日本の読みは、現在、「ニッポン」か「ニホン」しかないが、平安時代から戦国時代は「ジッポン」という読みがあり、江戸時代に廃れたとあった。英語のjapanは当時の宣教師がこの「ジッポン」からjapanと名づけたとあって、なるほどと思った。 | |
46 | お言葉ですが・・・Gイチレツランパン破裂して | 高島俊男 | 文芸春秋 | 2002.6.15 | 2004.9.11 | 昔大学怠慢教授 文芸春秋八月号(平成十二年)の巻頭随筆欄、竹内洋先生の「大学生の私語」はおもしろかった。大学で授業中に私語の多いことは、かなり以前からよく問題になる。それは種々わけもあろうが、先生たちが勤勉になったことも理由の一つではないか、というのがその趣旨である。なるほどねえ、と大いに思いあたるところありました。 |
荒城の月の一節の「・・・植うる剣」の解説というか見解がいろいろ載せられておりおもしろかった。抜身が切っ先を上にして立っているところ
が筆者の一番手であった。私は諸説の中の
「三日月を刀と見た」のが詩情にのっていいなとおもえたが・・・ |
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45 | 夜の寝覚め | 小池真理子 | 集英社 | 2002.10.30 | 2004.9.3 | たんぽぽ 五月の風にあおられながら、白い綿毛が無数に宙を浮遊している。よく見ると、それは小さな落下傘の形をしている。光を透かして、それらは風に乗り、舞い上がり、降り立っては、再び風を受けて、天空高く吹き上げられる。花粉にしては大きすぎる、と思った小夜子の胸の内を読み取ったかのように、タクシーの運転手がぼそりと言った。「たんぽぽだよ」 |
キャッチフレーズほどには面白くなかった。 イントロで紹介した他に「旅の続き」、「花の散りぎわ」、「雪の残り香」、「時の轍」、「夜の寝覚め」 キャッチフレーズ 人生の秋を迎えた女達のせつないため息、情熱の輝き。美しいエロスの季節を迎えた大人限定、珠玉の短編集 |
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44 | ゴロ寝上手は老い上手 | 中沢正夫 | 柏書房 | 2003.2.28 | 2004.8.31 | 「ゴロ」寝宣言 陽あたりのいい座敷でゴロ寝をするのは男の最高のくつろぎである。別に眠らなくてもいい。ボーッと庭や(庭がなければ空を)見ているだけでいい。テレビをみていてもいい。服装はパジャマかジャージで、首をしめつけるネクタイやデカバラに跡をつけるベルトなどしているなどもちろん論外である。着ているものがゆったりしないと心もゆったりしない。髪はボサボサのままヒゲ剃らず、全方向これ無防備で、大あくびなどしているのがいい。朝起きてベッドから出たそのままの格好というのが理想的だ。 |
なかなか面白かった。特に巻頭のゴロ寝は我輩のオーディオを聴くときのスタイルと同一である。 また、最後の3編の筆者自身の患者との付き合いを描いたところはちょっとした泣かせどころ 著者 中沢正夫(なかざわ・まさお) 1937年生まれ、精神科医.著書に「ストレス善玉論」、「人生が二度ある」、「死の育て方」以上,情報センター出版局, 「捨てる旅」(同文書院)、「フツーの子の行方」(三五館)、「六十で悪いか!」(朝日新聞社)、「なにぶん老人は初めてなので」(柏書房)ほか多数 |
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43 | お言葉ですが・・・G 百年の言葉 |
高島俊男 |
文芸春秋 | 2004.2.25 | 2004.8.28 | ピン助とキシャゴ 漱石の「我輩は猫である」にピン助とキシャゴなる人物が出てくる。同書三、金田夫妻の会話のところである。<貧乏教師の癖に生意気じゃありませんか」(・・・・)「うん、生意気な奴だ、ちと懲らしめのためにいじめてやらう。あの学校にゃ国のものも居るからな」「誰が居るの?」「津木ピン助」や福地キシャゴが居るから、頼んでからかはしてやろう」) |
高島俊男のこのシリーズは、@、B、Cと続き4冊目。週刊文春の連載を単行本にしたもの。発表後の読者からの便りを主とする後述談が面白い。 | |
42 | セカンドライン | 重松清 | 朝日新聞社 | 2001.11.1 | 2004.8.23 | たいせつな相棒の、最後の---真っ白な灰になって燃え尽きるための試合に、立ち会うことのかなわなかった男がいる。ボクシングの世界で生き抜いていくには才能や克己心が足りなかったが、気のいい男だった。関西弁を話す。好物はうどん。かって少年鑑別所のボスだった彼は、パッとしなかったボクサー生活に見切りをつけて下町の乾物屋の婿養子におさまり、物語から静かに忘れ去られていった。「あしたのジョー」の脇役、マンモス西の話である。 | 重松清ものであるが、彼の始めての随筆物である。この本を読むと彼の著作の背景がわかるものが多い。たとえば、友人の自殺を背景にした小説があったがそれは彼の実体験である事も・・・。 彼がゴーストライターとも呼ばれる週刊誌等のフリーライターを長年手がけていた事も意外であった。 ちなみにタイトルのセカンドラインとは直訳どおりの2番目の道と「葬式帰りの2次会の馬鹿騒ぎ」という意味もあるとの事 |
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41 | 8年 | 堂場舜一 | 集英社 | 2001.1.10 | 2004.8.22 | 「あなたが五十歳以上なら、黄金の五十年代をその目で直に見ているはずだ。あなたが十五歳であっても、神話として、あの十年間を知っているのに違いない。知らないなら、学ぶべきだ。神話を学ぶ事は、私たちの精神の奥深くに刻み込まれた歴史を学ぶことにほかならないからである。あの五十年代、二度と再現できない王朝がニューヨークに君臨していた。ドラフト、フリーエージェント、エクスパンション、金、金、金、野球以外の存在に支配される現在の大リーガーにおいては存在しえない王朝が。 | 堂場舜一、2作目。読み進んでいるうちにこの小説、タイトルは違うが映画になったものではないか。大リーグで最初は負け続けているが最後には何とかなるというもの。ちょっと違うような気もするが・・・彼の作品は読みやすい。主人公がハッピーだけでなく陰影を持たせるところは小説に奥行きを与えているのか・・・ キャッチフレーズ 小説すばる新人賞受賞作 あの日、あの場所で叶わなかった想い、届かなかった1球の記憶。男は、メジャーのマウンドに立った。 |
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40 | 五味康宅祐 オーディオ遍歴 | 五味康祐 | 新潮文庫 | 1982.12.25 | 2004.8.16 | オーディオと人生 小生を音キチと呼ぶ人がある。こういう呼び方をするのは、オーディオがどういうものかを知らぬ縁なき衆生だとおもっている。小生はただ、少しでも音楽をいい音で聴きたいと願っているにすぎない。オーディオを、その時々に優秀だとされている器械を揃える趣味だと割り切ってしまうなら話は簡単だろう。今の段階では、アンプはマランツ(もしくはマッキントッシュまたはアコースティック)、スピーカー・エンクロージャはジム・ランシング、カートリッジはシュアーV15,と揃えてくれば、ふつうの家庭で使う再生装置としては一応、最高の音質をたのしめる。金のある人なら、すぐこれを所有することはできる。しかしオーディオの真髄は、そんなものではあるまいと思う。 |
今も変わらぬオーディオ狂のオーディオ本1960年代後半で200万、300万円の装置を購入したとの話である。今ならこの10倍だろうか。 キャッチフレーズ タンノイ、マランツ、マッキントッシュ-----、世界の名機も使い方を誤れば音が悪くなる。生涯、理想の音を追求しつづけた著者によって、よいオーディオ装置とは何だったか? スピーカーの逸品タンノイ・オートグラフへの愛を語り、FMチューナー・マランツ10Bの性能向上に熱意を燃やしたスーパーマニアの、体験的オーディオ論19編を収める。 |
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39 | 管仲 下巻 | 宮城谷昌光 | 角川書店 | 2003.4.1 | 2004.8.14. | 太子と公子 この時代を、覇者の時代、と呼ぶのであれば、鄭の荘公は覇者であった、といってさしつかえないであろう。それゆえ荘公がこうじても、派遣は鄭にあるといってよい。二月、鄭のれい公が主宰する会堂が行われた。会堂の地は史書に記されていないが、おそらく宋の国内であろう。その宋を援助する斉、衛、燕も会堂を行い、会戦にそなえた。「どう観る」と、召忽は管仲に問うた。この会戦の勝敗をどう予想するか、ということである。「わが方が敗れる」管仲はあっさりといった。 |
ちょっと筋に無理があるようだ。管仲が放った矢が小白にあたり"死んだ"とするところだ、温車が故郷に戻ったからと一言で片付けている。・・・無茶だ キャッチフレーズ 不遇な日々を過ごす管仲に一筋の光明が射した。斉国の公子小白のふとなった飽叔の推挙により、管仲は公子糾の家宰となる。ふたりはともに力を合わせて斉国を盛り立てて行こうとするが、時は争いの絶えない春秋の世、朋友である管仲と鞄叔も、いつしか戦渦に巻き込まれていく・・・・。壮絶な人生の中で、管仲は一本ん矢を放つ。それは彼と中華の運命を一変する、新しい時代の嚆矢であった。 |
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38 | 管仲 上巻 | 宮城谷昌光 | 角川書店 | 2003.4.1 | 2004.8.8 | 逆光の人 「遠路はるばる、ようこそ---」赤売り声であった。その声の主は鞄叔が馬車からおりるのをみとどけると、御者にやわらかく声をかけて馬を厩舎にみちびいた。すぐに御者が鞄叔のもとにもどってきた。「気のつく男です。さっそく馬を車からはずし、馬には水と飼い葉をあたえ、手際よく車体の泥を落としています。あのような家臣をもっている召公は良俊の人にちがいありません」 「そうか ・・・」 |
久しぶりに、宮城谷の中国もの、一月ほど前に、現代ものを読んだが、やはり中国ものがいい 初出 「本の旅人」2000年12月号〜2001年12月号 キャッチフレーズ 知の管仲、義の鞄叔、「管鞄の交わり」として名高い男の友情----。壮大にして清廉な人間模様を描く。「春秋時代を知り始めたころから、管沖を小説で活躍させたかった」宮城谷昌光 至高の命宰相、その波乱の生涯 |
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37 | いつか白球は海へ | 堂場瞬一 | 集英社 | 2004.4.10 | 2004.8.3 | 第一章 拝啓 圭子様 潮灘は何もない町だ。ここが「市」だと言っても君は信じないかもしれない。どこへ行っても魚臭くて、それだけで気が滅入ってくる。海岸線は評判通りきれいだけど、四月だっていうのにまだ冬みたいに寒くて、毎日雪が降りそうな分厚い雲が垂れこめている。前橋の冬も空っ風が吹いて寒かったけれど、こっちの寒さは湿っていて体が重くなってくる。 |
夜8時前から読み出して、10時半過ぎに読みきった。ベースボールものはやはり面白い。単純なハッピーエンドでないところはちょっと趣があっていいか。都市対抗の野球小説。この小説と私の少年期の大昭和製紙の活躍とダブって見えた。今はその大昭和製紙の名もない。黒柳、板倉っていたよな キャッチフレーズ 昭和の「フィールド・オブ・ドリームス」誰もがもっと熱く、ひたむきだった時代の青春がここにある小説すばる新人賞から3年 気鋭のスポーツマンシップ小説 |
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36 | 送り火 | 重松清 | 文芸春秋 | 2003.11.15 | 2004.8.3 | フジミ荘奇談 玄関に足を踏み入れると、睨めつけるような視線を感じた。はっとして顔を上げたが、人の姿は見えない。気配も感じない。ただ、二階の板張りの廊下の軋む音が、かすかに聞こえた。「あの・・・・どうも・・・・」声をかけてみた。返事はない。二階を見上げたまま首をかしげると、今度は背中に視線を感じた。振り向いた。誰もいない。一階の廊下の先のほうで、ドアの蝶番だろうか、ギイ、と錆びた音がした。 |
短編集、他に「ハードラック・ウーマン」、「かげぜん」、「漂流記」、「よーそろ」、「シド・ヴィンシャスから遠く離れて」、「送り火」、「家路」、「もういくつ寝ると」の9編 下のキャッチフレーズにあるようにホラー集といっても軽めだがでもあまり気持ちよくはない。そんな中で、「よーそろ」この一編はホラーは全くなく読んで心温まる小説であった。 キャッチフレーズ 私鉄沿線----希望と悪夢を乗せて、快速電車は走る。 鉄道が街をつくり、街に人生が降り積もる。黙々と走る通勤電車が運ぶものは、人々の喜びと哀しみ、そして・・・・。街と人が織りなす、不気味なのにあたたかな、著者初のアーバン・ホラー作品集! |
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35 | 諸葛孔明 下 | 陳舜臣 | 中央公論社 | 1991.3.25 1991.5.30 十版発行 |
2004.8.2 | 戦いのあと 1 劉備・孫権連合軍は、赤壁の勝利に興奮していた。ほとんど陶酔状態で、敗走する曹操軍を追跡したのである。まるで傷ついたえものを追う猟師のように、しごく上機嫌に華容道を西進した。諸葛孔明だけが不機嫌であった。「じつに愉快な追撃でありますな」馬上で躍り上がるようにして、張飛がその虎ひげをふるわせて言った。「そんな愉快ですか?」馬をならべていた孔明が訊いた。 |
あとがきで著者が、「史上の英雄を、ふつうの人間が小説に書こうとすれば、誇大化か矮小化のいずれかにおちいりやすい。できるだけ・・・」と書いているがこのせいか,淡々と歴史的事実を書いているというせいか、何か面白くない。上巻にあった赤壁の戦いも別の本では、諸葛孔明の手柄になっていたが、この本では、呉の周愈になっていた。 | |
34 | 諸葛孔明 上 | 陳舜臣 | 中央公論社 | 1991.3.25 1991.5.25 九版発行 |
2004.7.29 | 梁父吟のころ 1 後漢の光和四年(181)には、二つの天象の異変が記録されている。六月戌辰 鶏卵大の雹が降った。 九月戌寅 日食があった。 この年は閏で九月が二回あり、日食は最初の九月の朔(ついたち)のことである。琅邪陽都県の諸葛桂の家に次男が誕生したのは、閏九月の朔であった。その子は亮と名づけられた。亮とは明るいことを意味する。後年、しきたりによって、自分であざなをつけるとき、----孔明(ハナハダ明るし)の |
初出 「中央公論文芸特集」1988年秋季号〜1990年秋季号に掲載 | |
33 | 新しいJAZZを聴け!! | 寺島靖国 | 宝島社 | 2001.7.21 | 2004.7.27 | 私はこの人に胸を開いた。心の中で握手した 「週刊朝日」にページを持つ書評家に斉藤美奈子がいる。女である。女の書く書評などあまり読みたくないが、この人は○×が明白適切で面白くかつ爽快でつい読まされてしまう。女というジェンダーを武器にしているところもあるが、ありきたりのいい子ちゃんぶった優等生批評より全然いい。評というのはなんでも好き嫌いを表に出さずに好き嫌いをいうのが面白いのだ。 |
寺島靖国2冊目の本、歯に衣着せぬ論評は面白い。 サブタイトルは165名盤カタログとあり、50,60年代の黄金期のJAZZだけがJAZZ名盤ではない。1990年代もあるのだ。これがそのalbumだと言っている。と言って出版されたがのが3年前、いったいこの中の何枚が今も聞かれているのだろうか |
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32 | 闇の中の赤い馬 | 竹本健治 | 講談社 | 2004.1.30 | 2004.7.26 | 幕開けは意外なかたちで訪れる 「全くもう、あのウォーレン神父だけはどうにかならんもかね!」部室にはいってくるなり、憤然と大声をあげたのはタジオだった。タジオというのは通称で、本名は但馬睦夫。クリクリした巻き毛がイタリア人っぽいのは確かだが、本人の申告によれば、純粋な日本人であるらしい。 |
下のキャッチフレーズにはかって子どもだったとあり大人向けの本であるはずが、どう読んでも子ども向けに見える。神父を鏡で焼き殺すというミステリーなどであるが、殺意がいかにも不自然である。 駄作 キャッチフレーズ かって子どもだったあなたと少年少女のためのミステリーランド ・・・本の復権を願い、第3回配本 |
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31 | 1ポンドの幸せづくり | 井形慶子 | 青山書籍 | 2003.9.28 | 2003.7.25 | はじめに 本を書き始めて15年が過ぎた。二十代の半ばを過ぎた時、取材でお目にかかった出版社の方と話をしていたら「情報雑誌の編集長という立場で若者の恋愛や結婚についてエッセイを書きませんか」と言われたことがきっかけとなった。 |
キャッチフレーズ 私の幸せは、いつもあの厚ぼったくて妙な存在感のある1ポンドコインのように、どこにでも転がっているもの中から生まれているのだ。 |
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30 | 春の湖 | 宮城谷昌光 | 講談社 | 1991.12.15 | 2004.7.21 | 青炎会から「春潮」の入選通知が届いたのは花冷えの日だった。青炎会が日本画壇においてどれほど権威を持っているか、道夫は朧げだったが、それでも甘い眩暈を感じた。あの日からわずか三日間で仕上げた絵だけに、終始清らかで静かな情感を含んで絵筆が流れていたのは、振り返ってみれば奇跡的でもあり、不思議な霊魂の所在さえ信じたくなる。 | あとがき 春の湖は大学を卒業してすぐに書き始めた作品で、22歳の時に書き終わり23歳の時に創った同人誌「炎天使」に載せた。生まれてはじめて書いた小説である。 |
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29 | まあ、そこへお座り | 山藤章二 | 岩波書店 | 2003.8.7 2004.9.8第3刷発行 |
2004.7.11 | まえがき まぁそこへお座り。ちょっと話したいことがあって、来てもらったというわけだ。小言かって? いやそうじゃない。小言や説教なんてのはアタシの柄じゃない。それじゃ何ですか? まぁそう急くな。要は”ちょっとした話”だな。テーマはいろいろだ。なんかのはずみで浮かんだ話が七十いくつか貯まった。これを誰かに話して見たかった。 |
肩の凝らない読み物。気楽に読めた キャッチコピー 当代一の「戯れ絵師」は、気は弱いのに頑固でパソコン嫌い。あまりに早すぎる日本の変化に違和感を覚えるようになり、「ずれ爺」と自称している。芸能、スポーツ、人情、流行語、言葉遣いから政治まで、「なんだかよくわからないけど世の中がヘンだぞ」と感じている読者に贈る辛口エッセイ七十五話。 |
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28 | 卒業 | 重松清 | 新潮社 | 2004.2.20 | 2004.7.11 | 夜間通用口から病院に入った。昼間に訪ねたことは何度も-この半年間で十回以上あったが、夜は初めてだったので、エレベータホールへの道順がわからず、いったん外来のロビーに向かうことにした。非常灯だけが点いた廊下は、空調が効いているせいで深夜のオフイスビルのような肌寒さとは感じないが、消毒薬のにおいの溶けた暖気が頬にまとわりついて、鼻の奥がむずがゆくなってしまう。 | 短編集 他に「まゆみのマーチ」、「あおげば尊し」、「追伸」 一番印象に残ったのは「まゆみのマーチ」歌の好きな女の子がおとなたちに捻じ曲げられて純真な気持ちを失っていくのがとても悲しい。ホロリもの |
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27 | この国のアルバム | 倉本聡 | 理論者 | 2003.5 | 2004.7.4 | 品格 文化庁の調査結果によれば「国語は乱れている」と感じている人が85.8%になっているという。「お荷物のほう、お預かりします」 「鈴木さんとお話とかしてきました」 「わたし的にそう思います」 「とてもよかったかな、みたいな」 「やっぱり帰るkとにします、うん」 さらに「傷つきたくない? みたいな」という語尾上げことば。 |
22年間書きつづけてきた「北の国から」というドラマが終わった。と書き出しの星霜という短編があった。 幾星霜というが、わたしもこの初回の「北の国から」は鮮烈に覚えている。と言っても最初の数回分しかみず、これで終わりというときも見なかったが・・・ |
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26 | 愛と哀しみのJAZZ日記 | 寺島靖国 | 河出書房新社 | 2003.5.30 | 2004.7.4 | はじめに 私の初の日記本である。まずこの本の生成過程についてお話しよう。世の中には悪い人がいるものである。たとえばこの日記を書かせた編集者。私はいつも本音でものを書いている人間である。皆さんご存じの通り。にもかかわらず本当の本音を知りたいから日記を読ませろというのである。そして人さまの不興を買うところははぶくから活字にしましょうなどと大胆なことを言い、ついに連載を決めてしまったのだ。 |
本書は、Swing Jounal 二連載(1999.10〜2002.7)までの加筆訂正とのこと。 この3月からこのSwing Jounalを読み始めたが現在でも連載されており面白いので結構楽しみにしているページである。 |
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25 | 侯爵サド | 藤本ひとみ | 文芸春秋 | 1997.9.25 | 2004.7.3 | 第一章 十一歳の恋人 「さあ、スリップを脱いで、いつものように私の顔の上に座っておくれ」樫材の扉の穿たれた鉄格子付きの覗き窓から、密やかな声が漏れている。「おまえの匂いで、私をかき立ててくれ」理事長ドゥ・クルミエは、扉を叩こうとしていた手を下ろし、踵を返した。六十八歳のサド侯爵トナスティアンは、十一歳の恋人マドレーヌ・ルクレールと、週に一度のお楽しみの最中だった。マドレーヌは、ドゥ・クルミエが理事長を務めるシャラントン精神病院の洗濯婦の娘である。 |
キャッチフレーズ 狂気か、犯罪か、性の先駆者か サド侯爵の裁判記録をもとに、その性癖と深層心理をつぶさに検証する。凄まじい乱交と異常性癖の中から、今浮かび上がる真正サドの実像 |
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24 | きよしこ | 重松清 | 新潮社 | 2002.11.15 | 2003.6.24 | ぼくは君の顔を知らない。声を聞いたこともない。君は、二年ほど前にぼくが受け取った手紙の中にいた。うつむいて、しょんぼりとして、ひとりぼっちでたたずんでいた。手紙は、仕事の付き合いのある出版社気付で我が家に届いた。差出人は君のお母さんだった。青いインクの万年筆で書いた、あまり上手ではないけれど温もりのある文字で、お母さんは君のことを紹介していた。うまくしゃべれない子ども・・・・なんだな、君は。言葉がつっかえてしまう。無理をしてしゃべろうとすると、言葉の頭の音が止まらなくなる。吃音。どもる。というやつだ。 | 今度の重松はまっとうな重松もの。そしてわたしが一番好きな少年ものだった。幼稚園のころから大学受験までのどもりの少年を主人公にした7話構成の短編集。と言ってもすべて同一人物が主人公である。第四話の「北風ぴゅう太が良かったな。 キャッチフレーズ たいせつなことを言えなかったすべての人に捧げる、珠玉の少年小説。伝わるよきっと 少年はひとりぽっちだった。 思ったことをなんでも話せる友だちが欲しかった。そんな友だちは夢の中の世界にしかいないことを知っていたから---きよしこに会いたかった。 |
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23 | 愛妻物語 | 重松清 | 講談社 | 2003.12.18 | 2004.6.17 | ホワイトルーム 加藤は、口に運びかけたワイングラスを虚空で止めて、小さく首をかしげた。「どうした?」わたしが訊くと、「いや・・・なんでもありません」とあらためてワインを啜る。「どうしたの?」----早智子はわたしに訊く。加藤のぎごちないしぐさには気づいていないようだった。「べつになんでもない」わたしは答え、ほろ酔いのぼんやりしたまなざしを、早智子が背にした白い壁に向けた。あそこに絵が一枚欲しいな、と思う。サイズは小さくてもいい。高価なものでなくてもかまわない、くっきりした色遣いの絵が掛かっていれば、家具やソファーが白で統一されたリビングのアクセントになるだろう。 |
タイトルは可愛いが、重松清がこんな本を書くのかという官能小説だった。前回のサスペンスものといい、びっくりさせる。 短編集 ほかに、童心、愛妻日記、煙が目にしみる、饗宴、ソースの小瓶 |
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22 | 疾走 | 重松清 | 角川書店 | 2003.8.1 | 2004.6.10 | 第一章 小高い丘にのぼると、ふるさとが一望できた。緑がまなざしからあふれ出る。水田だ。きちんと長方形に区分けされた升目が、無数に広がっている。平らな土地。水田の先は海。陸と海を、コンクリートの堤防が隔てる。「昔は」シュウイチが言った。ここだここ、と水田地帯に顎をしゃくる。「俺たちの生まれるずっと前、ここは全部海だったんだ」お前は半信半疑の顔で、ふるさとを眺める。「ほんとだぞ」シュウイチは言う。「国道から先は、昔はずっと海だったんだ」シュウイチはおまえの四つ年上で、おまえはまだ小学生に入ったばかりだった。物知りな兄だった。おまえはシュウイチのことが大好きだった。「どうして?」とおまえは訊く。「どうしてって、なにが?」とシュウイチは聞き返す。 |
すごい本であった。今までの重松清ものとは違うだろうなと本の表紙を見たときに思ったのだが、本の表紙は見てのとおり、グロテスクな絵だ。タイトルは[疾走」だけだが中身は死への疾走というものか。更に言うなら、破滅→死への疾走 切り抜き 「どうして、にげんっは死ぬの?」舌足らずなおまえの声が言う「にんげん」は、漢字の[人間」とも片仮名の「ニンゲン」とも違って、とてもやわらかだった。そのくせ「死ぬ」は輪郭がくっきりとして、おとなが言う「死ぬ」のような照れやごまかしなどいっさいなく、まっすぐに、耳なのか胸なのか、とにかくまっすぐに、奥不覚まで、届く---。 |
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21 | 大江戸無頼 | 笹沢左保 | 廣済堂 | 1991 | 2004.6.2 | 反抗の日々 その日、江戸は霞ヶ関にある松平肥後守の上屋敷を、ひとりの男が訪れた。年は二十七、八で、顔色は青白いが背が高くて、堂々たる体格をしている。木綿布子を着て、町人風の外見である。武家奉公をして歩く中間なのに違いない。だが気品があって眼光鋭く、なかなかの面構えであった。男は取次ぎの者に、何度も頭を下げた。組頭に、会いたいというのである。特技は槍持ちで、どのような槍でも自由に扱えると男は豪語した。 |
笹沢佐保は一度は読んでみたかった作家だ。そんなわけで読んでみたが、どうも殺伐しすぎて趣がない。この作者はこれでやめ。 ところでこの小説でひとつ学んだことは、"扇子腹"という言葉、武士が切腹するときは刀で自分の腹を切り裂くのが常識であるが、死ぬ間際でも怖くて自分の腹を切れない輩がいて、この扇子を刀に見立てて演技をしている最中に首を落としてもらったとのことであった。やはり人間いろいろいるものというとかっこいいが、私も扇子腹の口かな? |
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20 | まかり通る 電力の鬼・松永安左衛門 |
小島直記 | 東洋経済新報社 | 2003.7.17 | 2004.5.26 | 奔馬編 伊達男一 日本の学生が、洋服を着よう、といいだしたのは明治十八年らしい。つまり、八十七年前ということになる。それは、外務卿井上馨が鹿鳴館をつくって二年目のことだった。井上のねらいは安政不平等条約の改正にある。そのためには、諸外国に日本の文明開化を認めさせなければならぬということで、日本の風俗、習慣のヨーロッパ化をはかろうとした。鹿鳴館は、その政策の一環としてつくられた上流社会の社交場だ。イギリス人コンデルの設計、明治十四年起工、総工費十八万円、十六年落成。 |
著者は1919年生まれ。随分年配の人だ。書き下ろしかと思ったが、1973年12月毎日新聞社より刊行された。
とあった。随分古い本である。主人公の松永安左衛門は明治7年生まれ、昭和46年没した。95歳の長寿命であった。伝記ものは元来好きなほうであるが、この著者によるものはちと読みにくい。 章立て 奔馬編、激動編となっている。ちなみに奔馬編の伊達男から続く表題は、色模様、尾崎代議士、師弟、三井呉服店、美男子、私設秘書役、挫折、日本銀行、モーニング、エリート、支店長、事件、半狂乱・・・と続く |
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19 | わが師 山本周五郎 | 早乙女貢 | 第三文明社 | 2003.6.22 | 2004.5.19 | プロローグ 周五郎の到達点 曲軒という渾名 けん介にして頑迷、へそ曲がりの文士なるわが師、山本周五郎を思い出すとき、私はいつも、その言葉と、あの風貌を思い浮かべる。小肥りの顔の丸い眼鏡は一見、温容であるが、その眼鏡の向こうの双眸は、いつも厳しく冷酷なまでの鋭い眼光で、こちらの背中を射抜くように見据えている。妥協を許さず、一点の見誤りもないほどの鋭さの底に、しかし深い哀しみと慈愛を秘めていたのを見てとった人は、何人いただろうか。 |
目次抜粋 出会いのころ 下町の「おたふく姉妹」、「弱い」人間への共感、人間の運命と絆、橋本左内の涙、「よじょう」と宮本武蔵、岡場所の男と女、路地の人々、「いい小説と悪い小説」、晩年の周五郎さん |
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18 | 女龍王 神功皇后 下巻 | 黒岩重吾 | 新潮社 | 1999.9.25 | 2004.5.16 | 豊浦宮一 新しい年の春の終り、息長姫と健人の一行は朝鮮半島にも行ける大きな船に乗り、穴門豊浦(あなととゆら)に向かった。航路は但馬、出雲に寄り、現在の関門海峡を通り、豊浦に到着する予定だった。タラシナカツヒコ王子はすでに紀国を発ち、穴門豊浦に向かっていた。大和にいた北九州出身の王族も、大半が王子に従った。王子は豊浦で即位し、王となる予定であった。敦賀から出雲までは海上で百里(400キロ)強である。海の沖には対馬海流が、対馬から能登半島、更に東北に向かっているので、船は陸に沿って進まねばならない。息長姫が乗っている船は八丈(24m)以上もあり、漕ぎ手だけで20人もいた。 |
キャッチフレーズ 新羅か熊襲か、決戦の火蓋は切られた。太古の歴代天皇の中で謎めいて得意な位置を占める仲哀帝と神秘と伝説に包まれた、神功皇后を空前のスケールで描く古代史ロマンの傑作巨編。 熊襲攻めを主張するタラシナカツヒコ王(仲哀帝)とそれに異をとなえる姫尊)神功皇后)。両陣営は水面下で鋭く対立する。神の意思は何処にあるのか。陰謀と謀略が複雑に交差して、倭の国は激しく揺れ動く。真の王者・応神天皇を産んだ国母、神功皇后の波乱の生涯を描く古代史ロマンの傑作巨編 |
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17 | 「はかる」と「わかる」 | 堀場製作所コーポレート・コミニケーション室+工作舎 | 工作舎 | 2004.1.26 | 2004.5.9 | 星を見る人-「はかる」と「わかる」 「はかる」ことは「わかる」ことであり、「わかる」ことが次の「はかる」を生み出します。それは科学技術にかぎることはなく、人や動物が「生きる」こと自体、無意識の測定と分析の上に成立していると言っていいのかも知れません |
キャッチフレーズ ものが発信している見えない言葉をさぐりながら、対象を理解するということはまた、コミュニーケションのプロセスでもあります。そして測定・分析機器とはまさに、人間が自然の言葉を聞き、理解するためのメディアでもあるわけです。 科学もの ワクワクするような感じでは読めなかったがままの部類か。やはりメーカーが書いたもので、PH計がやけに詳しく書いてありさもんありなんという感じであった。 |
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16 | 女龍王 神功皇后 上巻 | 黒岩重吾 | 新潮社 | 1999.9.25 | 2004.5.5 | 龍神一 東の空が白み始めた早朝、淡路島と播磨をへだてる明石海峡には数艘の釣り舟が浮いていた。釣り舟は重い鉄蹄の錨をおろしていた。海峡は流れが速く、錨がなければ釣り糸が流され錘が海底まで届かない。潮が止まれば届くが、鯛などは餌に食いつかなかった。大体、鯛は岩場の海底から五、六尺(一・五〜一・八米)の間を泳ぎ食い物を探す。鯛の好物は海老や、小さいグミイカなどである。釣り舟の一行は環頭の太刀を傍らに置いていた。矛を手に周囲を見張っている兵士らもいた。中でも中央の舟の長らしい人物は金銅の柄に双環のついた太刀を皮帯に吊していた。柄には見事な龍が彫られている。長は身体も大きいが顔も巨大だった。耳朶は巾が広く動かせば風を呼びそうである。 |
GW中に読んだ。今年のGW前半は良い天気であったが、後半は雨ばかりの最悪だった。 この本の時代背景は、4世紀後半、卑弥呼の時代はこれより100年前として描かれている。 キャッチフレーズ ヤマトタケルの子である豪傑、タラシナカツヒコ王子(仲哀帝)は、恐るべき呪術の力を持つ巫女王、息長姫(神功皇后)を娶ることを激しく望む一方で、大和の政権奪取に向けて牙を研ぐ。大和の勢力はタラシナカツヒコ王子包囲網を敷いて迎え撃つ・・・・。混迷する倭の国を舞台に展開する古代史ロマンの傑作巨編 |
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15 | 21世紀全史 | ジェントリー&マイクル・ホワイト | 角川書店 | 2003.10.31 | 2004.5.1 | はじめに-21世紀が、人類に与えた最大の影響はなにか? 「22世紀から回顧する1世紀全史」は、私にとってはじめての著書ではない。しかし、、最も意欲的に取り組んだ一作である。歴史学者として、多くの学術書を著してきたが、歴史のおもしろさをもっと多くの人に伝えたいと思うようになった。これまで上梓した歴史書では、特定の概念や個人に焦点を合わせたが、この本では、一世紀全体を総括的に捉えた。同僚の歴史学者の中には、世紀が終わってわずか十年しか経っていない時点で、前世紀の歴史意義を捉えるのは無理だと思うものもいる。が私にはそうは思わない。この取り組みが容易ではないことは認めるが、2112年の今、終わったばかりの21世紀を振り返り、歴史的に重要な要素を特定することは可能だと信じている。 |
タイトルに引かれて、読み始めたが、それほどでもなかった。特に前半の「核の惨劇」「混乱の時代」は何ともひどい。インドとパキスタンで核戦争が起きるとしているが、そこに登場させる人物の描き方がとても1世紀後の人物として描かれていない。また「混乱の時代」の書き方も、日本のバブル崩壊と全く同じ論調(株の期待から景気が崩落し10年は続くとしている)で、なんとも読みがたい。またそこに登場させる人物像も全く陳腐な小説を読まさせられている心境で居心地が悪い。 | |
14 | さつき断景 | 重松清 | 祥伝社 | 2000.11.10 | 2004.4.17 | 1995 その年のゴールデンウィークは、後半の日程が「あたり」だった。前半は四月二十九日のみどりの日が土曜日になったせいで大型連休のうまみはほとんど感じられなかったが、後半の曜日の巡り合わせは、前半の不運を補って余りあるものだった。五月三日が水曜日。そこから四日、五日と三連休になり、六日と七日は土日の休み。ごくふつうに休みをとっても五連休、休日の狭間の五月一日と二日に休みをとれば、じつに九連休も可能である。フランスあたりのバカンスとは比べくもないが、それでも気の合わない上司の顔を一週間以上も見ずにすむというのは僥倖というものだろう。 |
キャッチフレーズ 1月17日、阪神淡路大震災?。3月20日、地下鉄サリン事件?。あの1995年から2000年までの世紀末、われわれはどう生きてきたのか? 大震災のボランティアに参加した高校生タカユキ、電車一本の差でサリン禍を免れた35歳ヤマグチさん、長女が嫁ぐ57歳アサダ氏。彼らの六年間の「5月1日」を定点観測し、各世代の「今」を問う斬新な日録(クロニクル)小説。 |
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13 | 海洋のしくみ | 東京大学海洋研究所 | 日本実業出版社 | 1997.9.25 | 2004.4.11 | 第一章 海の始まりとなりたち 青い惑星 海洋とはどんなものなのか? 最初に地球を宇宙空間から眺めた宇宙飛行士ガガーリンは、「地球は青かった」といいました。地球が青いのは海洋があるからです。海洋、すなわち大量の水の存在こそ、地球が宇宙空間でのオアシスともいうべき存在となった理由にほかなりません。地球の表面積の約70%は海によって占められているのです。いま、海水面を基準として地球の表面の高度分布を見てみましょう。すると、海底には大きく分けて二つの平坦面と二つの斜面があることがわかります。 |
科学もの DNAの本に触発されて科学ものをぶらりと図書館の棚から選んだもの 恐竜時代は大変な温暖な気候で二酸化炭素は火山の影響で大分あったらしくまたそれが温暖化を招いたもの。その後の気候変動で石油、石炭として地下に封じ込められているものを人間が掘り出して消費している。これって自らの手で地球環境を恐竜時代に変えている事になる。海面はいまより100m近く上がる等、いろいろの問題が発生してくる・・・・ |
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12 | 秋日和 | 赤瀬川隻 | 光文社 | 2003.9.25 | 2004.4.10 | シチリア舞曲 バスを降りると、一陣の冷たい風が頬と首筋を掃いた。いつのまにか秋も深まっている気配である。空港の自動ドアから出発ロビーに入る。土曜日曜を控えた金曜日の夕刻だが、思ったほどに混雑していない。一階下のロビーに降りるため、エスカレーターに歩を進めようとした富永重雄はハッとして思わず足を止めた。-明美・・・。小西明美ではないか。五メートルほど先を、重雄に横顔を見せて右から左に歩き去る女。その横顔は一瞬で後ろ姿に変わってしまった。 |
最後の「トロイの干し草」以外は男女のというより中高年の男と若い女との恋物語。あまり面白くかなった。 短編集先の他に◆秋日和◆約束の手紙◆真珠の便り◆由理子と私◆画家への手紙◆接吻◆夏の航跡◆鉄の馬◆トロイの干し草 |
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11 | 闇からの声 | 黒岩重吾 | 文芸春秋 | 2001.9.30 | 2004.4.10 | 闇からの声 電話の音が鳴る。その度に得体の知れない見えない蛇が首を締めつけるような恐怖感に息が苦しくなる。と同時に憤りと憎悪が下腹から心臓を突き上げて吐きたくなる。おおげさではなく無言電話のベルの音はある意味で酷い拷問だった。はじまったのは三年前の春頃からである。或る日突然、私を攻撃してきた。多い時は日十回をこえた。平均して一日に数回である電話を取るのは秘書だが、彼女は週に三日勤務なので、休日は私が受話器を取らねばならない。普通なら「はい」というところだが、声を出せば相手の思う壷なので無言でまず発信音を待つ。 |
短編小説集、左記のほかに「逃亡者」、「幻灯花」、「ドライバー」、「初恋」、「白夜に噴く」、「石塀の花」、「古血花」の八篇 千葉のオーディオ仲間にあいにいって時間待ちのファーストショップで読み始めた。 やはり、黒岩重吾は古代ものがいい。この小説は大部分は水商売か底辺の女性を扱った作品で全体が暗い。 |
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10 | 眠らんかな | 村上弘 | 講談社 | 2003.11.28 | 2004.4.7 | 田舎うどん 私の一家は、昭和19年の夏に熊本で焼け出され、二昼夜かけて記者を乗りつぎ、埼玉の奥にある私の母親の実家にたどりついた。それから二冬、母親と子供は雑木林の多い盆地にとどまった。古い農家として食料の蓄えはあり、都会で焼け出された家族が疎開してきてもなんとか自給自足の生活ができていた。そのころ、母親たちがよくうどんを打つのを見た。食事をする今でいうダイニングは、囲炉浦のある磨かれた板間の部屋で、竹林の葉の音が聞こえた。 |
短編小説集、左記のほかに「崖(はけ)を見る」、「眠らんかな」、「アイスブレイカー」の四篇 たんたんとした書風。心落ち着けて読むのにはいいかなという感じ。著者tの他の作品は積極的に読もうというところまでいかず。 キャッチフレーズ 「眠らんかな、眠らんかな」伊豆下田の禅寺で知り合った老社長の遺したことばが、いつまでも心をゆさぶる。-企業に携わる現代人の内奥に流れるやりとりを、哀惜しつつ瑞々しい筆致で描く表代作ほか3篇。最新作品集 |
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9 | DNA | ジェームス・D・ワトソン | 講談社 | 2003.12.18 | 2004.4.3 | 序章 生命の神秘 それは1953年2月28日、土曜日の朝のことだった。土曜日の朝の例にもれず、私はケンブリッジ大学のキャベンディッシュ研究所で、フランシス・クリックよりも早く仕事に取りかかっていた。私が早起きするのにはそれなりの理由があった。当時はまだほとんど何もわかっていなかったデキオリシポ核酸、すなわちDNAと呼ばれる分子の構造を、もう少しで-といっても、どれくらい少しかはっきりわからなかったが-解明できそうだったからである。いかなる既知の分子とも異なり、DNAは生命の本質への鍵を握っている、というのがクリックと私の考えだった。世代から世代へと受け継がれてゆく遺伝情報を蓄え、複雑極まりない細胞の世界を統率するのがDNAなのだ、と。その三次元構造、つまり分子の組み立てがわかれば、クリックが冗談半分に言った「生命の神秘」を垣間見ることができるのではないかと私たちは期待していた。 |
2003年はDNA発見50年とのことで、この本が作られたとのこと。著者はもう一人の発明者フランシス・クリックとともにDNAの2重らせん構造を発見した人である。 久しぶりに、科学ものを読んだがやはり面白い。ただし化学はもっとも不得意で内容は難しかったが、おのおのの時点の発見物語はワクワクする。 章立て 1.遺伝学の始まり 2.二重らせん 3.暗号の解読 4.神を演じる 5.DNAと金と薬 6. シリアル箱の中の嵐 7.ヒトゲノム 8.ゲノムを読む 9.アフリカに発す 10.遺伝子の指紋 11.病気に挑む 12.私たちは何者なのか 13.遺伝子の未来 |
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8 | 哀愁的東京 | 重松清 | 光文社 | 2003.8.25 | 2003.3.20 | 第一章 マジックミラーの国のアリス 時代のヒーローと呼ばれた男は、少し疲れているように見えた。「意地悪なツッコミ、なしにしてくださいよ」笑ってソファーに座る、その顔や声やしぐさはヒーローの名にふさわしい活力に満ちていたが、名刺の交換を終えてコーヒーを啜るときには表情が消えていた。ごくん、と喉が動く。首筋の肌がひどく疲れているのが、わかる。インタビューはすんなりと始まり、スムーズに終盤まで来た。ひっかかかるようなものはなにもない。ヒーローを-田上幸司を怒らせたり絶句をさせたりするような質問は、あらかじめ広報部から禁じられていた。つまらない記事になる。無理に面白くする必要はない、と取材に立ち会った編集部の中村くんには言われていた。田上さんが出てる、それだけでいいんです。 |
重松清の最新作。長編小説であるが、いずれも過去に時代のヒーローとなった人をインタービューしていく形で進められていく。タイトルにあるようにいずれも"哀愁"である。主人公
はフリーライターの新藤宏 彼も離婚を目の前にした過去を哀愁と感じているひとりである。 章立ては、A遊園地円舞曲 B鋼のように、ガラスの如く Cメモリー・モーテル D虹の見つけ方 E魔法を信じるかい? Fボウ G女王陛下の墓碑 H終章 キャッチフレーズ これが- 僕が出会い、見送ってきた「東京」。 生きる哀しみを引き受けたおとなのための"絵のない絵本" |
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7 | 弓削道鏡 下 | 黒岩重吾 | 文芸春秋 | 1992.7.1 | 2004.3.20 | 孝謙上皇の命を受けて壬生直小家主女が淳仁天皇のもとに行き、女帝の意を伝えた。何といっても女帝は、天武と皇后う野讃良(うののさらら)(後の持続天皇)の間に出来た草壁皇太子の直系である。その点淳仁は、天武が新田部(にいたべ)皇女に産ませた舎人親王の子であった。女帝が淳仁を傍系というのはそのせいである。しかも、かって皇太子であった道祖(ふなど)王を廃し、藤原仲麻呂と共謀して淳仁(大炊(おおい)王)を皇太子にしたのは女帝その人だった。淳仁は女帝のおかげで皇太子、そして天皇になれたのであった。 | 昨年の9月に上巻を読み終わったあと、間隔を置いてしまった。悪役とされる"道鏡"を善人として描ききったこの作品とても読みやすかったし気持ちも良かった。天皇の血筋を持たずあと一歩のとのところで天皇という地まで駆け上ろうとした人物 | |
6 | 腹の据え方 | 柘植久慶 | PHP研究所 | 2003.7.7 | 2004.3.14 | 文明の衝突を恐れるな ある文化人類学者が、イスラム教との対立を危惧していた。「文明の衝突を避けねばならぬ」というのがその主張であった。だが、本当にそうなのだろうか。キリスト教社会-あるいは先進諸国とイスラム教社会のあいだの、文化の対立は昨日や今日始まったことではない。それを今更心配しても意味などあまり見出せないのだ。 |
かなり、硬派な意見論者。出版社がPHP研究所とは信じられない。ニューヨークの飛行機体当たりのテロを予告したと大見得を切っているが、本当のことだろうか。それにしては話題に上がらないが | |
5 | よく生きよく笑いよき死と出会う | アルフォンス・デーケン | 新潮社 | 2003.9.20 | 2004.3.9 | 人生は旅、人間は旅人-まえがき 今日は、大勢の方が私の最終講義のためにいらっしゃってくださいまして、心から感謝いたします。上智大学教授として、これが最後の授業になるということは、何かとても複雑な気持ちです。今三十数年前の最初の講義の時の緊張感を思い出しています。学生が期待することに、私が提供できる授業との間には、ものすごく大きいギャップがあるのではないかと、とても心配でした。 |
ドイツ生まれの著者、上智大学の死生学の教授として長年勤めてきた。退職を期に持論を書いたのが本著。著者は死生学ともうひとつのテーマは、ユーモア。ドイツで一番有名なユーモアの定義は、「にもかかわらず、笑うことである。」 なんという究極な言葉であろう。もちろん、にもかかわらずの前には、自分は苦しいのにも ・・・である。 |
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4 | 舞姫通信 | 重松清 | 新潮社 | 1995.9.20 | 2004.2.28 | 舞姫は、静かに教室にやってきた。入学式の数日後の朝。<新入生の皆さん>という言葉で始まる初対面のメッセージが、五クラスに振り分けられた百七十五人の一年生全員の机の中に入っていた。その日、僕は、風邪で欠勤した一年C組の担任に代わって始業前のホームルームの進行を任されていた。教室に足を踏み入れるなり生徒たちの困惑が伝わってきて、「どうしたんだ?」と教室を見渡すと、くしゃくしゃに丸められた紙がゴミ箱に山盛りになっていることに気づいた。 | 重松清ものをだいぶ読み進んだが、この本を初期に読んだら、彼のものを読み続けなかっただろう。というくらいこの小説はよくなかった。決して自殺を肯定するのではないが、それが十分に成り立っているかのように書き進めている。 | |
3 | 山ん中の獅見朋成雄 | 舞城王太郎 | 講談社 | 2003.9.25 | 2004.2.13 | 坂本竜馬の背中に馬の鬣のような毛が生えていて、それがそもそも竜馬という名前の馬の字の由来であるというのは坂本竜馬の伝記やその種の読み物からではなくて父の隆宏から聞いた話だったが、父はその話を、僕と同じように繰り返し繰り返し祖父の庄一郎から聞いたのだった。どうして祖父がそんな話を父に繰り返したかというと、それはその祖父の背中にも、やはり鬣に似た毛が首の後ろから両肩に伸びて腰にかけて逆三角形を作るようにして生え広がっていたからだった。 | キャッチフレーズの"純文学"に引きよせられて読んだがとんでもないまがい物、純文学が聞いてあきれる。擬音語でやたらページを引き伸ばし、筋は荒唐無稽、時間の無駄 キャッチフレーズ 舞城王太郎の最新作は最高傑作 福井県・西暁の中学生,獅見朋成雄から立ち上がる神話的世界、ついに王太郎がその真価を顕し始めた。ゼロ年代デビュー、「ゼロの波の新人」の第一走者が放つ、これぞ最強の純文学 |
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2 | 武蔵と無二賽 | 久坂雅志 | 徳間書店 | 2003.1.31 | 2004.1.31 | 武蔵と無二賽 宮本武蔵は、- 孤高の剣客 と呼ばれた。終生、妻をめとらず、天涯孤独の印象が強い武蔵だが、剣客の父親がおり、その父が多大な影響を受けたことはあまり知られていない。武蔵の父は、平田無二之助正家という。美作の国、すなわち現在の岡山県北部の武士である。美作竹山城主に新免家なる土豪があったが、平田無二之助はその新免家の家老をつとめていた。平田家の領地は、竹山城の半里南の讃甘(さのも)村宮本(現、岡山県英田郡大原町)にあった。無二之助はそこに、宮本の構なる館を築いていた。 |
長編小説かと思ったが、短編集であった。他に「鬼の髪」、「活殺」、「ト伝峰入り」、「一(ひとつ)の太刀」、「あばれ絵師」、「柳生殺人刀(せつにんとう)」の短編集6編の本であった。いわゆる剣豪小説というもの。 キャッチフレーズ 修羅に生きる鬼と鬼、天下無双の二刀流、不世出の剣鬼・宮本武蔵とその父・無二賽の憎悪と確執 |
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1 | 日曜日の夕刊 | 重松清 | 毎日新聞社 | 1999.11.25 | 2004.1.14 | チマ男とガサ子 オトコのくせに--。三ヶ月付き合ってきた女の子に言われた。「ねえ、こういうのって、情けなくない?」あきれはてた顔で言われた。「なにが?]と聞き返すと、彼女は黙ってテーブルの上を指さした。ティーポットがある、カップもある、キャンディーとクッキーの小箱がひとつずつあって、それから、隅の方に、皺を伸ばしたキャンディのラッピングフィルム、五枚重ねてある。彼女が皺くちゃのまま放っておいたのを、ぼくが皺を伸ばし、ぼくが重ねた。彼女が深々とため息をついて、「オトコのくせに・・・」と切りだしたのは、ちょうど六枚目を載せたときだったのだ。 |
短編集、他に「カーネーション」、「桜桃忌の恋人」、「サマーキャンプへようこそ」、「セプテンバーー'81」、「寂しき霜降り」、「さかあがりの神様」、「すし、食いね」、「サンタにお願い」、「後藤を待ちながら」、「柑橘系パパ」、「卒業ホームラン」の全部で12編、一番面白かったのはやはり最初の「チマ男とガサ子」かな。最後の「卒業ホームラン」は少年野球の監督の話、自分の息子をとうとう最後の試合でも試合に出さず、終わったあとで親子だけでバッティングをする。ちょっとホロリとするラストーシーン |