読書記録 2005年
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発行日 | 読了日 | イントロ | 表紙画像 | メモ・登場人物 |
42 | たそがれ清兵衛 | 藤沢周平 | 新潮社 | 2002.10.10 2003.7.30 第7刷 |
2005.12.31 | 時刻は四ツ半(午後11時)を過ぎているのに、城の北の濠ばたにある小海町の家老屋敷、杉山家の奥にはまだ灯が灯っていた。客が二人いた。組頭の寺内権兵衛と郡奉行の大塚七十郎である。屋敷の主人杉山頼母は深々と腕を組んだまま、何度目かのため息をついたが、やがて腕をおろすとぱたりと膝を打った。「ま、ともかく半沢からの、つぎの知らせを待とう」「もし、間違いないとわかったら、どう処置なさるおつもりじゃな」と寺内が言った。杉山は、寺内の肉の厚い赤ら顔と丸い眼を見た。 | 短編集 書名のほかに、うらなり与右衛門、ごますり甚内、ど忘れ万六、だんまり弥助、かが泣き半平、日和見与次郎,祝い人助八 キャッチコピー 特異な風体性格ゆえに、普段は人から侮られながちな侍たちのここ一番の活躍を描く、清冽にして痛快な連作八編を収録 最後の短編、祝い人助八の祝い人ととは、物貰いのこととあった。なかなか江戸時代ってのはいきなネーミングを行うものである. |
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41 | 年を歴た鰐の話 | レオポール・ショボ(原作) 山本夏彦訳 |
文芸春秋 | 2003.9.15 | 2005.12.24 | この話の主人公は、大そう年をとった鰐である。この鰐はまだ若い頃、ピラミッドが建てられるのを見た。今残っているものも、壊されて跡かたも無くなってしまったものも見ている。ピラミッドなどといふものは、人が壊しさへしなければ大地と共にいつまでも残っているはずである。歳を経た鰐は、永い間健康だったが、五、六十年このかた、ナイル川の湿気が体にこたへはじめたことに気がついた。まづ膝が痙攣しだしたし、続いて手を動かすたびに、肩がもがれるように感じだした。 | 昭和16年に発行された復刻本である。大人の童話というかそんな類のものだ。他に「のこぎり鮫とトンカチざめ」、「なめくぢ犬と天文学者」がある。後付に吉行淳之介.久世光彦、徳岡孝夫氏の感想文、解説があり戦後この本がかなり有名な本であったことがわかる。 | |
40 | 空の中 | 有川浩 | メディアワークス | 2004.11.20 2005.6.30 5版 |
2005.12.24 | プロローグ 早春 日本の空を日本の翼で-夢よもう一度 経産省は22日、国産輸送機開発プロジェクトを発表した。これは国家規模の計画としてはYS11以来の大規模な民間航空機開発となる。仕様の概案は以下の通り。定員:8〜12人、推力:13,000kgのターボファン・ジェットエンジン2発、総重量:約40〜42t、全長:38〜40m、全幅:20m |
有川浩は女流作家、字面だけ見れば男のようである。そんな関係かこの本の登場人物の女流パイロットの名を光希と書き、ミキと読ませている。内容は少年少女向けの空想小説か 図書館抄録 200X年、2度の航空機事故が人類を眠れる秘密と接触させた。秘密に関わるすべての人が集ったその場所で、最後に救われるのは誰か−。第10回電撃小説大賞大賞受賞作家の第2作。 |
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39 | 会社葬送 | 江波戸哲夫 | 新潮社 | 2001.5.20 | 2005.12.20 | プロローグ-総務部長就任- 97年9月16日火曜日。「敬老の日」を含む三日間の連休が明けたその朝、まるで季節が一気に秋の真っ只中に来てしまったような冷たい雨が、都心のオフイス街を濡らしていた。雨は、いくつもの証券会社の立ち並ぶ「永代通り」を横切る隅田川の水面にも絶え間なく波紋を作り、隅田川にかかる「永代橋」のたもとに聳え立つ「茅場街タワー」の高層部分をうっすらと煙らせていた。 |
山一證券の最後を描いた作品当時日本最大の倒産劇として記憶に残っておりこの本をとった。 図書館抄録 層部の不正で会社消滅という事態に直面した社員たちが、幕引きに向けいかに行動したか。詳細な内部証言と豊富な資料で、終局までの激動の200日を描くドキュメント・ノベル。 |
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38 | バッドrトラップ | 堂場瞬一 | 幻冬社 | 2005.7.25 | 2005.12.5 | 我ながら手間がかかり過ぎると思う。だが、騙すだけなら誰でも出来る。それを芸術の域にまで高めるためには、それなりの手間が必要なのだ。リュウはマセラティの後部座席で何とかリラックスしようと、無為な努力を延々と続けていた。ドアが四枚あることと、大人が四人乗れることとは意味が違う。脚を組み替え、腰の位置をずらし、ついには鼻歌まで口ずさんでみたが、人が座る場所ではないと確信が強くなるばかりだった。 | 堂場瞬一はこれで数冊目だろうか。しかしこの本は少しいただけない。前作までがもう少し組み立てにいいところもあったのだが・・・ 図書館抄録:1992年、ロス暴動の最中、強奪され闇に消えた秘宝ケツァルコアトル像が日本に秘匿されているという情報を入手した詐欺師・リュウは、元傭兵・御手洗と偽造専門家・彩を率い、幾重にも罠を張り巡らせながら秘宝を狙うが…。 |
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37 | 百鼠 | 吉田篤弘 | 筑摩書房 | 2005.1.20 | 2005.12.4 | 一角獣 拾った自転車には一本の角があった。最初は、それがその自転車に施された意匠なのかと思えたが、よく見れば十センチに充たさないささやかなもので、格好がいいというより、むしろ寂しげな突起物でしかない。指でなぞると、角の根元に溶接のあとが冷たくあたる。 |
江戸時代の贅沢禁止令のころに出た華美な衣装が禁止になったときに、鼠色だけはOKであった。その鼠色にほんのわずかな色彩だけを入れて、それらは、銀鼠、桜鼠、鉄鼠、鳩羽鼠、深川鼠、小豆鼠、利休鼠、薄雲鼠というように呼ばれたそうな・・・・ 粋だね!!! |
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36 | 歴史の真実 「坂の上の雲」に隠された真実 |
福井雄三 | 主婦の友社 | 2004.11.10 | 2005.11.10 | 前書きにかえて 目が覚めるような歴史の見方を提示したい 「中央公論」平成16年2月号の日露戦争と司馬遼太郎の特集で掲載された、拙論「「坂の上の雲」に描かれなかった戦争の現実」は、各方面から多大の反響を頂いた。司馬遼太郎氏の「坂の上の雲」は超ベストセラーであり、国民文学と言ってもよい作品である。この小説が日本国民の精神に及ぼした影響は、計り知れぬほど大きいものがあると思われる。「司馬史観」という言葉も生まれた。 |
この本が主張しているいるように、「坂の上の雲」を読んだときに、乃木大将と伊地知幸介を大層悪く書いてあったのが記憶にあったので、この本を読んでみた。やはりこの本では弁護論に徹している。私感ではそんなに悪い人がいたずらにその職に残っているはずがなかろうかと思っていたのでさもありなんと読んだ。しかし真実はどうなんだろう。 | |
35 | 八代将軍 吉宗( 下) |
ジェームス三木 | 日本放送出版教会 | 1995.10.30 | 2005.10.4 | 法の矛盾 江戸城では正月十一日、恒例の年賀行事として、連歌興行が行われた。まず格式高い世襲の連歌師が、都から毎年きて五七五を発句し、将軍が七七と受ける。それを次の連歌師が五七五でつなぎ、牢中あたりが七七と受け、先へ先へとめでたく詠み継がれていく。当然ながら幕府の高官は、歌が詠めなくてはならない。まして将軍が[二の句]を継げなくては、連歌興行が頓挫する。さぞかし吉宗には気の重い行事であったろう。 |
全3巻読了。面白かった。体力/知力抜群な吉宗に虚弱な子が授かるとは何たる運命の皮肉か 図書館抄録 享保の改革によって幕府の財政は好転。が、徳川宗春はこの政策に真っ向から反発、吉宗との決定的な対立は尾張藩を窮地に追い込む。彼が最後に下す決断とは…。NHK大河ドラマの小説・下巻。* |
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34 | 八代将軍 吉宗( 中) |
ジェームス三木 | 日本放送出版教会 | 1995.4.25 1995.5.30 第6刷 |
2005.10.1 | 星の囁き 宝永四年(1707)11月23日、富士山の大噴火が起きた。新井白石は回顧録「折たく紫の記」に、その模様を詳しく書いているので、おおまかに引用しておく。<昨夜、大きな地震がござり、この日正午には、雷のごとき音が聞こえ申した。登城の折りは雪が降り出し、よく見れば雪にはあらず、白い灰でござった。西南の空に黒雲が沸き起こり、稲妻らしきものが、しきりに光り申した。西の丸にたどりつくころは、白い灰が地面を覆い、草木もすべて真っ白でござった。夜にはまた地震がござり大地がぐらぐら揺らぎ申した。これが富士山の噴火と知ったのは、三日目のことでござる。 |
いよいよ、吉宗が紀州の殿様から天下の将軍となるところである。これ以前は大名から将軍になった場合は自分の領地を幕府に返したとあるが、吉宗は将軍になる代わりに領地はそのままとしたとある。偉大な駆け引きによるものである。 | |
33 | 百万石秘訓伝説(上) | 羽太雄平 | 新人物往来社 | 2004.12.25 | 2005.9.28 | 序章 元禄の秘策 元禄三年(1690)の師走・・・。江戸随一の大名屋敷が闇に包まれるころ、広い庭を歩んできた人物は、足音を忍ばせるようにして屋敷境の埋め門をくぐり、ほぼ同じ規模を持つ隣屋敷を訪問した。- おお、安房守殿。待ちかねておった。ささ、これにござれ。- いささか遅くなりましたようで・・・・。- いや、迷惑をかけておるのはこちらであるのに、わざわざ足を運んでもらっておる。- 何ほどのことがござりましょう。屋敷内の埋め門を通ればすむことでございます。 |
羽太雄平氏は初めて読んだ。イントロで200年前のイヴェントをまず説明し、それから本編に入っていく。イントロは何のことかわからぬまま、本編を読みすすんで行くわけである。徳川の本多家が、加賀百万石のお目付け役として重要な役割を果たしており、なかなか面白かった。 | |
32 | 八代将軍 吉宗( 上) |
ジェームス三木 | 日本放送出版教会 | 1994.12.15 1995.1.30 第5版 |
2005.9.11 | 御三家 紀州に比べて江戸の春は足が遅い。若いころから壮健で、病気らしい病気をしたことのない徳川光貞ではあるが、還暦ともなれば朝の寒気が骨身にしみる。「気分はどうじゃ」光貞はかたわらに端座する嫡男の綱教を見やった。祝い酒の二日酔いを気遣ったのである。「大事ござりませぬ」綱教は折り目正しく頭を下げた。やや細身ではあるが、眉根凛々しい面立ちに、直垂長袴の礼装がよく似合った。 |
NHKの大河ドラマとなったこの小説。TVでは見なかったがこの本を読んで見た。読み始めると結構面白く,日曜の4時過ぎから8時ごろまでに一気に読んでしまった。万事塞翁が馬というがこの生い立ちででやがては八代将軍になるとは・・・・ |
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福沢諭吉第二巻白秋篇 | 岳真也 | 作品社 | 2005.6.15 | 2005.8.28 | 第一章 維新の孤独 熱い「夏」はなおも続いた。諭吉の旧友たる村田蔵六あらため大村益次郎指揮下の新政府軍の猛攻によって、上野の山に立てこもった彰義隊は掃討された。これにより江戸での戦闘は終わったが、いまだ薩長勢との徹底抗戦を望む旧幕府の将兵は少なからずいる。そうした主戦派の面々はなべて北上をはじめ、戦闘の舞台は北関東から東北へと移りつつあった。「上野戦争」の起こる二月ほど前の慶応四(1868)年の四月なかば。- |
以前から、明治維新の嵐の中で、中立派である福沢諭吉が攘夷派の餌食にならず生き延びていたことに不思議と思っていたのであるが、この本を読むと彼もすんでのことで命を永らえていたことがわかった。 北里柴三郎と諭吉との関係もはじめて知った。諭吉が北里に「園内掃除をしろ」の一声にその翌日、自分自身が重装備で掃除に加わった場面の描写では声を出して笑ってしまった。 |
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30 | 武蔵坊弁慶(三) | 今東光 | 学習研究社 | 1988.1.20 1988.2.23 三版 |
2005.8.14 | 不破の関 近江路を下っていくと思いがけないところに小さな部落があり、白昼堂々と曳馬をつれて通る一行の蹄の音におどろいて村中の男女が飛び出して来たりした。都に何か騒動があって東国へ落ちる落武者とでも勘違いしてか、あり合う得物を持ち出して来て殺気のこもった眼で見るのであった。こやつ等は街街道の落人を襲って密かに懐を肥しているのだ。(戦に負けてはみじめなものよ−)と思わせた。 |
本書も第三巻に入ったが最初の面白さは失せて、義経が入ってからはどうも面白くない。 | |
29 | 将棋太平記 | 倉島竹二郎 | スタジオK | 2005.5.30 | 2005.8.9 | 嵌め手 八坂神社−俗称祇園さんの裏手から東大谷寺へ通ずる百数十間の石畳。両側から鬱蒼と覆いかぶさった樹々の梢が、美しい夏の夜空の星をかくしていた。ときどき大きな蛍が流星のように尾を引いて飛び交った。蒸すような京都の暑さもいつしかひんやりとして、石畳を流れる涼風が快く襟元を撫ぜた。「太郎松はん」と、石畳の木の下闇に這入ると、すぐお絹はピッタリと寄り添って、市川太郎松の手を握りしめた。湯上りであろう、梅花の髪の香と脂粉の匂いが、強烈な木の葉の香にまじって仄かに漂った。 |
ちょっと拙劣な書き方かなと思ったら、何と昭和24年出版のリメーク版であり、著者の処女作であった。巻頭に菊池寛の序文があり思わず読み始めた。 図書館抄 録 : 江戸の将棋家元に敗れ、賭け将棋士に身を落とした天才太郎松の復讐勝負物語。京都の棋聖・天野宗歩一門VS家元名人の世紀の決戦。将棋史に語り継がれた幕末天才棋士たちの名勝負を描く。昭和24年日東出版刊の再刊。 |
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28 | 汐留川 | 杉山隆男 | 文芸春秋 | 2004.10.30 | 2005.7.24 | 汐留川 流しにうずたかく積まれた皿や小鉢の洗いものをうんざりした表情でながめると、達也は冷蔵庫からビールをとり出し栓を抜いた。「へぇい、お待ち」と言って客に出すときは、江戸っ子の啖呵のように威勢のいい音を立てるのに、明かりを落とした、がらんとした店内で自分のグラスのために抜くときは、どこかしら湿って聞こえる。味も、舌の上で弾ける気泡の粒子が心なしか少ないような、泡立ちの肌理が粗いような、妙に間延びして、喉越しの爽快さは感じられなかった。 |
しっとりとした読後感のいい小説であった。この著者の本を読んでみよう。 短編集、表題作の他に天使の見習い 人生時計 走る男 手の中の翡翠 卒業写真 散骨式 図書館抄録 40年ぶりのクラス会。達也が思い出すのは、転校していった百合と外濠川でボートに乗ったこと−。日劇、都電、外濠川…。昭和30年代の銀座の情景が甦る表題作など、都会を舞台にしながら郷愁を誘う、大人のための小説集。 |
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27 | 「ベーシー」の客 | 村松友視 | マガジンハウス | 1998.6.18 | 2005.7.16 | 第一章 東北の悪路王 東北新幹線の仙台と盛岡とのあいだにはいくつかの駅があるが、その一つが一関だ。この一関という市が、一般的にどのようなイメージをもたれているのかは知らぬが、とりあえず北上盆地の南端に位置し、岩手県の南の玄関をなす市、ということになる。ジャズ喫茶「ベーシー」はその一関の一角にあるのだが、いきなりこの有名な店について語りだす前に、その土地の輪郭に思いを向けるのが順序、いや礼儀というものだろう。 |
オーディオ雑誌でよく見かけるベーシーと村松友視の組み合わせが面白く手に取った。可もなく不可もなくというところか 図書館抄録 岩手県一関。伝説のジャズ喫茶「ベーシー」。そこに来た客は、粋と、無頼と、人恋しさをちょっぴり纒って、去って行く。その中にあなたに似た人がきっと見つかるはず…。 |
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26 | ラメール 母 | 小中陽太郎 | 平原社 | 2004.6.20 | 2005.7.23 | 第一章 緑色の部屋 天井も、床も、淡い緑の光がたゆたっている。そこは水槽の中のようにも思えるし、薄いガーゼにくるまれた、柔らかな袋の中のようでもある。窓にもグリーンの半透明の膜がかかっている。このような緑の光が、陽太郎の外界に対する最初の記憶である。そこは熱くもなく寒すぎもしない。離乳期の記憶にしては、母の記憶も、母乳の匂いもない。もっと無機質な、つかみどころのない空間である。子宮の中のようでもあるし、広い部屋のようでもある。もしかすると、宇宙の中に漂っているのかもしれない。 |
ちと奇妙に思えた。これは本当に自伝小説であろうか。自分のことをあけすけに褒め上げており、他の人の作ではないかしらと思えるところがそこかしこにでてくる。 図書館抄録:「わが子を偉大な芸術家と思うことにしよう」と心に決め、ひたすら抱きしめ、愛した母。そして、その愛に懸命に応えようとした息子。しかし…。昭和を生きた母と子の風景を描いた、自伝的小説。 |
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25 | 武蔵坊弁慶 (二) | 今東光 | 学習研究社 | 1977.12.15 | 2005.7.18 | 合戦 小弓が安来へ旅立ち為信が留守だと、弁慶は竹林の庵主と立った二人、静かな山中で暦日を忘れて暮らした。日中は勤行やら講義やらでまぎれて過ぎたが、夜になると独り寝の侘しさはきわまりなかった。そして夜毎、小弓の睦言を聞き、柔らかい肌を撫で、愛情のほとばしるままに惑溺して来ただけに掌の珠を取り落とした想いがする。六尺を超える巨漢がぽつねんと庵室の一間にこもっている姿は、そのままが寂寥そのもののように見えた。 |
九州への出張で新幹線の中とホテルで読みきる。 第一巻と同様に面白い。義経と出会い主従の契りを含むところを主体として書かれている。 |
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24 | アラスカ物語 | 新田次郎 | 新潮社 | 1974.5.25 1976.2.25 18版 |
2005.6.13 | 第一章 北極光(オーロラ) フランク安田は、それを見まいとした。眼を氷原の上に落としてひたすら歩き続けようとした。だがそうすることはすこぶる危険なことであった。方向を失ったときは死であり、彼の死は同時にベアー号の死でもあった。フランク安田は眼を上げて北極光を見た。空で光彩の爆発が起こっていた。赤と緑がからまり合って渦を巻き、その中心から緑の矢があらゆる空間に向かって放射されていた。彼に向かってふりそそがれる無限に近いほど長い緑の矢は間断なく明滅をくりかえしていた。 |
主人公フランク安田は日本人モーゼと謳われ、アラスカのサンタクロースと称されたとあった。昭和33年1月12日、90歳で生涯を閉じている。偉大な日本人がここにもいたという感想がこの本と出合って得た感想である。 読み始めは、下の本と同じく軽井沢であった。 |
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23 | 我輩は施主である | 赤瀬川原平 | 読売新聞社 | 1997.8.7 | 2005.6.11 | 地鎮祭の神様 我輩は施主である。家はまだない。これから建てる。施主というのは家を建てる人のことなのだ。今回はじめて知った。しかし家を建てるのは大工さんじゃないのか、という説もある。子供のころ教科書で、「そして秀吉は、大阪城を建てた」というような文があると、秀吉が鋸を持って材木を切りながら、大阪城を一人で造っているところを創造するのだった。 |
図書館抄録 今度、我輩は自分の好みに合った家を新築することになった。土地探しの右往左往、長野の山での材木伐り出しに自ら出陣。ぜひ欲しいのは広いアトリエと中庭。が、F森教授は、跳ね橋だの屋根にニラを植えるだのと言い出して…。 娘の結婚式のアキ時間にて読了。軽妙な書き方で愉快に読めた。 |
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22 | 病猪の散歩 | 前登志夫 | 日本放送出版協会 | 2004.3.20 | 2005.5.29 | けものみち 山道にわたしはよく迷う。それも深山幽谷で迷うのではなく、里山でのそば道をとりちがえたりして、とんでもない方角の尾根や谷間へわけいっておろおろすることがある。とりわけ若葉の季節はあぶない。木々や山のひびきがたっぷりとした情感を湛えており、ありあまるほどの合図をおくってくるからだろうか |
図書館抄録 歌人・前登志夫が自然と交感しながら紡ぐ山住みの随想記。作歌の具体的な実情に触れ、自作を紹介する。第1章と第2章は『NHK歌壇』に隔月連載されたもの。 |
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21 | 山河ありき−明治の武人宰相桂太郎の人生− | 古川薫 | 文芸春秋 | 1888.10.10 | 2005.5.21 | 第一章 藍場川のほとり 桂家の人々 その日の午後、寿熊はどろんこになって、外から帰ってきた。石合戦に参加すると告げて家を出て行ったので、衣服を汚したり額に瘤をつくって帰るのはいつものことだが、斬り裂かれた着物の袖が鮮血に染まるなどは、やはりただごとではない。腕に刀傷を負っているようだった。「どうした」母親の喜代子は、冷静をよそおう低い声で、小さな仁王のように足をふんばり玄関先に立っている寿熊にたずねた |
この著者は広島県の出身で他に山田顕善、児玉源太郎の伝記もあり読んでみたい。 図書館抄録 日露戦争時の首相で、三度の首相に就いた桂太郎は、拓殖大学の創立者でもあった。激動の時代とともに生き、20世紀に目を向けた軍人政治家の生涯を描いた、書き下ろし長篇歴史小説。 |
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20 | 神々への階 | アンソニー・アヴェニ著 宇佐和通訳 | 日本文芸社 | 1999.10.20 | 2005.5.15 | 古代人に秩序の概念をもたらした夜空の星 北米大陸のネイティブアメリカンの一部族、ラコタタ・スー族は、夜空に"酋長の手"と呼ばれる星座(オリオン座の下の部分)を探す。この星座が見えないと、凶作に見まわれるのを知っているからだ。ラコタ・スー族には、とある酋長とその娘、そしてひとりの勇敢な若者に関する伝承がある。この若者は、酋長の娘と結婚したがっていた。しかし、そのためにはどうしてもしなければならないことがある。それは空の神にもぎ取られてしまった酋長の手を取り戻すことだった。 |
日食、月食が太陽の周期と月の周期の最小公倍数で決まるとは知らなかった。 タイトル 神々への階−超古代天文観測の謎 超古代遺跡が明かす“天空の叡知”− 図書館抄録 古代ケルトのストーンヘンジ、古代インカ文明の山岳都市クスコ…超古代遺跡が明かす「天空の叡知」と神秘。神に近づこうとした古代人の天体観測の営みと驚くべき科学を興味深く解説する。 |
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19 | ヤスケンの海 | 村松友視 | 幻冬舎 | 2003.5.25 | 2005.5.8 | 第一章 出会 その日の夕方近く、大日本印刷の出張校正室で校正をしていると、ドアが開いて小太りで小柄な、グレーの三つ揃いを地味に着た男が、慇懃な顔をのぞかせた。私は校正者との読み合わせをちょっと休憩しているときだったか、早めの食事をしようと悪評高い印刷所提供の弁当に手を出そうとしていたときだったか、ともかく中途半端な気分でその男を見た。男は誰にともなくかるく会釈をして、「あ、こっちへ座ったら」というK編集長の声にしたがって奥の席へ腰かけた。 |
Music Birdではじめて知った安原氏の物語。癌を告知されたが一切の治療を拒否して亡くなった方。放送では毒説が楽しかったが社会生活そのものも毒舌で過ごしたことが読み取れる。 図書館抄録 余命一か月を宣言し他界した、超毒舌文芸評論家にしてスーパー・エディター安原顕の壮絶な生き様。大江健三郎をぶった切った事件の真相から、生涯の理解者まゆみ夫人との過激で麗しい関係まで。怒りと笑い、そして涙の軌跡。 |
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18 | クラシック音楽意外史−知っている嘘,知らない真実− | 石井宏 | 東京書籍 | 1990.6.11 | 2005.5.7 | 日本で音楽史を習った人が、本当の音楽史を知ったら、ことの意外性にびっくりすることであろう。日本で習う代表的な音楽史をごく簡単におさらいしてみよう。「音楽史は(古いところは別として)バッハ、ヘンデルらのバロック音楽に始まり、ハイドン、モーツァルトの古典派を経て、ベートーヴェン、シューベルトを生み、そのあとメンデルスゾーン、シューマン、ブラームスらのロマン派音楽に至り、あるいはワーグナーの楽劇を生む。この流れはさらにマーラーやR・シュトラウスを経て、現代音楽につながる・・・・」 | モーツアルト、ベートーヴェンの意外の知識。音楽史のイタリア排除の理由がわかった。道理で中学の音楽でヴィバルディの四季がでなかったわけが氷解した。 | |
17 | その男、はかりしれず−日本の近代をつくった男 浅野総一郎伝− | 新田純子 | サンマーク出版 | 2000.11.1 | 2005.5.3 | 第一章 故郷 起伏に富む能登半島の付け根に薮田という海辺の村がある。北陸の春は陰鬱な冬景色を一変させるほどに明るい。桃やすもも、レンギョウや菜の花、そして桜がいっせいに咲き、山際の小川からは細いせせらぎが眼前に広がる富山湾に流れ込む。ゆったりと弧を描く富山湾を隔て、一年中頂に雪をかぶせる勇壮な立山の鋭い峰々を眺めるには、薮田村は最高の特等席だ。嘉永元年(1846)3月10日、この片田舎に一人の男子が誕生した。生まれたときから、泣き声もやけに威勢がよい。待ちに待った浅野家の長男である。 |
下の抄録ではこの人物の凄みがわからないが、数々の日本初のと肩書きを持つ人であり、企業を作った人物である。 浅野セメント、鶴見の埋め立て、沖電気とのかかわり、重油炊き船、石油の輸入/精製等 日本で初めて「会社組織」をつくった近代実業家、浅野総一郎。時代の行く手を見極める能力では他者の追随を許さず、西洋の200年を80年で駆け抜けた。激動の時代に、日本の近代化に懸命だった一人の男の生涯を描く。 |
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16 | 黒船 | 吉村昭 | 中央公論社 | 1991.9.20 | 2005.5.1 | 嘉永六年(1853)6月3日-梅雨の季節もすぎ、江戸湾の湾口に突き出た三浦半島をおおう樹木の緑は、日を追って濃さを増していった。朝のうちは曇天であったが、次第に青空がひろがった。雲がかかっていた富士山もくっきりとみえ、眩ゆい陽光が海上を明るく輝かせていた。半島の突端にある城ヶ島では、朝から四人の男が岩礁で鮑とりをつづけていた。赤い褌をつけたかれらは、腰のあたりまで海に踏みこんで水に顔を突き入れ、時にはもぐったりして、岩にはりつく鮑をかきとっていた。 | 堀達之助という今でいう通訳の人の物語。幕末の頃にやってきた黒船により人生のすべてになった人物の物語。江戸時代の牢名主になったり波乱万丈の人生である | |
15 | 箱館売ります−幕末ガルトネル事件異聞− | 富樫倫太郎 | 実業之日本社 | 2004.5.25 | 2005.4.29 | 戊辰戦争は、一発の砲弾から始まったといっていい。慶応四年(1868)1月3日のことだ。京都に入ろうとする幕府軍と、鳥羽を警備する薩摩軍の間に小競り合いがあり、「通せ」「通さぬ」の押し問答の末、幕府軍先鋒の桑名藩兵が強行突破の構えを見せたため、「やられる前にやれ」とばかりに、薩摩軍の砲兵隊を率いていた野津鎮雄が砲撃を命じたのである。午後五時頃だったという。この砲声は伏見にも聞こえ、伏見を守っていた薩長の連合軍も直ちに先端を開いた。いわゆる鳥羽・伏見の戦いである。 | 函館がロシアに譲渡される寸前に、抄録にあるように防がれたわけであるが、この小説のどこまでが本当だろうか。特に土方が指揮したのは史実であったのかどうか 図書館抄録 戊辰戦争末期の箱館、プロシア人・ガルトネル兄弟に貸与された土地を元にロシアが策謀を巡らす。対する土方歳三が、素人50人を率いて挑んだ驚天動地の作戦とは? 痛快無比の幕末エンタテインメント。 |
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14 | ドクトル長英 | ジェームス三木 | 日本放送出版協会 | 2004.9.10 | 2005.4.12 | 人生には成功も失敗もない、他人がどう見るかは別として、当人が振り返れば、ただの一本道に過ぎない。無論その途中には、無数の岐路があり、さまざまな選択肢があったはずだ。そこで何をどう考えたのか、どんな力に押し流されたのか、何も気づかずに通り過ぎたのか、人生のエキスの大部分は、それらの節目に凝縮されて、独自の光彩を放つ。高野長英は医者で蘭学者で、放火脱獄犯であった。生きることに凄まじい執着を持ち、人生の選択肢を、すべて自分の意思で決めようとした。そのために人とぶつかり、権力とぶつかり、はためには不運としかいいようのない一生を送った。 | 図書館抄録 さまざまな伝説に彩られ、学問と憂国の心情に殉じた江戸後期の蘭学者・高野長英。その生誕200年にあたり、人間味に溢れ過ぎる生涯を大胆に推理し描きあげた歴史小説。 ジェームス三木 シナリオライター。13年間の歌手生活の後、67年、シナリオコンクール1位入賞をきっかけに脚本家に。作品に「独眼竜政宗」「夜会の果て」など。 |
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13 | 吉良の言い分 真説・元禄忠臣蔵 上 |
岳真也 | KSS出版 | 1998.9.30 | 2005.4.5 | 第一章 若き日の懊悩 風が吹いている。晩秋から翌年の翌年の春にかけて、冬のあいだ中、西三河一円に吹きわたる伊吹おろしの空っ風である。そのつよい偏西風にあおられて、中空をいわし雲が飛ぶように走ってゆく。真白だった雲がしだいに朱の色あいをおびて、ひとかたまりになったかと思うと、渦をまき、ふたたびちりぢりに分かれる。遠くそびえたつ三ヶ根の山嶺。その手前、なだらかにつらなる饗庭白山、茶臼山、御くり山など東条吉良の山々は紫紺いろに染まり、おぼろげにかすみはじめている。 |
図書館抄録 吉良上野介は、温厚にして聡明な名君として領地の民からも慕われていた。浅野内匠頭との争いは、柳沢吉保の陰謀によるでっちあげであって、吉良に落ち度はなかったのではないか…? 新たな視点から描く忠臣蔵。 歴史とは見方が変わればこんなに変わる。悪役忠臣蔵の立役者 吉良を善良社と仕上げた著者の見方が面白い |
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12 | 孤軍 秋吉敏子その人生と作品 |
全国楽譜出版部編 | 全国楽譜出版社 | 2004.9.20 | 2005.4.2 | エリート商社マン 穐吉仲吉 秋吉敏子(本名は穐吉だが、本文中では秋吉と表記する)1929年(昭和4年)12月12日、旧満州(今の中国東北部)のりょう陽で生まれた。家族は父、穐吉仲吉=1891年(明治24年)生まれ、1953年(昭和28年)4月1日没、母,アキ=1896年(明治29年)生まれ、1988年(昭和63年)7月3日没。長女、寿子=1921年生まれ。次女,美代子=1925年生まれ。三女、玲子=1927年生まれで、敏子は四人姉妹の四女だった。 |
図書館抄録 ジャズ・ピアニスト秋吉敏子の代表作「孤軍」は、戦後30年間ひとりで戦争を続けた小野田少尉に捧げられた。ジャズ史に残るただひとりの日本人の波乱万丈な人生をまとめる。ディスコグラフィー、全作品リストも収録。 Jazzをよく聴いており秋吉敏子の名前をよく聴いていたがこれほど偉大な日本人であるとは知らなかった。戦後Jazz日本人の先駆者 |
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11 | 今東光 | 武蔵坊弁慶 1 | 学習研究社 | 1977.11.22 | 2005.3.27 | 恋童 「また新しい稚児が来るなげじゃ」比叡山西塔の南谷十坊、東谷九坊、北谷十二坊の寺々の法師等は寄るとさわると噂し合った。誰しも人間は新しいものに興味と好奇心を寄せるものだからである。「何処からおわすのじゃ」 「紀伊ノ国じゃげな」 「はて紀伊とは床しい」 「何故にな」 「紀伊も熊野の女には滅多に持ち物の女陰像を見せるなと申すぞや。しきりに追うてくるげな」 「これ、何を言う。それは女児のことよ」 |
なかなか面白い。弁慶と言えば、京の橋の上での義経との出会いしか知らなかったが、これを読むと修業時代からの弁慶の生い立ちがわかる。また日本のあちこちに弁慶がつく言葉がわかり、「弁慶柄」「弁慶島」等があり面白い。 | |
10 | 福沢諭吉第二巻朱夏篇 | 岳真也 | 作品社 | 2004.12.25 | 2005.3.25 | 第一章 最初の福沢塾 江戸にはいり、品川宿から築地へと向かう途中、諭吉らの一行は木挽町の汐留に立ち寄ることになった。諭吉が差配をまかされた蘭学塾は、同じ中津藩邸でも築地・鉄砲州の中屋敷内に創設が予定されている。藩務はたいてい、そこか高輪の下屋敷で執り行われているのだが、江戸勤番中の藩主の一家や近侍の者たちは汐留の上屋敷のほうに居住する。そこで諭吉は、「おい、ちょいと寄り道してゆくぞ」 |
図書館抄録 近代日本の黎明に独立自尊の精神を貫き慶応義塾を創立、言論と教育の場に絶大な影響を与えた巨星・福沢諭吉の全貌を描く大河小説。第1巻は独立自尊の原点をなす豊前中津の幼年時代、長崎遊学と大阪適塾での修業の日々を収録。 |
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9 | 福沢諭吉 第一巻青春編 |
岳真也 | 作品社 | 2004.8.15 | 2005.3.21 | 序幕 神仏も恐れず 「こりゃ、待てっ」突然、諭吉は兄の三之助によびとめられた。「お前には、眼というものがないのか」唇をひん曲げ、頬をひきつらせている。たいそうな剣幕だが、いったい何を怒っているのか、諭吉にはわからない。彼が外から帰ってきたら、三之助が座敷中に反故を並べて、書類の整理をしていた。よほどに熱中しているとみえ、諭吉が声をかけても素知らぬ顔でいたのだ。それでかまわずに、大股で部屋を通り抜けようとした。とたんに、一喝されたのである。 |
図書館抄録 近代日本の黎明に独立自尊の精神を貫き慶応義塾を創立、言論と教育の場に絶大な影響を与えた巨星・福沢諭吉の全貌を描く大河小説。第1巻は独立自尊の原点をなす豊前中津の幼年時代、長崎遊学と大阪適塾での修業の日々を収録。 |
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8 | キング | 堂場瞬一 | 実業之日本社 | 2003.3.25 | 2005.3.19 | プロローグ 国立競技場のスタンドはまだ閑散としており、時折誰かの話し声が風に載って切れ切れに耳に届くぐらいで、フィールドも静かな緊張感に満たされていた。この静けさが青山晋にはありがたい。繁華街から住宅地へと東京を東西に走る五輪記念マラソンは、騒音との戦いでもある。国立競技場を出れば嫌でもその騒音に対峙しなければならないのだから、せめてスタートの瞬間ぐらいは静かに迎えたかった。 |
ペドロ&カプリシャスのチャリティーコンサートの待ち時間に読みきった。 図書館抄録 男子マラソンの五輪代表選考レースを控えた青山にドーピングの疑いが。代表の座を渇望する彼は…。栄光に挑む男たちを巡る葛藤・執念・陰謀を描く、俊英渾身の書き下ろしスポーツ小説。 |
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7 | 巨眼の男 西郷隆盛三 |
津本陽 | 新潮社 | 2004.1.20 | 2005.3.4 | 佐賀の乱(一) 明治7年(1874)3月1日の日暮れ時であった。西郷隆盛は薩摩半島指宿の鰻温泉にいた。朝から付近の山へ銃猟に出かけ、十分に運動して疲れた体を湯に沈めると、肥満によって健康をそこないがちな隆盛の身内に、新たな力が湧いてくる。隆盛が征韓論にやぶれ、参議、陸軍大将、近衛都督の職を返上し、鹿児島に帰ったのは明治6年11月であった。彼は鹿児島に帰る少し前頃から体調がわるく、灸治療などをしていたが、いっこうに元気にならない。これは不治の病いであろうとあきらめていたところ、天皇陛下より待医とドイツ人医師ホフマンという者を、つかわされた。 |
この三巻はつまらない。西南戦争として西郷隆盛は引っ張り出されただけなのは理解できるが何も長々と戦闘の場面を引きずらなければいいと思うのだが、途中で何度も止めようかなと思った。 キャッチフレーズ 俺は立つ。ここで立たねば、この国は確実に滅ぶ−。新旧の資料から巨人の肉声を伝え、その実像に迫る歴史大作。維新最大功労者の壮絶な最期と遺志を描く完結篇。『小説新潮』連載を単行本化。 |
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6 | 巨眼の男 西郷隆盛二 |
津本陽 | 新潮社 | 2004.1.20 | 2005.2.13 | 長州攻め 蛤御門の変のあと、幕府は朝廷の長州追討令を受け、西国二十一藩に征討の支度をさせた。長州藩の江戸、大阪藩邸は取り壊し、その廃材を湯屋に分け与え、藩邸詰めの者はすべて幽閉した。だが長州征伐の軍勢は容易に動かない。征長総督は紀州藩主徳川茂承から前尾張藩主徳川慶勝に変更されたが、慶勝も責任の重い任務をなかなか受諾しなかった。吉之助は、元冶元年(1864)9月16日付けの大久保一蔵あての書状に、勝安房の印象をつぎのように記している。 |
キャッチフレーズ 組織も人間もみな腐っちょる。幕府を倒さねば、国が倒れる。時代の閉塞を破る、鮮やかな転身と揺るぎなき信念。 敵は長州にあらず。一瞬のひらめき、度肝を抜く行動。過酷な島流しを赦免された西郷吉之助に寧日はなく、戦火の燻る京都へ向かった。異国の脅威と圧力の前に幕府は迷走をつづけ、長州は暴走した。蛤御門の変、長州征伐、そして大政奉還、天下国家は荒れ、指導層は定見もなく、揺れた。革命を成し遂げた器量と技量を描き尽くす第二巻 |
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5 | 歳三の写真(増補版) | 草森紳一 | 新人物往来社 | 2004.2.25 | 2005.2.10 | 一 雪風 江差の空は、まだ荒れていた。檜山番所の玄関口からその山門まで、数日ひきもきらずにふり続いた雪が左右にかきわけられ、細い隧道をなし、冷たい壁を作っていた。歳三は細目をあけて天を仰いだ。雪が、空を飛ぶ虫の群れのように舞っている。それは地上に積もった雪が、寒風にしゃくりあげられて、空に旋舞しているのだった。やや猫背に歩む歳三の背よりも、はるかに高くふきあげられた雪のてっぺんのあたりが、風に削られて、白い煙となって飛び、彼の行く手を遮った。 |
何と前回の読了より20日間も立ってしまった。猛烈に仕事が忙しかったわけではない。本の内容は面白いのだが、読みづらいというか、どうしても読み進むうちに飽きてしまい、ついつい音楽を聴いているだけになってしまった。昨年の新撰組ブームの中で創刊された1冊の本である。 | |
4 | 由井正雪 | 村松友視 | 読売新聞社 | 1992.2.8 | 2005.1.18 | Prorogue 一、由井正雪事、年四十余、ガツそう、但、かみをそり候儀も可、有、之事 一、せいちいさく、色白、ひたいみしかく、髪黒、くちひるあつく候事 一、まなこくりくりといたし候由之事 由井正雪の風貌を知る唯一の手がかりは、駿府で自刃する少し前、謀叛の疑惑によって廻されたこの手配書くらいしか残されていない。がっそうは総髪のことであり、正雪については、山伏髪といった表現もあるが、たいていのものが髷を結っている時代には、きわめて目立ちやすい髪形といえる。 |
初出 週間読売 1990年1月七・十四日合併号から91年9月8日まで連載 キャッチフレーズ 浪人よ起て!徳川幕府を震撼させた慶安の謀反劇。まるでソ連の政変のように、杜撰で、不安定で、不可思議だ。謎の人物、由比正雪は何を狙うのか。正雪を唆す妖艶な女、素心尼。老中・松平信綱との奇怪な繋がり。”疑惑”の男と女が虚虚実実の江戸に暗躍する。新しい時代小説 ちょっと筋立てに無理があるようでぎっくり腰の診察の合間に多くを呼んだ。 |
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3 | 巨眼の男 西郷隆盛 一 |
津本陽 | 新潮社 | 2003.12.20 | 2005.1.16 | 愛加那(一) 明るい景色であった。晴れた昼下がりであるので、陸と海が陽をうけ、紺碧と濃緑の色合いを冴え渡らせているが、明るすぎて森閑とした、さびしさを誘われる澄みきった視界である。池のように静かな入江の海面に魚が跳ね、岸辺には大屋根のように枝葉をひろげ、気根を垂らしたガジュマルのl巨木、長くするどい歯を茂らせ、蛸の足のように気根をのばしたアダンの群落が見える。 |
初出 小説新潮 平成11年3月号〜平成12年5月号 おもしろい本であった。西郷隆盛が活躍する前に南の群島に閉居させられた話は知っていたがここでは詳しく述べられている。絶望の淵から九死に一生をを得る場面などは感動ものである。 二巻を読みたい |
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2 | 睡蓮の長いまどろみ 下 |
宮本輝 | 文芸春秋 | 2000.10.20 | 2005.1.9 | 第四章 秘密 夜中に尿意で目を醒まし、トイレに行って寝室に戻りかけると、寝る前にたしかに閉めて鍵をかけたはずのベランダのガラス戸が開いていた。リビングの蛍光灯についている豆電球も灯っていたので、順哉はドアをそっと半分ほどあけてリビングをのぞいた。父の庄平が、睡蓮の鉢を前にして屈んでいた。「どうしたの? 眠れないの?」そう訊きながら壁に掛けてある時計を見た。三時前だった。 |
初出 「文学界」平成9年一月号から平成12年7月号まで連載 P169 「ところが蓮の花は、原因と結果が瞬時にそのなかに生まれてる。だから、仏教美術には、蓮の花が象徴的に描かれてる。それがこの四文字なんだ。因果倶時。いんがぐじって読むんだ。睡蓮の花は因果倶時をあらわす比喩なんだって」 |
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1 | 聖徳太子 下 | 黒岩重吾 | 文芸春秋 | 1987.6.30 1990.8.5 第6刷 |
2005.1.1 | とみのいちいに強く鍛えられながら、舎人達が萎縮せずにいきいきとしている理由を厩戸は間もなく知った。いちいは舎人達が非番の日、女人達とまぐわうことに対し、河勝ほどやかましく注意しなかったのだ。ただ、どんな女人でも構わない、というわけではない。自分の本貫地である鳥見山山麓周辺の女人に限られていた。いちいは、子供が生まれたなら、子供を産んだ女人の実家を援助するから、子供のことなど気にしないでよい、と舎人達にいったらしい。いちいの財力は大変なものだ。いちいにとってそれぐらいのことは何でもないことなのだろう。若い舎人達が、いちいに鍛えられながらいきいきとしているのは女人のおかげだった。 | 初出「日本経済新聞」夕刊'85.9.4〜86.12.27 上下巻をあわせると大変な量であった。下巻だけでも649ページある。この本では聖徳太子の全盛期までが描かれている。後半生は馬子との葛藤に破れ不遇だったらしい。著者はわざと落ち目になった聖徳太子を描かなかったのだろう。まあ、読む方も下り坂の人生を読むのはつらいものである。 |